2023年07月21日04時19分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=202307210419145

コラム

新聞について 新聞に最低限必要なものは何なのか?

  新聞にあって欲しい情報とは何だろうか?私は昔、ドラマの教育を受けた時、演劇にとって最低限必要なものは何か?という問いを講師からぶつけられたことがあった。台本は必要か?俳優は必要か?演出家は必要か?観客は必要か?劇場は必要か?最低限、絶対にそれなしでは演劇が成り立たない要素は何か?こういう問いは、その活動をラディカルに考え直すときに必要になる。 
 
  新聞を最低限成り立たせる情報は何だろうか?これは一人一人の新聞観にもよるだろう。前に書いたことがあるが、日本の新聞は欧州のクオリティペーパーとは異なる歴史があったために、クオリティペーパーではなく、娯楽もあれば三面記事もあり、スポーツ記事もある大衆新聞が基本的には中心になったのだった。しかし、時代が劇的に変化し、新聞に求められるものは変わった。 
 
  今、新聞業界は絶滅危惧種になっており、最後まで生き残るのは、旧ソ連時代のプラウダとイザベスチャーのような●●新聞と●●新聞の大手御用新聞2紙となりつつあるかもしれない。しかし、御用新聞以外の新聞がなくなってしまうことは恐ろしいことではある。まず、そうなると、選挙でどこに投票すべきか、真の情報がわからなくなるだろう。御用新聞は1つの答えを押し付けるだけだ。私は2013年に第二次安倍政権が発足した時、日本はソ連化すると書いたが、10年後に確実にそういう事態となった。経済は下降し、人々の士気は失われ、政財界のエリートの子弟だけがわが世の春を謳歌する国になった。官僚はデータを改竄する。新聞は真実を伝えない。政治家は正確な情報がないために、何をすべきか、皆目わからない。こういう国に日本はなった。真正の三流国である。すべて2013年にわかっていたことだった。戦後の昭和時代の日本を知る人にとってこの国は、没落も甚だしい。●●●教会とネトウヨと政財界のエリートたちにとっては、このような日本こそが心地よいのだろう。 
 
  ここから考えた時、新聞を最低限成り立たせる要素が浮かんでくる。すなわち、政財界の真実の情報である。民衆が選挙で政党や政治家を選ぶためには、それらがどのような人間か、どのような政党か、といった選択のための情報が必要だが、これは要素△任靴ない。要素,浪燭と言えば、日本の国家がどのような事態にあるのか、政治や経済、社会の情報を伝える新聞である。国の財政事情はどうか、外交はどんなことをしてきたのか。国民の生活はどうなのか?それらを具体的な数値とともに、精緻な分析を加えて発信する新聞である。面白いトピックだけでなく、国会を国民が監視できるために総体的に情報が必要だ。その情報がなければ、政治家の選びようもないのだ。論理的に考えればそうなる。つまり、政治を行うのは国民一人一人であるという認識の革命が必要になっている。国会議員は国民の代わりに国会に行くだけの人なのだ。だから、単なる代理人たちがきちんと仕事をしているかどうか監督するためにも、国民には大臣たちと同じ情報が必要なのである。ただし、それは官僚のバイアスのかかった情報とは異なるジャーナリズムの見地から検証した政策の根拠となる情報なのである。政治の失敗が引き起こしてしまった深刻な経済危機のさなか、それなしには新聞は本当になくなるだろう。つまり、現在の新聞には必要な情報が書かれていないのだ。スクープだけではない。それよりも、国民が国の状態を理解できるための総括的な情報が必要なのだ。「いやいや、新聞には物価のことも、賃金のことも、金利のことも書いてありますよ」という反論が来そうだ。しかし、それらの記事を読んで、読者は総合的に国がどういう事態にあるか、本当に理解できるだろうか?私は記事は視野の狭い局地戦をしているだけで、パズルの1片に過ぎず、全体がどうなのかということは読者には絶対にわからないように書かれているという印象を持つのである。これでは情報産業としてはまずい。 
 
  これまで国民が国の状況を本当に理解できるようにデザインされた新聞はかつて一紙もなかった。日本が近代に達していなかった証左である。もちろん政治や経済の特集記事が時々で、出たことはあった。しかし、読者が政治家のように自分で政策を判断できるための、そのようにデザインされた情報と記事はなかった。これは新聞人たちが、有権者の知性を信用していなかったからだ。そう、新聞社の人間たちは意識の根底において、庶民を心底見下していたのである。エリートが大衆を指導する、という発想は国家がなくなったソ連となんら変わりはない。住民にどこまで情報を出すかは、騒動がおきないように統治者と相談して決める、こういう検閲の精神である。外国の情報を統制する一種の「長崎の出島」である。その延長線上に、知にアクセスできる人間(階級)を絞り込む学費の高騰がある。戦後民主主義と長く言われてきたが、未だそこにはアンシャンレジーム(旧体制)が生き残っていたのである。そして、冷戦が終結し、旧勢力は羽を伸ばして全面に出てきたのだ。彼らの政治の基本は、政治を独り占めにして、国民ができるだけ政治に関与しないようにすることである。国会議員をなるだけ二世議員や三世議員で占めることである。そのためにも出馬するための要件を厳しくして絞り込むことである。こうした政治家と深くつながった大手新聞がどのような価値観を根底に持つかは明らかだ。 
 
   高度経済成長の時代が終わった今、政策の優先順位を読者・有権者が判断できるための情報が必要になってきた。また、かつてのように情報を読んで感銘を受けたり、考えたり、という受け身的な読み方だけでなく、その先の行動と記事がいかにつながるかが重要になってきている。これは新聞に限らず、現代の消費者の傾向である。たとえば首相が外遊先で次々と与えている巨額の援助金の意味を1つ1つ国民は知る必要があると私は思う。税金の使途については過去よりもはるかに読者自身が検証と判断ができるための包括的な視点が必要だろう。裁判所や警察の状況、日米関係などもそうである。こうした情報は、選挙で投票したり、自ら良しと思う行動をするために必要な情報なのだ。だからこそ、「首相は・・・と言いました」的な、お上のお触書程度の媒体は一切いらない、というバックラッシュが今起きている。これはメディアで起きている市民革命である。単なるデジタル化かどうか、という媒体の違いではない。若者が貧困だから新聞を買わない、というような単純な話ではないのだ。 
 
 
村上良太 
 
 
 
■川口由彦著「日本近代法制史」 戦前の法制度を明治維新まで遡って一望する 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201604070930354 
 
■ロシアから見る特定秘密保護法案  〜日本がソビエト化する日〜 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201311241930270 
 
■グローバル時代の「ルイスの転換点」 〜アベノミクスの弱点〜 村上良太 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201306070012005 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。