2023年08月03日11時56分掲載  無料記事
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みる・よむ・きく

タランティーノ監督『イングロリアス・バスターズ』は意外にまともな映画だった・・・

  目には目を、と言わんばかりにナチの将校や兵士を捕まえてはバットで殴り殺したり、頭の皮をはいだり、額に鍵十字をナイフで刻んだり、とナチに恐怖を植えつけるべく編成されたユダヤ人8人の米軍特殊部隊の行動を描いた映画『イングロリアス・バスターズ』。私は日本での公開当時は、トンデモ映画の類かと思い、見そびれていた。実際に見てみると、当初思っていたような映画ではなかった。何よりも暴力シーンはそれほど多くなく、その間の駆け引きや準備などの心理描写が結構、正攻法で描かれているのである。 
 
  この映画が事実に基づくのか、奇想に基づいた完全なる創作だったのかはしかとわからなかったが、映画の構成としては冒頭の劇がおそらく1941年春頃、次のシーンが4年後とあったので1945年頃だろうが、もしかすると1944年のDデイの直前・直後くらいかもしれない。いずれにしても、冒頭の物語のきっかけはナチのフランス占領直後なのだが、その後はDデイ直前から、その後まで、すなわちドイツの敗色が濃くなっていく時期である。 
 
  こうした時局で、これから上陸を行う連合軍の前にナチの後方で、ナチを恐怖に陥れる特殊部隊を潜入させた意味は、(こうした試みのモデルとなる部隊が仮にあったとして)軍事的には心理的作戦だろう。英米軍は劣勢にあっても敵軍の本丸を攻撃して、恐怖を感じさせる心理戦を行っていたが、これもその1つのように私には思えた。「ユダヤの熊」なる謎の人物が野球のバットでナチ兵士を殴り殺していく、そのシーンはあえて生かして逃がした兵士たちによって口から口へ語り継がれ、増幅していく。 
 
  私はこの映画を見た後、タランティーノに霊感を与えたという米軍特殊部隊を描いたドキュメンタリー番組※の映像を見た。そこでは実際にドイツから米国に亡命したユダヤ系兵士たちの部隊が編成され、Dデイの前にナチの後方攪乱作戦を展開していた経緯が語られていた。Operation Greenup※※という名前の作戦部隊が最も成績を上げたとされる。さらにその特殊部隊の隊長はSSに捕らえられ、拷問を受けた。しかし、その結末は『イングロリアス・バスターズ』と同様、CIAの前身となる米戦略情報局(OSS)との取引が行われたそうである。実際、この隊長自身が後にインタビューを受けているのだ。とはいえ、この実際にあった米特殊部隊に映画で出てくる「ユダヤの熊」がいたわけでもなく、鍵十字マークを額にナイフで彫ったりもしていない。兵士たちの動機はナチスに第二次大戦で勝たせてはいけない、という使命感だった。そして、第二次大戦がはじまって初期から、特殊部隊隊員たちに向けて、作戦を実行し、かつ生き延びるための徹底した訓練が行われたのである。特に亡命ユダヤ人の若者が選抜された理由はドイツ語が堪能だという語学力にあったとされる。 
 
※The Real Inglorious Basterds! | True Story of the Jewish Commandos Who Inspired Tarantino 
https://www.youtube.com/watch?v=8ou4PtFa3HM 
 
※※Operation Greenup: The REAL Inglourious Basterds 
https://www.nationalww2museum.org/war/articles/operation-greenup-real-inglourious-basterds 
  タランティーノは長年、このシナリオを書き続けていたそうだが、この実在した特殊部隊のエピソードも知っていたのかもしれない。しかし、彼はそこに「ユダヤの熊」などの暴力的要素を盛り込むと同時に、ヒトラーやゲッペルスが隊員たちによって射殺される、という史実とは異なる展開を辞さなかった。この映画は、現実になにがしかヒントを得たらしいのだが、しかし、歴史的な事実を裏切り、観客の予想を覆しながら進行する。観客は歴史を知っているために、ヒトラーとゲッペルスは最後は結局、生き延びるのだろうなと思うが、そのために心底驚く展開となる。 
 
  この映画は一口で語るのが難しい。娯楽映画であることは間違いがないが、いかに奔放に創作された映画であっても、その底に一抹の苦いリアルな何かを感じることになる。それはこの特殊部隊が「ナチの軍服を脱いだら、ナチにいたかどうかわからなくなるから」と生き延びる兵士たちの額に鍵十字をナイフで彫り込むことだ。私はこの映画の最大のメッセージは〜メッセージがあるとすれば〜ここにあると感じた。実際に多くのナチ兵士が生き延び、戦後はヒトラーに騙された1国民、すなわち被害者の面をして生きていったのだ。中には中南米に渡った者もいた。だから軍服を脱いでも永遠に鍵十字は刻まれるのだということなのである。この映画が世界で大ヒットしても、日本でいまいちヒットしなかったのだとしたら、その理由はまさに戦時中の罪と日本人一人一人がどう向き合ってきたか、というところにあると私は見た。 


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