2023年08月26日13時28分掲載  無料記事
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水俣病と向き合ったユージン・スミスの伝記映画『MINAMATA』

 偶然と言えば偶然、必然と言えば必然だった気がする。写真家ユージン・スミスが水俣病の人びとの写真を撮影した伝記映画『MINAMATA』(2020 ※)を見たのが、福島から核汚染水が太平洋に放出された日だったことだ。この映画を見るチャンスが訪れたのは偶然だったのだが、それを知った以上、見ずにはいられなかった。それが必然だった。 
 
  ユージン・スミスと言えば有名なイコンのような水俣の母娘の傑作写真があり、若い頃に写真集で見て、こんな立派な写真家がいたのか、と感銘を受けたものだ。しかも、チッソによる暴力にも屈しなかったことも知ってはいた。しかし、それが映画になるとは夢思わなかった。そして、それは素晴らしい映画になった。主演のジョニー・デップは映画の宣伝には、「デップが姿を消して役柄になっていた」と賛辞が寄せられており、デップの最高傑作という評もあったが、まさにその通りだろう。デップは主演だけでなく、この映画のプロデューサーでもある。そこまでしてこの映画をデップに作らせたものは、何だったのだろうか。軽率な思い付きと言われるかもしれないが、デップもスミスも先祖にインディアンの血が流れていることが、関係していた可能性はないだろうか。すなわち、そのことが虐げられた人々を見つめる時の、有無を言わさぬ眼差しと姿勢を感じさせるのだ。 
 
  この映画の優れたところは、スミスの神聖なところではなく、むしろ、ダメなところ、悲しいところをしっかり描いていた点だ。冒頭はもう落ち目になって金もなくなり、子供二人に金を遺すためにスタジオの機材を全部売り払うまでに零落しているスミスである。1970年頃のことで、かつては華々しかったLIFEマガジンは廃刊寸前まで経済的に追い詰められていた。これはTVにジャーナリズムの株を奪われてしまったことが原因だ。そんなスミスのもとに日米混血の学生、アイリーンがCMの撮影にやってくる。彼女から水俣病の写真を撮影して患者たちの力になって欲しいと頼まれる。しかし、兵士として沖縄で戦闘した時の傷の記憶にさいなまれる彼は最初は乗り気ではなかった。それでも、アイリーンから渡された写真と資料を見て、彼の本能がうずいたのだ。とはいえ、ここからあの傑作の写真を撮影するまでに、幾多の試練や困難が彼を襲い、落ち込んだ彼は時には酒を飲み、ニューヨークの編集室に電話して愚痴を語り続ける。こうしたやるせないところが描かれている中で、彼が次第に闘志を掻き立てられ、写真家に戻っていくプロセスはよく描かれている。 
 
  この映画は監督の表現力、演出力でもあるだろうが、高度のリアリティを実現していた。それが最も象徴的なのは、ただでさえハードルが高い取材のうえに言語の壁や人種の壁もあって水俣病の人びととなかなか親しくなれず、写真を撮らせてもらえないまま、熊本県水俣の街を徘徊していた時にベンチで出会った水俣病の少年との出会いのくだりである。ウイスキーを飲みながら、スミスはこの少年に英語で思いを一方的に語り続ける。少年は病気のために脇で遊んでいる少年たちのようにサッカーができない。その病の少年に彼はカメラを与えて撮影させてみる。その時の少年の表情の変化が胸を打つ。そして、その行為を見た時に、アイリーンがかつてスミスに、心を自分から開いて、という意味のことを語ったのが思い出される。スミスは最初は心をなかなか開くことができなかったのだ。撮影したい、という思いと、おそらくは過去の記憶、トラウマに由来する近づけないバリアとの葛藤が彼に酒を飲ませたのかもしれない。その人々との距離感がこの映画ではよく描かれており、監督はそのことをよく知っている人だなと思った。この映画はまさに今一度、公害の歴史を思い出すよいきっかけになるだろう。そして、その歴史が今生々しく福島と重なって来る。 
 
 
※MINAMATA 公式予告編 (2021) 
https://www.youtube.com/watch?v=WP3pKTssw_E 


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