2023年10月20日10時11分掲載  無料記事
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『民主主義の統治能力 日本・アメリカ・西欧〜その危機の検討〜』(サミュエル・P・ハンチントン&ミシェル・クロジエ&綿貫譲治、日米欧委員会編) 1975年に提言された新自由主義の起源

  新自由主義の起源はいったい何だったのか?新自由主義の誕生を象徴するのが、1979年のサッチャー首相の登場や1981年のレーガン大統領の誕生である。日本では1982年に中曽根政権が発足した。中曽根政権は1987年まで続く長期政権となったが、その間にプラザ合意が1985年に行われ、国際協調の中で円高になり、内需拡大を米国から突きつけられ、バブル経済と呼ばれる時代が始まっている。一般には1980年代以後に先進諸国で政治体制に大きな変化が起きた。日本でも同様である。それは新自由主義と呼ばれ、規制緩和、小さな政府、グローバリゼーションなどの特徴がある。過去40年にわたって新自由主義の時代が日本ではほぼ一貫して続いた結果、貧富の格差が増大し、製造業の工場群の多くがアジアなどの海外に移転し、中流階級のボリュームが減少することになった。 
 
  新自由主義の起源が日米欧委員会(三極委員会)にあると私は欧州の哲学者から聞いたことがある。日刊ベリタでも何度か登場していただいた構造主義哲学史を専門とするパトリス・マニグリエ氏である。サミュエル・P・ハンチントン教授らが京都で1975年5月にシンポジウムを行ったのだが、それをまとめたのが『民主主義の統治能力 日本・アメリカ・西欧〜その危機の検討〜』(サミュエル・P・ハンチントン&ミシェル・クロジエ&綿貫譲治、日米欧委員会編:サイマル出版会)であり、1976年に邦訳も出ていた。この日米欧委員会は1973年にアメリカの大富豪であるデイビッド・ロックフェラー氏(1915‐2017;チェース・マンハッタン銀行会長)の提案で誕生し、米政権のアドバイザーでもあったズビグニュー・ブレジンスキー氏も参加していた。ブレジンスキー氏と言えばソ連への激しい敵対心で知られた米知識人である。日米欧委員会は、それぞれの地域で政府の統治能力(governability)が危機に陥っているというエリート層たちの共通認識から生まれたとされる。そして、それぞれ個別にバラバラに取り組むのでなく、この委員会の各国の民間人のエスタブリッシュメントたちで協力して長期的に諸政府に提言を行い、政策を実現していこうというのである。 
 
  私がこの度、この書を取り寄せて3人の大学教授の提言内容をそれぞれ読んでみると、基調となったであろうテキストはサミュエル・P・ハンチントン氏によるものだ。ここでハンチントン氏は1960年代の公民権運動が参加型民主主義を高揚させた結果、マイノリティや貧困層を含めた民衆の政治的・経済的・社会的要求が過去になく高まり、片や米政府はニクソン大統領の失墜に象徴されるように権威を失い、統治能力に疑問が突き付けられつつあるとするのである。このような統治能力への不信感は、外交にも悪しき影響を与え、米国の威信が弱まり、ソ連・社会主義陣営の進出を許してしまうことになると言うのである。そのような権威への疑問を突きつけ、統治能力にダメージを与えたものとしてマスメディア〜特にテレビのジャーナリズムをやり玉に挙げているのも目を引いた。 
 
  「たとえば、テレビ・ジャーナリズムの伸長が、政府の権威を低下させたことを示すような資料なら大量にある。1963年、夜間に30分のニュース番組が開設されてからというもの、人びとのニュース源としての依存性を飛躍的に高め、ニュースの視聴率は大幅に増大した。それとともに、放映されるテーマ、論争や暴力への焦点の集中、そしておそらくはニュース解説者の価値観や見解などが、現在の体制に不都合となったり、政府への信頼感を低下させる傾向が出てきた。ウォルター・クロンカイトによれば、『ほとんどのニュース解説者は、既成秩序に忠実でなくなる。私見によれば、彼らは、権威や体制よりは人類社会の味方になろうとしている』ようである。また実際に、世論調査の結果の示すところによれば、教育や収入要因の影響を除去してみても、ニュース源としてのテレビへの依存の増大は、政治的有効性感覚の低下、社会的不信感の増大、厭世観の拡大、政党支持の低下などと関連している。テレビ・ニュースはようするに、『反権威的』機関として機能し、社会に望ましくない悪い条件を提供している」 
 
  テレビ・ジャーナリズムに対するハーバード大学教授の激しい呪詛は、今日読むと衝撃的ですらある。この提言が日米欧のエスタブリッシュメントたちの脳裏に刻まれたのだろうか。それは、その後にテレビ・ジャーナリズムがたどった運命を考えてみれば合点がいくだろう。 
 
  1970年代初頭と言えば、1960年代から続く公民権運動やベトナム戦争への批判などが未だ熱い時代だったはずである。この時代は1960年代末の学生運動に象徴されるように、大学生たちが既存の体制や権威に疑問を投げかけ、政治に関心を持ち、行動した時代だった。労働組合も力をつけ、労働者への待遇をより改善させる交渉力を有していた。日米欧委員会が1973年に結成されたのは、このような時代が続くと、体制が維持できなくなるという危機感だっただろう。当時は未だ冷戦時代で、ソ連や社会主義体制が健在だったことも、その背景にあったはずである。ベトナム戦争やインドシナでの戦争も冷戦のもとでの戦争である。こうした背景に、1975年5月に最初の国際シンポジウムが京都で開催され、その基調提言をまとめたものが『民主主義の統治能力 日本・アメリカ・西欧〜その危機の検討〜』である。そして、これがのちの新自由主義へ道を拓いたとする見方が欧州人にあるのだ。ハンチントン教授の提言は、ベトナム戦争の敗北や激しいインフレなどによって国力が低下した米国エスタブリッシュメントによる、巻き返しの宣言という風に感じられた。 
 
  ただ、ここでハンチントン氏とクロジエ氏と綿貫氏とで、認識に差があることも指摘しておきたい。それは日米欧で状況に違いがあったからだ。綿貫氏は日本は欧米と異なり、第二次大戦中は枢軸国で民主主義の伝統が乏しかったがゆえに、むしろ統治能力が弱くなったとしても参加型民主主義が伸長することをよしとする発言をしているのである。つまり、日本の1975年はそれほど民主主義の問題があるわけではない、というニュアンスが伝わってくるし、それは生活者の実感と重なるものがある。ということは、アメリカのハンチントン氏に代表されるエスタブリッシュメントの危機感に日本が引きずられていった可能性がある。日本では学生運動が1969年に高揚したものの、70年代前半は大衆が繁栄を享受し、未来に希望が持てた時代だった。したがって、ハンチントン教授の危機感と日本の綿貫氏の発言に差があるのは当然と言えば当然である。とはいえ、その後、レーガン大統領と中曽根首相の会談に象徴されるように、規制緩和の時代が到来し、国の経済が軍産複合体に乗っ取られていく時代の序章が日本でも始まった。 
 
  この日米欧委員会はtrirateral commissionであり、三極委員会と最近は訳されているが、現在も続いており、日本の議長は新浪剛史氏である。この日米欧委員会(三極委員会)の提言が、新自由主義の起源であると同定できるかは未知だが、その大きな源であることは間違いないだろう。実際、ハンチントン氏の提言は60年代の政治の季節に対抗し、民衆参加を抑制して統治能力とのバランスを戻さなくては統治不能になるだろうとしているのである。 
 
  この『民主主義の統治能力 日本・アメリカ・西欧〜その危機の検討〜』を私に示唆したパトリス・マニグリエ氏らが参加したのがパリで2016年に行われたNuitDebout(立ち上がる夜)という市民運動だった。これは共和国広場に夕方から夜にかけて市民や学生が数千人集まり、様々な輪を作って政治経済社会などの諸問題を議論し始めたのである。この運動は3〜4か月ほど続いた。民衆が集まって話し合うことになった理由は、マスメディア、特にテレビ報道に歪みがあり、信頼できなくなっていたからである。また同時に本来、有権者の代表による議論の場だったはずの国会が、行政府に従属する形になって、行政府の独裁的傾向が高まっていたからだ。当時の社会党内閣は憲法49条3項という反民主的な条文を繰り返し行使していた。これは国会(下院)での議論と採決を省略して、内閣が法案を通してしまうことである。実は、当時の社会党内閣の一員だったマクロンが抜擢した現在の首相とその内閣も、この手を繰り返し使っている。こうした傾向については、歴史学者で政治学者でもあるピエール・ロザンヴァロンがその著書『良き統治〜大統領制化する民主主義』で、執行権の歴史そして、三権のバランスの歴史を検証している。フランスにおいてもイスラエルと同様に、三権分立が行政府の独裁的傾向により、浸食されているのである。 
 
   私はこの運動を『立ち上がる夜』と題して本にまとめたのだが、この運動が生まれた起源に、つまり、今日の民主主義の問題が生まれた起点に日米欧委員会によるこの京都での会議と提言があったのである。したがって、この『民主主義の統治能力 日本・アメリカ・西欧〜その危機の検討〜』は非常に大きなインパクトを歴史にとどめた資料ということになるだろう。この75年のシンポジウムは国際的にも反響を呼び、同時に批判も巻き起こしたものだったらしい。ハンチントン教授と言えば『文明の衝突』が著名だが、むしろその現実における影響力は本書の方が実態としてははるかに大きかったと思われる。レーガン政権は労働組合のストへの激しい圧力をかけたし、80年代には株主至上主義になったために新聞社の調査報道班は金食い虫であるとされて次々と解体され、調査報道の記者たちの多くが失業し、たとえばタクシー運転手をせざるを得なくなる人もいたのだ。この提言の結晶化こそ、2012年末の第二次安倍政権の誕生ということになるだろう。まさに政治からの国民の排除である。 
 
 
●trirateral commission 
https://www.trilateral.org/ 
 
 
 
■「Democratic Debacle 民主党の敗北」The defeat of Hillary Clinton was a consequence of a political crisis with roots extending back to 1964. ヒラリー・クリントンの敗北の根っこは1964年に遡る ジェローム・カラベル(社会学) 
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■ジェローム・カラベル(米社会学者)「トランプ主義は生き残る」 〜アメリカの民主党と共和党の支持層の逆転現象〜 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202105090128010 
 
■アメリカの警察による殺人  ジェローム・カラベル(カリフォルニア大学バークレイ校 名誉教授) “Police Killings Surpass the Worst Years of Lynching, Capital Punishment, and a Movement Responds ” By Jerome Karabel 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201702191613380 
 
■政治家の世襲禁止法の制定を 日本は未だ近代以前の身分制社会 
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