2024年01月20日11時03分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=202401201103236

アジア

独裁者は孤立し疑心暗鬼に ミャンマー最前線からのレポート(2) DM生

 1/17のチン州からの現地報告につづき、反国軍勢力内部の矛盾、対立が現在どうなっているかを書き進めようとした。だがその前に、より重大な国軍内部の亀裂と対立の動きが表面化しつつあるのでそれをお伝えしたい。独裁者ミンアウンフライン総司令官は疑心暗鬼となり孤立してきた。 
 
▽将軍たちの家族を「人質」に 
 このところ将軍クラスの「刷新」「左遷」「逮捕投獄」が目立つ。作戦敗退の責任を取らせ、あるいは「汚職罪」で逮捕などである。その補填のため「子飼い」の忠誠を誓う幹部を抜擢しようとする。だがその人材が既に枯渇してきたのだ。 
 現在約40名の現役将軍(准将から上級大将まで)がいるが、その一人ひとりに「誓約書」を提出させている。そのなかに家族構成、連絡先、身分証も書き込ませる。つまり独裁者を裏切れば家族にまで危害が及ぶぞという脅迫である。さらに幹部のなかに不審に思うものがいれば、その家族(妻のケースが多いが)をミンアウンフラインの地方出張のさいにわざわざ同行させる。いずれも家族を人質にするやり方である。 
 「誓約書」「家族人質」に応じなければ即クビ、下手すれば逮捕となるのでみな従うしかない。だが当然不満、不信、そして絶望的な声が周囲につたわる。「ミンアウンフラインはもはや常軌を逸している」「誰もついていかない」「末期症状だ」「かれは白旗をあげるしかない」。そういう声を、筆者はミンアウンフラインの側近の家族親族から聞くようになっている。 
 この孤立してきた独裁者は珍しくシャン州南部のチェントンにでかけたが、拳銃を肌身離さず携行している姿を地元紙は掲載写真でニュースにした。 
 
 ミャンマー問題へのアセアン(東南アジア諸国連合)の対応がなかなか実効力を発揮しないことを何とももどかしく思ったりもするが、一方でミンアウンフライン自身はもっと苛立っているようだ。 
今年からアセアン議長国がラオスになったが、その駐ラオスミャンマー大使を召還、逮捕し10年刑を言い渡してしまった。そしてアセアン各国に派遣した大使を全員召喚、国軍への忠誠度を確かめようとしている。 
 大使不在で先行きが危ぶまれるので、タイのミャンマー大使館はビザ、広報業務を当分停止するという。大使が収監されてしまうかもしれず、別の大使が派遣されてきても本国のアセアン関係の方針が明示されなければ大使館としても動きようがない。また大使が誰になってもその家族の任地同伴同居が認められるのかが大使館関係者らの関心事となっている。その許可が出れば、よほど独裁者の信任厚いつまり「警戒すべき人物」とみなされるが、まず単身でしか赴任できないだろうというのが常識となっている。 
 こうした独裁者による「家族人質作戦」は国軍の末端にまでひろまっている。重要な軍事施設には警察官、消防団員、自警団等から人員不足を補う方針がとられているのだが、その際家族ごとの「着任」が望ましいとされる。ここでも家族を人質として戦力の流出を防ごうとする作戦がとられる。 
 クーデター直後までは兵士を金で縛る方策がとられた。下級兵士の給料を上げ(それでも百数十米ド程度だが)、その一部を国軍経営企業に積立てさせ「軍を許可なく離脱したら積立金は没収する」という方法である。だが、欧米の経済制裁強化もじわじわと効き国軍企業の資金運用が厳しくなった。そうなれば兵士も軍に帰属し依存する意味が薄れる。おまけに戦況が悪くなれば当然金よりもまず命が大事だとなる。だから現在どこの軍事施設でも家族の外出は極めて厳重な監視のもとにある。 
 
▽国軍脱走兵が国軍拠点攻略の先頭に 
 では国軍内部の動きから、筆者が取材を続けているチン州の状況に戻ろう。 
 警察官モーモールインさん(シャン州出身)は、まず故郷から遠く離れたバゴーや首都ネピドー、次いでチン州のタイゲーンの軍事基地に送られ毎日塹壕掘りばかりやらされた。「近く犬ころ(国軍兵士は反軍勢力をそう呼ぶ)が攻撃してくる」と長時間背丈よりも深く掘る作業にかりだされた。 
 彼は人間扱いされないことに我慢ならず脱出した。家族の住む村はあまりに遠く呼び寄せることが出来なかったのが幸いした。バイクが故障し乗り捨てて徒歩で逃げた。 
 一方、住民に根をおろした活動をするシーイン族の民兵組織がその脱出の知らせを掴んで身柄の確保に動いた。モーモールインさんは民兵らの空にむけて撃った銃声を聞き、「殺されると観念した」という。「犬ころに捕まったら必ず殺される」と国軍幹部から言われていたからだ。 
 だが民兵組織は「逃げてきたのなら安全を保証する」と約束し身柄を保護した。逃走するとき同僚の警備員にみつかり誰何され、大声で「逃げるなら撃つぞ」という叫びが聞こえた。しかしその警備員は、「わざと当たらないように撃っているのが判った」という。 
 
 元国軍の脱走兵にも会った。軍のクーデターのときはカレーミョウ(ザカイン管区)の軍事基地勤務だった。上司もチン族で通信担当をやっていた。クーデターの知らせは暗号で送られてきたが、上司からただちに聞いた。しばらくして脱走を決意させたのは母からの電話だった。 
「わたしはこのクーデターに絶対反対だ。不服従運動のデモに参加するからね。あんたはまだ軍にとどまっているの? 国軍はデモに発砲しはじめたのよ。あんたはわたしに銃を向けることになるのね」 
 彼は仲間と計四人で脱走を試み、いったん国境を越えインドのミゾラム州に逃げる。内二人は一般市民にまぎれこみ、残る二人は反軍武装勢力に参加する。国軍との戦闘で脱走仲間を失い、いまは一人残された。だが今ではシーインの民兵組織のなかで最も果敢で頼られる戦闘員となっている。 
 
 国軍は兵員不足が深刻になり、警察官、消防団、自警団らから補充するだけではとても足りない。失業者、出所した元犯罪者などからリクルートしようとする。当然だれでも構わないとなる。そこで反軍勢力は一定期間を決めて「スパイ」を国軍に送り込む。こうして国軍の作戦計画も筒抜けになったりする。 
 いまでは国軍部隊の前線で使用するウォ―キートーキーも傍受され、待ち伏せ攻撃を受けるようになってきた。 
 シーイン族の民兵組織から1/16に、タイゲーンの国軍キャンプを陥落させたとの知らせが入った、次の目標はザカイン省のカレーミョウだとも言った。モーモールインさんが毎日塹壕掘りをやらされていた軍事基地は民主側武装勢力の手に落ちた。 
 筆者がインタビューした元国軍兵士は、そのつぎの攻略目標攻撃の先頭に立っている。カレーミョウは空港もあり国軍の西部戦略の拠点である。既にCDF、CNA、YDF、KIA、AA (順にチン防衛軍、チン民族軍、ヨ―防衛軍、カチン独立軍、アラカン軍)が共同作戦で包囲網を狭めており、今月中に陥落させるとの見方がひろがっている。      (つづく) 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。