2024年01月28日10時51分掲載  無料記事
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アジア

スマホと銃、反国軍武装闘争で躍動する「Z世代」 ミャンマー最前線からのレポート(6) DM生

 西部チン州の山岳地帯と平野部のマグウエイ管区での取材で筆者は、各地の反国軍武装勢力間の相互連絡や協力態勢に注目した。目にしたのは民主派の国民統一政府(NUG)との提携も進み、国軍を「戦略的防御」に追い込んでいく光景である。それとこの共闘推進に、クーデター後の市民不服従運動(CDM)に参加したZ世代の若者が欠かせない役割を果たしている姿である。最新の通信技術と武器を駆使して躍動する彼らに出会った。 
 
▽「文民統制」めざし新たな行政機構が始動 
 2021年2月のクーデター後に反国軍武装闘争が開始されてから間もなくして、国軍、警察及び関係者に対する「報復」「行き過ぎた攻撃」、ある場合には「私刑」「虐殺」も行われ「内ゲバ」も発生したと伝えられた。もともと暴力行為全てに拒否反応がつよい日本国民のなかですっかりミャンマー民主化闘争への支援は途絶してしまった。 
 現在ではその問題が解決しつつあるのか、それとも深刻化しているのか筆者は現地で確認したいと思っていた。結論からいえば、相当程度その行き過ぎは是正され、自制が利いて理性的な対応がひろがっていた。 
 クーデター後最初に武装闘争を開始したCDF Mindat (Chinland Defense Forces)ミンダット地区では、新たな行政機構をつくり警察、法廷制度を村人の意見を聞きながら創設し、コメ生産、野菜栽培、家畜、石油ガソリン、バイク、車両、教育、幼児、病院等など細かい部門を担当する委員を決めていた。 
 その部門のひとつに軍事があり、将来的には「文民統制」を実現しようとの意図が感じられた。村から国軍に加わる、あるいは援助する人がいても「制裁」行動は禁じられ、話し合いと説得で解決していこうとしている。 
 そのCDF組織にYDF(Yaw Defense Forces)のメンバーが訪問して談笑しているのを目撃した。彼はマグウエイ管区のYDF本拠地から7時間バイクを走らせて来たといい自動小銃を携行している。カメラを向けると上気しながら説明してくれた。 
「Yaw族は主にチン州の山からマグウエイの平野部にかけて住む少数民族なのですが、稲作、上座部仏教、風俗習慣などほとんど全てビルマ族と同一なのです。なんで我々が少数民族とされているのか分からないくらいです」「現在では500名の戦闘員を擁し、8割のYaw民族から支持されています」 
 交渉の結果CDF, YDFの戦闘員が筆者の警備兼案内役を務めて、古い四輪駆動車でマグウエイ管区まで連れていってくれることになった。 
 7時間近く走らせ5か所のCDF、YDFの検問を抜けマグウエイ管区に入り、平野部の各町村のPDF(国民防衛隊)の検問所約十か所を通った。どの検問所にも武装したPDFが駐屯し道路を行き来するバイク、車両、通行人をチェックしている。薄暗くなっても目立つ武装車両、所属組織のバッチや肩章を確かめると、そのまま通行許可してくれ不審や警戒の姿勢はなかった。各武装組織の相互連絡や協力態勢がかなり整ってきたことを伺わせた。 
 
 チン州と接したザカイン管区の要衝タイゲーン攻略作戦には四つの武装組織が合同作戦を展開し、国軍は敗走した。国軍は空から報復の砲爆撃でタイゲーン市を廃墟にしてしまった。 
 武装勢力間の対立抗争に関する話は聞かなくなっている。もちろん完全に火種が消えたとはいえないだろう。チン州のなかでもCAN(Chin National Army)チン民族軍とCDFとの確執はまだある。創設1988年のCANと政治組織CNF(Chin National Front)はチン民族を代表する組織としてCDFを傘下に収めたい。一方CDFは、クーデター後真っ先に決起し大きな成果を挙げてきたし行政面でも先進をゆく自負があるし、「CANは国軍との和平を追求するなど優柔不断だった」とみる。 
 この種の国軍と戦闘するか和平を重視するかの路線上の相違は多くの少数民族武装組織のなかにもある。あるいはあったと言ったほうがよさそうだ。 
 クーデター以降は国軍に妥協せず戦闘で活路をきりひらくとの潮流が支配的となった。カレン族の武装組織の例はその典型だろう。1949年以来の「世界最長の内戦歴」をもつKNU(カレン民族同盟)とその軍事部門KNLAは国軍との和平協定を破棄して国軍との戦闘を強化した。また長年「国軍の別動隊」だったDKBA (民主カレン仏教徒軍) は昨年8月国軍から離れ、KNUと共同歩調をとることを決めた。そしてこの数か月連戦連敗の国軍がDKBAにソーウイン准上級大将(国軍ナンバー2)を派遣して「国軍側に戻ってくれ」と説得したが、失敗に終わった。(イラワジ紙2024.1.25) 
 こうして少数民族武装組織がこぞって反国軍の戦線を築いたことは都市部、平野部のPDFを大いに鼓舞し、この間進めてきた各種の矛盾と部分対立を解消する取り組みに力を与えている。 
 
▽「やむなき抵抗」から「勝ち戦」へ 
 2021年まではこの種の矛盾も伝えられた。国軍の弾圧に抗しようと、まずは少数民族武装勢力の地域に保護を求め武装訓練を受ける都市部の若者が増えた。訓練を終えた彼らは、武装闘争に加わるため地元に帰りたいだが武器が無い。「面倒」をみた武装組織は「いま帰っても力にならないだろう。武器を与えるからここで我々の戦力になってくれ」とリクルート工作がなされる。 
 その反対の例もあった。NUGはPDFを立ち上げたが圧倒的に経験ある戦士がいない。そこで少数民族兵士をリクルートしようとする。「三年契約で働いてくれないか」「三年は長すぎる、一年でどうだ」「給料や待遇はどうなるのか」こうしたやりとりもあった。国軍からの手あたり次第の武力弾圧が広まるにつれ、各地に自発的な反国軍の武装集団がつくられた。「NUGは掛け声だけ、当てにならない」との不満はひろがった。この時期は確かに軍警関係者への「報復行為」はあった。 
 筆者はその時期にヤンゴンの工科大出身者らからなる「銃器製造秘密工場」をタイ・ミャンマー国境で取材したことがある。米国から支援にきた若者が中心となり、ミャンマーのエンジニア志望の青年らが昼夜製造作業に取り組んでいた。その中心メンバーの父親は国軍将校だった。父親は薄々気づいているだろうが、息子のことが明るみに出るとクビになるか逮捕されかねないと黙ってくれているという。それにしても、やむにやまれぬ気持ちは分かるが「絶望的な抵抗」のように感じたのも確かだ。 
 それから二年余、事態は大きく変わった。びっくりするほど多くの場所で銃器、兵器の製造がおこなわれているのを知った。Siyinの民兵組織の指揮官は「我々は既にロケット砲の実射訓練を終え戦闘に使用できるところまできた」と語った。 
 「負け戦」覚悟のやむなき抵抗ではなく、「勝ち戦」が見えてきたというのだ。 
 
 その推進力をZ世代が担っていることを各地、各場面で目撃した。CDM(市民不服従運動)や国軍の弾圧への抵抗の時期に十代二十代の青年層がSNSやスマホの撮影機能をつかい運動を組織化していったのは良く知られている。その延長で武装闘争、反軍民主勢力同士の連絡、協力、共闘の活動においてもアンテナとなりコーディネーターとなって活躍している。スマホと銃を自由に扱うZ世代に国軍は頭を抱えているにちがいない。 
 他の勢力メンバーともすぐに仲良くなりシグナル(Signal)はじめ安全度が高いとされるアプリを使い(ミャンマーでラインを使用する人は少ない)情報交換もメッセージだけでなく映像を送り合う。必要とあらば、武装組織間の連絡を取り持ち共闘を実現させていく。その行動力には目をみはるものがある。 
 チン州の山岳地帯の村でも通信タワーがそびえているのを目にすることがあった。インターネット機能を駆使する反軍若者世代に大苦戦しているのに何故国軍はその通信ネットワークをつぶさないのだろう、筆者の素朴な疑問に対して彼らはあっけらかんと答えた。「軍は金欠状態、スマホビジネスの収益は絶対失いたくない筈だ」 
 国軍を「戦略的防御」に追い込んだいまZ世代はよりのびのびと動き回っているのである。明らかな事実は、CDMに加わったその世代が、とりわけ先進的な役割を果たした若者の圧倒的部分が武装闘争断固支持となっているということである。 
 われわれ三名の取材班の移動に多い時には6台のバイクが使われた。そのドライバーの一人は元ツアーガイドだった。実家がバイク修理屋をやっていたが彼はその技術がないので「外国人のツアーガイドとしてバイクで山々を案内して回った」。そしてクーデター後はすぐにCDMのデモに参加した。熱心に参加し腕に Spring Revolution(春の革命) と入れ墨まで入れた。が、警察にそれを見られたら捕まると思い、それならいっそ武装闘争を支援しようと決心したと語った。 
 現在彼はCDF Mindat の情報収集、運搬役となっている。元公務員だったバイクドライバーは「ミンダット市では何千人もCDMに合流したけど、その内90%は武装闘争に参加するか支持している」と答えた。 
 筆者が目にした現実は、ミャンマー西部の山岳地帯とマグウエイ管区の一部である。だがザカイン管区、ラカイン管区、シャン州でも国軍は敗走を続けている。既に国土の優に6割は国軍支配が及ばなくなりつつある。    (つづく) 


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