2024年03月26日21時15分掲載  無料記事
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アジア

山岳地帯チン州再訪 民主武装組織の統治拡大 ミャンマー最前線からのレポート(7)DM生

 ふた月ぶりに尋ねたチン州の景色は一変していた。青山と雲海は灰色と褐色の世界となっていた。自然発火と焼畑で山々に墨色がひろがり、常緑樹のまわりは枯れた下葉と紅葉が織り成している。変わったのは自然の景観だけではない。再訪した民兵の軍事キャンプは若者らの革命歌や食事の賑わいは消え、地雷で下肢の一部を失った新兵の保養収容所になっていた。ここで訓練期間を終えた三十名余の民兵は前線の戦闘に、あるいは巡回看護兵として、あるいはより本格的な軍事訓練を受けるため各地に散っていた。筆者の抱いていた再会の楽しみや目論見は吹っ飛んでしまった。外から時折やってくる記者の描くストーリーとは関係なく、生存への必死の営みが戦場ですすんでいるのだった。 
 
▽国軍要衝基地攻略で激戦 
 前回の訪問ではシーイン族の民間武装組織の軍事キャンプで新年を迎えた。キリスト教徒である彼らはクリスマスから元旦が年で最大の祝祭期間である。豚の丸焼きに舌鼓をうち、キャンプファイヤーを囲み歌い踊り、新年のカウントダウンには銃声が轟いた。「2024は勝利の年」が合言葉でもあった。 
 次なる戦略目標は国軍の西部地方(インド国境沿い、アンダマン海沿い)を支配する出撃ならびに兵站拠点であるカレーミョウの攻略である。そこはザカイン管区の西端に位置し、空港(航空基地)があり物資流通のセンターでもある。ここが陥落すれば、アラカン州、チン州、カチン州から内陸のザカイン管区、マグウエイ管区をつなぐ広大な「反軍支配区」が出来上がり、国軍からしたらマンダレー管区がもろに脅かされる事態となる。 
 中国国境方面での「1027作戦」(少数民族武装組織三つが共闘関係を結び国軍に戦略的打撃を与えた)に次いで、チン州の武装組織が他の組織(カチン独立軍KIAやザカイン管区の幾つかの人民自衛組織など)と組んでカレーミョウ攻撃作戦を準備しているのは明らかだった。一般の村人も「次はあそこが激戦地になる」口にしていたくらいだ。 
 新年を迎えるキャンプファイヤーのあと、上記の民兵軍事キャンプでもその作戦準備を示す動きはあった。朝の朝礼で若き指揮官(コードネーム:シーエス)は普段よりさらに口数が少なくなり考え込んだり慎重に言葉を選んで隊員に指示していた。配置転換の希望を募ったりもした。威勢のいい別のリーダーのディッキー氏からは「新年の早い時期にカレーミョウを落とす積りだ」という計画も聞いた。 
 「その前に国軍の要衝基地タインゲンを一掃する必要がある」という話もでた。そして実際1月12日、民兵を主力とした合同軍120名が攻撃を開始四日間で完全に制圧してしまった。今回その基地跡を訪ね、作戦指揮官や兵士らの証言も聞くことが出来た。 
 
 戦端を開く前日、ディッキー氏 (35)と指揮官シーエス(27)がタインゲン国軍基地の司令官に携帯電話で「明日から攻撃を開始する。降伏するなら身の安全を保証する」と呼び掛けた。何か月もたてこもる数十名の兵士らは食糧、水を付近の村から調達するしかない。村人はその情報を民兵組織側に伝える。だから基地内の様子も司令官の携帯電話番号も筒抜けになっていたのだ。 
「あなた方を犠牲にしたくない。家族も悲しむだろう。我々は既に包囲していつでも攻略できる」との言葉に対し、基地の指揮官は「この戦いは君ら全員の死をもって終わるだろう」と強気で返してきたが、一方では「降伏すれば家族も処罰対象になる、それは出来ない」と答えた。敗走し崩壊を始めた国軍側への「降伏説得と交渉」は昨年10月以降戦闘地域で一般化しているとみられる。そして多くは銃火を交えることなく、あるいは緒戦直後に国軍側が白旗を挙げる例が急増している。「1027作戦」もその一例といえる。 
 だがタインゲン作戦は激戦となった。奇襲ではなく予告しての戦闘は双方に大きな損害をもたらすことになった。包囲した120名の民兵の布陣に二か所の砲兵基地から砲弾が次々に撃ち込まれ、小高い山頂の基地に至る道には対人地雷が仕掛けられていた。2名が死亡、70名が負傷した。国軍側は数十名の殆どが陣地内で死亡し数人は逃亡に失敗し検挙された。 
 
 民主武装勢力側の作戦主力はドローン空爆であった。6機の民生ドローンをフル回転させ計800発以上の手製の砲弾を落とした。国軍側からの妨害電波が届かない上空から正確に集中投下したと指揮官の一人は述べた。そのタインゲン基地跡には縦横に掘られた塹壕が所々崩れ、国軍の制服、食糧品の箱、薬品、たばこの吸い殻などが散らばり、兵舎や居住のトタン板は銃弾の穴でボコボコにされていた。ドローン砲弾の不発弾もあった。 
 基地の周りは高さ2mの細い竹や鉄槍が20cm間隔で張り巡らされている。その一本一本に空き缶がかぶさっている。基地入口には竹槍を突きたてた落とし穴が造られていた。いずれも夜陰の奇襲を警戒してのことだが、まるで日本の戦国時代にならあっただろう陣地守備の姿を残していた。デジタル兵器と竹槍の落とし穴、空き缶。戦場で携帯電話を使い敵味方が「人質」とされる家族について語られる。ミャンマーの果てしなき内戦の強烈な一断面をみる思いだった。 
 
▽州の9割が民主武装組織の統治下に 
 この現地作戦の指揮は前回インタビューしたCDM Siyin の若きリーダー・シーエスがとった。この二か月余りで彼は明らかに痩せ口数は更に少なくなっている。犠牲となった二名の民兵に彼の従弟が含まれていたし、負傷者は余りに多数に上った。筆者を案内してタインゲンの激戦跡に来た彼は何度も目を伏せ涙ぐんでいた。一方別のリーダー格のディッキーは戦闘の勝利とその意義を強調した。「一年半かけて6回目の作戦でやっと陥落させた。嬉しくて泣けてきた」と語った。どちらも真実味があり、引き込まれるような感情移入をしてしまう。 
 この地域の民兵組織にとっては、守勢一方となり戦意も不十分であっても砲撃の援軍と強力な火力を持つ国軍基地は「難攻不落」に近かったのだ。民兵側はドローンの砲弾の一部は木製、銃器弾丸は不足しているので、「敵の姿を確認するまでは撃つな」との命令が下されていた。 
 チン州の1月、山は冷え込む。筆者もダウン防寒服で5℃度対応の寝袋、さらに中国製の分厚い毛布にくるまってなおガタガタ震えた季節である。防寒装備もなしで立ち向かっていく兵士らはつい凍えと恐怖から発砲してしまったりすると聞いた。「撃ち始めたら身体が熱くなる」のだ。だが用意した弾丸は少量でしかない。それでも今回の戦闘ではドローン作戦が功を奏し制圧できた。 
 
 タインゲン基地から国軍を一掃したことで、インド国境からカレーミョウに至るルートは民主武装勢力のコントロール下に入った。チン州は現時点で民主勢力側が州面積(約3万6千平方キロメートル―日本の首都圏+大阪府+香川県の面積とほぼ等しい)の大部分、恐らく90%前後、州人口(約50万)の7割強をコントロール下に置いているとみられる。 
 チン州は9の行政区にわかれそれぞれに中心の市があるが、現時点でも国軍はそれら9市街地に300〜500人規模の兵力を駐留させその周辺に砲兵基地を置いている。人口5万規模の州都ハカ、カレーミョウ。ミンダットから人口8千のファラムまでの9市街地がそれにあたる。だがクーデターと内戦激化に伴い市民の大量流出、避難は全ての9市で起こっており人口は4分の1以下に減少しているとみていい。それらの事情を勘案すると現在国軍支配地域に居住する住民は州人口の2割にもならないだろう。 
 UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の統計によれば、国内避難民はクーデター以前は35万人だったのが、今年2月段階で244万人に急増、つまりクーデター以降既に2百万人以上が国内避難民となっている。その内チン州における国内避難民は5万、州人口の1割との数字が示されている。だが実際にはそれ以外に統計に表れないインド側への避難、親族や知人のもとに避難というケースも多数にのぼっているのを目にしている。 
 
 州全体の9割前後、人口の7割強がCNF (チン民族戦線―政治組織)、CNA (チン民族軍)、各地の武装組織、CDF (チン自衛軍)等の民主武装組織が現在事実上統治をおこなっている。 
 だから前回の取材と併せ筆者は2千数百キロの移動が可能になったわけだ。それらのリーダーらは口々に「チン州史上初めてのことだ」と誇らしげに言う。 
                   (つづく) 


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