2024年04月12日20時00分掲載  無料記事
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コラム

<山里から>口伝 女たちの秩父事件  西沢江美子

 かつて、ここ山中谷(埼玉県秩父から群馬県奥多野にかけての地域)の11月は、翌年のくらしの糧を工面する厳しい時期。ほとんどが山林。斜面にへばりついた段々畑に芋や雑穀を植え、和紙と養蚕、コンニャクで生きていた。自給に足りない分を含め、必要な現金を養蚕、コンニャクで得なければならない。 干し柿の皮むきとコンニャクの荒粉(コンニャク芋をスライスして串に刺して乾燥させたチップ状のもの)づくりが霜月の夜の仕事。ようっぱかといった。 
 
 夕飯がすむとすぐに板の間で夜中の12時まで家族中で荒粉づくりが始まる。祖父母、父母、兄と私。1歳の弟が横で寝ている。 
 祖父は芋を切る。スライスした芋をササ串に刺し、すだれ状に連ねて干す。冷たさとコンニャクのアクで手は真っ赤になってかゆい。6歳にもならない私はつらくても、このようっぱかが大好きだった。 
 
 祖母の「そん時代があたんだぁ」で終わる秩父事件(1883年、秩父地方を中心に起こった農民蜂起)の語りを聞きたかった。毎晩毎晩仕事の手を休めず、じっと家族が聞いていた。秩父の百姓衆が困民党をつくり、実家の隣の高利貸しのところにやってきた。「借金証文を出せ」「現金なくて払えるか」「おらのおっかさんが困民党の人はいい人だった、とよく言っていた」。その頃3歳だった祖母は実母から聞いた話を見たように語った。 
 
 またある晩は、嫁に来てすぐ姑から聞かされた話をしてくれた。「おめえ秩父暴徒知ってるか」「おらのとうちゃん(夫)が握り飯二個つくってくれって。あと手ぬぐい二本も」って。「どこ行くだ」返事なし。「割めし(砕いた大麦100%のメシ)を握るがボロボロで握れない。でかいのを一個紙に包んだ」。 
 
夫は下草刈り鎌を担いで出て行った。 姑は夫が困民党衆を長野に送り届けることを空気で分かっていたはずだ。嫁もあえて聞かない。「そん時代もあったんだぁ」で終わる。曾祖母から祖母へ口伝された秩父事件のひとこまは、小さかった私の中で社会の仕組みを知る目に育っていった。 
 
 自給自足のくらしが成り立っていたように見える山中谷は、早くから養蚕など商品経済に組み込まれた。そこを世界恐慌と松方デフレが直撃。地方税に部下高騰も加わった。秩父事件はそんな背景の中で起こった。いまとよく似ている。高物価、重税、低賃金、その背後に軍事費拡大がある。秩父事件弾圧のあとは日清戦争から世界大戦へと暗い時代が続いていく。 
(ジャーナリスト) 


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