2025年08月28日14時01分掲載
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スポーツ
U12ジュニアサッカー・ワールドチャレンジ2025 ミャンマーチームも健闘
今年もワーチャレの季節がやって来た。12歳以下のサッカー世界一を決める文字通り子供たちのワールドカップだが、実は私が知ったのはつい昨年のことだ。元JCB(現在Global Bridge Plus代表理事)の松下さんからクラウドファンディングの知らせを受けて初めてこの大会の存在を知った。(押手敬夫)
ワーチャレの歴史は意外に古く第1回目は2013年に始まる。2013年8月、ワーチャレは12チームが参加して行われた。その当時、スペインのFCバルセロナに所属する久保建英選手率いるバルサチームは圧倒的な強さで決勝戦に進み、FCリバプール(イギリス)を5:0で下し初代王者となった。その後久保選手は日本代表のエースとして10番を背負い、MVPを獲得したエリック・ガルシア選手は今やバルサの中核選手となった。
久保選手が活躍したその年に生まれたのが今年の選手たちである。歴史は繰り返すとすれば、この選手たちが13年後に欧州のトップチームの主力となり、日本代表として世界と戦っているのかもしれない。
ジュニア世代対象の11人制インターナショナルサッカー大会には、常連のバルサを筆頭に欧州・アジア・中南米から強豪チームが集い、国内予選を勝ち抜いた全国の有名クラブチームと成人用のフルサイズコートで戦う国際色豊かな大会で、小学生でありながら世界と力と技を競える絶好の機会である。
その大会に今年を含め3年連続でミャンマー代表が参加している。
初めて見た昨年の大会は世界中から48チームが出場した。グループDに振り分けられたミャンマー代表は強豪チームを相手に2勝し、名門の鹿島アントラーズと引き分けグループ首位で予選通過する快挙だった。流石に決勝トーナメントでは1:2で敗れ快進撃は止まったが大会に爪痕をしっかり残す戦いぶりだった。後日談だがこの大会で監督を勤めた人は、今回の功績を認められその後トップチームのコーチに昇格したと聞いた。
今年のワーチャレは、千葉県蘇我のフクダ電子アリーナ(通称:フクアリ)を舞台に、8月19日〜22日の4日間の日程で世界各地から40チームの参加で開催された。ミャンマー代表は今年もグループDでJリーグ下部組織の3チームと、日本各地から選抜の計4チームと予選を戦うことになった。
開幕直前にミャンマーチームの全てをコーディネートしている松下さんから知らせが入った。試合前日の朝に到着予定だった18名の選手と6名のコーチが、同一便を手配できず何と4便に分かれて来るのだという。
最も早い到着が17日の夕方の便でコーチ2名と選手1名。そして翌日の同じ便に始まり後続の2便で続々と到着することになったが、今回来日する24名全員が初めての海外旅行である。悪いことに2日目の最初の到着便でロストバゲッジが発生したが彼らにとって預けたはずの荷物がターンテーブルから出てこないことの理解が及ばなかったらしく、数時間に渡り空港内に留まっていたそうだ。そんなこともあり、24名全員と荷物が全て揃ったのが試合当日の深夜1時、そして初戦のキックオフは8時間後の9時10分である。
今回の宿舎は長生郡長柄町、千葉県中部に位置し「市原ぞうの国」の近くだ。会場のフクアリまで渋滞もあり45分掛ったそうで到着したのは試合開始の少し前、アップもそこそこにいきなり最初の試合が始まった。初戦の相手はベガルタ仙台、思った通り子供たちの動きは重く、どう見ても疲労が抜けず顔色も冴えない。
昨年と比べ今年の代表選手は小粒でとても12歳とは思えない。小柄な選手ばかりで、競り合いに弱く走力も劣る。そんなハンデがあったがこの試合は奇跡的に0:0で引き分けた。
試合の組合せが悪く、休憩時間僅か30分足らずで次の試合が始まる。今度の相手は湘南ベルマーレ。体力と技術に優れたチームと、寝不足と長時間の移動疲れが甚だしいミャンマーチームでは試合前から勝負あった。健闘むなしく0:2で敗れ大会初日が終わった。試合後の彼らの表情は疲労困憊感が溢れていた。
日付が変わり翌20日、最初の試合は16:20開始の東京ヴェルディ戦。選手こそ違うが昨年このチームは準々決勝であのFCバルセロナを2:0で破った強敵である。2日分たっぷり寝たミャンマー代表は昨日とは別チームのようで、こんなに強い相手に対し懸命に戦い最後に失点して0:1で惜敗した。
私の個人的感想だがこのゲームは失点こそしたが、最高の試合内容だったと評価している。そしてリーグ戦最後の試合はエコノメソッド選抜戦。私は知らなかったが、このチームは全国各地にチームを持ち、その中から選抜したメンバーをスペイン人監督が率いる強豪だった。
ミャンマー代表が生まれて初めて体験するナイトゲームは19:20に始まった。両選手が整列すると違いが明らかだ。例えれば大人と子供、相手チームは高校生と思えるほどの大柄な選手に対し、我らのミャンマーチームはまるで小学1年生のよう。しかしミャンマーチームは体格差をものともせず終始勇敢に戦った。再三ゴール前まで押し込まれ、度々のコーナーキックに耐えきれず、長身選手のヘディングシュートで失点して0:3で敗れ、グループリーグ最下位が決まった。
なおこのチームはその後も勝利を重ね、最終的には準決勝まで進んだ。
2025年のワーチャレは全8試合を圧倒的な力の差、技術の違いを見せつけたFCバルセロナが2年振り7回目の優勝を飾り閉幕した。
グループリーグで敗退したミャンマー代表は、フレンドリーマッチで愛媛県のチームと戦い3:2で今大会初勝利をあげ、続くメキシコ代表戦では0:2で敗れ今年のワーチャレを終えた。
その後チームは鎌倉に向かい、ミャンマー人の「聖地」鎌倉大仏に参拝した。地元のよりともFCと親善試合を行い、そのままチームの家庭にホームスティし、生まれて初めての海水浴を楽しんだ。
翌日は横浜の日産スタジアムで横浜FマリノスVS町田ゼルビアの試合(町田ゼルビアの第3GKは日本生まれのミャンマー人選手だが、まだベンチ入りできず)を観戦、最終日は上野 アメ横で念願のサッカーシューズを買い、夜は高田馬場のミャンマー料理店ルビーで待ちかねた祖国の味に舌鼓を打った。店主のチョウさん自ら腕を振るい、子供たちは何度もお代わりをして帰国前夜の楽しいひと時を過ごした。
今回のワーチャレで私の目の前でスーツケースのボディを叩き乍ら柏レイソルのチャント(応援歌)を歌い続ける2人の少年がいた。彼らはもう声が枯れるほど延々歌いチームを鼓舞し、ゲームが終わると選手が駆け寄って彼らに感謝を伝える光景を見て感動した。
私はこれからミャンマーチームのチャントをチョウさんに頼んでビルマ語で作り、来年来たるチームの応援に備えようと考えている。
連日の猛暑の中、9日間に及ぶミャンマー代表の2025ワーチャレは全日程を終え、全員が同じ便に乗って25日の朝帰国の途についた。
ミャンマーでは内戦がつづき、今年3月28日にはマンダレーを中心に大地震が起き、多数の死傷者が出た。今年のチームのメンバーにはそのマンダレー出身者が多いという。
ミャンマー全土から選ばれた彼らは、到着後は離れ離れになり、恐らく今後は2度と一緒に活動する機会はない。例えば日本なら育成機関に身を置き、将来のナショナルチーム代表を目指すところだが、ミャンマーではそうはいかない。それがつくづく残念なことである。
でも試合や滞在中の出来事を通じて、彼らなりに色々感じ取ったことがあるようだ。自国に戻って家族や多くの仲間たちに率直に感じたことを伝えて欲しいと思う。彼らは来年の大会に参加することはできないが、今回日本で学んだ彼らは次の世代で活躍し、代表の一員として再び日本の地を踏んでもらうことを願っている。
今回の遠征で得たことを、今後彼ら自身の成長に繋げてくれれば嬉しい。
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