2025年09月23日17時16分掲載
無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=202509231716002
入管
ウィシュマさん遺族らが裁判報告会を開催 「二度と同じ悲劇を繰り返さないために」【名古屋入管死亡事件】
2021年3月に名古屋出入国在留管理局の収容施設で亡くなったスリランカ国籍のウィシュマ・サンダマリさん。遺族は、名古屋入管が衰弱していくウィシュマさんに対して適切な措置を取らなかったことが死亡の原因として、2022年3月に国家賠償請求訴訟を提起した。12月には事件に関与した医師など4人の証人尋問が行われる予定で、裁判はいよいよ重要な局面を迎える。
こうした中、遺族は14日、東京都内で事件の経緯や裁判の経過について説明する報告会を開いた。妹のポールニマさんのほか、遺族側弁護団の指宿昭一弁護士や支援団体「BOND」のメンバーが登壇し、参加した市民に向けて思いを語った。(岩中健介)
【事件を振り返る】
ウィシュマさんは2017年6月、日本語学校の留学生として来日。将来は日本で英語教師になることを目指して勉学に励んでいたが、生活上の事情が影響して学校に通えなくなったことで2018年6月に学校を除籍となり、これに伴い在留資格を喪失した。その後も在留資格の更新や切り替えを求めて日本に滞在する中、2020年8月、当時同居していたスリランカ人男性からDV被害に遭い近くの交番に助けを求めたところ、不法残留であることを理由に逮捕された。ウィシュマさんはDV被害者として保護されることなく、この翌日に名古屋入管に収容された。
収容当初、ウィシュマさんはスリランカへの帰国を希望していたが、スリランカ行きの定期便は就航しておらず、また、帰国後の隔離施設(ホテル)の利用料金を用意するのは困難な状況にあった。加えて、同年10月には同居していた男性から「スリランカに帰ったら、探し出して罰を与える」といった趣旨の手紙が届いた。以降、恐怖に見舞われたウィシュマさんは日本での残留希望に転じた。
収容が継続する中、2021年1月頃から体調が悪化し始め、療養のために仮放免の申請を行ったが認められなかった。その後、食欲不振や嘔吐、体重減少などの症状に見舞われ、2月5日には外部病院の消化器内科を受診。病院側は胃カメラ検査を実施したものの点滴や入院措置が取られることはなかった。このときの状況について、当時ウィシュマさんの支援を行っていた支援団体「START」のメンバーは、入管職員が「点滴には時間が掛かる。入院と同じことになるので点滴はさせずに連れ帰った」と発言したとするメモを残している。
2月15日に行われた尿検査では、「ケトン体3+」との数値が記録された。これは、身体が飢餓状態であることを示す値であったが、ここでも入管は点滴や栄養補給などの措置を取ることはなかった。その後、3月5日には脱力状態に。6日には朝から反応が弱く、血圧や脈拍を確認できない状態に陥った。同日午後2時7分頃、職員の呼びかけに無反応となったことから、名古屋入管は2時15分に救急搬送を要請。そして3時25分頃、搬送先の病院で死亡が確認された。司法解剖の結果、ウィシュマさんの体重は収容時から21.5キログラム減少していた。
【「拷問」としての収容継続】
報告会で指宿弁護士は、「ウィシュマさんの体調が悪化する中、名古屋入管はなぜ必要な点滴を打たなかったのか。問題はこの1点に絞られるといっても過言ではない」とした上、「入管側は医療体制が十分でなかったと主張しているが、電話1本で外部の病院に点滴を依頼することもできたはず。ウィシュマさんは日本語や英語で何度も点滴を求めており、対応した職員はこれを名古屋入管の幹部に伝えている。そのため、当時の幹部に責任があることは明らかだ」と当時の入管側の対応を批判した。
ウィシュマさんは体調が悪化する中で仮放免申請を2回行っている。1回目は不許可となり、2回目はその結果が出る前に亡くなった。これについて入管庁は2021年8月に公表した最終報告書において、その判断が「不当なものであったとまでは評価できない」としている。また、特に1回目の申請を不許可にした背景として、当時の名古屋入管幹部が「仮放免されて支援者の下で生活するようになれば、在留希望の意思がより強固になり、帰国の説得や送還の実現がより一層困難になるおそれがある」と考えていたことを明らかにしている。
これについて指宿弁護士は「仮放免が許可されていれば支援者がお金を工面してウィシュマさんを助けることができた。入管は収容継続や仮放免不許可を帰国意思を持たせるための一種の拷問として使っており、強制送還するためには何をやっても良いと思っているのだろう」と述べた。
報告会では「BOND」メンバーの谷口さんと三橋さんの2人からポールニマさんへのインタビューも行われた。ウィシュマさんが亡くなった当時の状況を聞かれたポールニマさんは「スリランカの警察官から姉が亡くなったとの知らせを聞いた。母が理由を何度も尋ねたが詳細は分からず、大きなショックを受けた。若い姉がなぜ亡くなったのか不思議でならなかった」と振り返った。
また、日本社会に対して伝えたいことは何かと問われた際には「入管には今も多くの外国人が収容されている。二度と同じ悲劇を繰り返さないためにも、入管制度を変えなければならない。そのためには皆さんの協力が必要だ。まずは、収容者がどのような目に遭っているのかを面会を通して知ってもらいたい」と思いを語った。
【事件が私たちに問いかけているもの】
「ウィシュマ事件」が起きた背景には何があるのか。
指宿弁護士は、かつて法務省入国参事官を務めた池上努氏が著書「法的地位200の質問」(1965年、京文社)で述べた「(外国人は)煮て食おうが焼いて食おうが自由」との言葉を引き合いに、次のように述べた。
「日本は戦前における植民地政策や国内での朝鮮人・中国人への差別的な扱いを通じて、日本人の心に”アジア諸国に対する差別意識”を植え付けた。日本は今も戦争責任を正面から認めておらず、日本人の外国人嫌悪(ゼノフォビア)は消えないままだ。その意識が入管庁にも根付いており、ウィシュマさんの事件に繋がった」(指宿弁護士)
「また、これはそうした入管庁のあり方を許してしまっている私たちの責任でもある。戦後80年の機会に一度、日本の戦争責任やアジアの民族に対して行ってきた差別を振り返る必要があるだろう。その上で、第二、第三のウィシュマ事件を起こさぬよう、我々が声を上げて入管に必要な改善措置を取らせなければならない」(同)
市民の声はときに国の方針を大きく動かす。
高度経済成長期に発生した水俣病などの公害が社会問題となった際には被害者や市民の声が国を動かし、公害規制のための法律が次々に制定され、1971年の環境庁創設に繋がった。
2011年の東日本大震災・原発事故後には、国会前デモや各地の原発集会に多くの市民が参加して「原発反対」の声を上げたことで、政府は一時的に原発ゼロを検討。再稼働やエネルギー政策に対しても市民の声を無視できない状況となった。
現在、SNS上では不正確な情報に基づいて「外国人は優遇されている」との虚像がつくられ、排外主義を煽動する声が存在感を強めている状況だ。「ウィシュマ事件」を扱った内容の投稿に対しても心ない言葉を浴びせる人々の姿が目立つ。こうした流れは入管庁にとって”追い風”となっているのだろう。同庁は「不法滞在者ゼロプラン」に基づき、かつてないほど急進的に強制送還を進めている。
一方、「ウィシュマ事件」では民事的な救済を求めるとともに入管の収容・医療体制そのもののあり方が問われる中、裁判には常に多くの市民が傍聴に訪れ、入管政策の改善を訴え続けている。こうした「ウィシュマ事件は終わっていない」との声を上げ続ける営みこそが、人々に入管のあり方を考えるきっかけを与え、入管政策を改善に向かわせるための道標となるはずだ。
Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。