2025年12月03日20時20分掲載
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欧州
伝説の湖トラジメーノと中世の街ペルージャ~チャオ!イタリア通信(サトウノリコ)
イタリア中部に位置する湖トラジメーノには、伝説がある。旅の途中、湖で泳いでいた王子トラジメーノを見た妖精のアッジラが、王子の美しさに驚き、彼を誘惑しようと歌い誘う。湖の真ん中に泳いでやって来た王子は、その歌声に眩暈を起こし、溺れ死んでしまった。そこから、この湖はトラジメーノと呼ばれるようになったというのだ。
冬の湖はさすがに寂しかった。キャンプ場には誰もいなく、湖に停泊しているボートたち。トラジメーノ湖には三つの島があり、そこへ行く船も出ているのだが、この日は天気が悪く、あいにく船がでていなかった。誰もいない桟橋も、何となく寂しさを誘う。
湖畔の街、カスティリオーネ・デル・ラーゴを訪れる。この町には、1200年代の初めに神聖ローマ皇帝のフリードリヒ2世が建てさせた城壁が今でも残っている。その城壁に隣接して16世紀半ばに建てられたのは、コルーニャ侯爵の屋敷である。その屋敷の入り口が今では博物館の入り口となっている。
屋敷の中は、ギリシャ神話の神々や神話に基づいた壁画が描かれていた。屋敷を抜けると城壁へと続く長い廊下がある。人一人通るぐらいの幅で、ところどころに小さな窓があり、そこから敵を見張っていたであろう中世の騎士たちの姿が目にちらついた。廊下の始まりと終わりには小さな信号機がついていた。観光客が多い時期には、この信号機が動くのだろう。廊下を通るには、すれ違うのは難しいからだ。
廊下を通り過ぎると、城壁の上を一巡りできるようになっている。こちらの通路も人一人通るのぐらいの幅で、「お相撲さんはどうやって通るんだろう」などと子どもたちと冗談を言いあった。城壁の角にある見張り台からはトラジメーノ湖も一望できた。
カスティリオーネ・デル・ラーゴは、13世紀には教皇派と神聖ローマ帝国の皇帝派の争いに巻き込まれた。皇帝派によって、街は破壊されたが、コルーニャ侯爵の屋敷を建設することで、再び復興したそうだ。ローマとフィレンツェを結ぶ中継地点としての役割があったとのこと。現在は、ウンブリア州ペルージャ県に属している。
次の日、ペルージャの街を散策する。イタリアでは珍しく、ペルージャ駅から旧市街へ行くのに小さなモノレールが走っている。夫が「お台場に行くモノレールみたいなものだよ」と言うので、頭の中で想像していたが、走っているのを見た途端、「かわいい!!」と声を上げていた。というのも、たった1両だけだったからだ。しかも、長い車両ではなく、小さい箱型の車両が行ったり来たりしているのを見るのは、愉快だった。
そのモノレールに乗って、約10分ほどで丘の上の旧市街に到着。到着して驚いたのは、その日チョコレート祭りがあったのだ。子どもたちは大興奮。街の中心の広場や通りにはチョコレート会社の屋台が立ち並び、人だかりがすごかった。
ペルージャは、私たちにとっては「ペルジーナ」というチョコレート会社があるところ。至る所にチョコレートのお店があるのもうれしい。イタリアでは、冬にホットチョコレートをよく飲むのだ。
ペルージャはエトルリア時代からある古い街である。街には、中世に造られた水路がある。もともとペルージャは水の豊富な街だった。それは、街中にあるたくさんの井戸とローマ時代の温泉場、染色業があったことでも証明されている。しかし、1200年代の街の人口増加と1200年から1250年に起こった干ばつのために、この水路が造られた。
水路は4キロメートル、街の中心イタリア広場に位置するマッジョーレ噴水に水を引いていた。今は、水路が街の中心から郊外へとつなぐ道になっており、歩くことができるようになっている。水路や広場、通りの石畳、街中の石造りの建物など、街中を歩いていると時代が分からなくなってくる。中世の雰囲気を少しだけ感じられた旅でした。
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