2026年01月26日12時37分掲載  無料記事
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人権/反差別/司法

「共に生きる」を掲げて歩く──川口市で行われた「ごちゃまぜ川口 NO HATE MARCH」

1月11日、埼玉県川口市で市民グループ「ごちゃまぜ川口」が主催するデモ行進「ごちゃまぜ川口 NO HATE MARCH」が行われた。差別や排外主義に反対し、人種や国籍の違いを越えた共生社会の実現を訴えるこのマーチには、主催者発表で約1,200人が参加した。 
 
行進はJR川口駅周辺から西川口駅までの約5キロ。参加者は「この街にヘイトはいらない」「一緒に生きよう」などと書かれたプラカードを掲げ、音楽を流しながら市街地を歩いた。その様子は、抗議の色合いを持ちながらも、終始明るい雰囲気に包まれていた。(岩中健介) 
 
 
──排外主義の可視化に対抗する「可視化された連帯」── 
 
川口市を含む埼玉県南部では近年、外国籍住民、とりわけクルド出身者をめぐる排外的な言説やデモが社会問題として注目されてきた。インターネット上では誇張や誤情報が拡散され、特定の集団に対する恐怖や敵意が煽られる場面も少なくない。 
 
主催スタッフの一人で「埼玉から差別をなくす会」の中島麻由子さんは、次のように話す。 
 
「川口市ではあからさまなクルド人へのヘイトデモ自体は少なくなった印象ですが、『日本人ファースト』などの言説によって街全体のヘイト感情は逆に増えてしまっています。また、ヘイトの対象がクルド人だけでなく、中国系、イスラム系、ベトナム系などほかの国籍の人々にまで広がっている状況です」(中島さん) 
 
「ごちゃまぜ川口」が今回のマーチで示そうとしたのは、そうした排外主義の「可視化」に対抗する、もう一つの可視化だ。それは、差別を拒否し、共に生きることを選ぶ市民の存在そのものを、街の中で目に見える形にする試みと言える。 
 
主催者は、制度変更や直接的な政治要求を掲げるのではなく、まずは「ヘイトは容認されない」という価値観を共有する場をつくることを重視したとされる。 
 
 
──多様な参加者が示した“ごちゃまぜ”の現実── 
 
当日の参加者は、地元住民、学生、子ども連れの家族、高齢者、外国籍の人々など多様だった。プラカードには日本語だけでなく英語など複数の言語が見られ、「ごちゃまぜ」という言葉が単なる理念ではなく、現実の光景として立ち現れていた。 
 
沿道では、行進を見守る外国人や、足を止めて耳を傾ける住民の姿もあった。一方で、関心を示さない人々も含め、反応はさまざまだったが、それ自体がこの問題が社会全体に投げかけられていることを示している。 
 
川口市で外国人の支援活動に従事する米山功治さんは、今回のイベントについて「1200人もの人々が参加してくれたことは率直に評価できると思います。工夫を凝らした上で、この運動を定例化することができれば、さらに川口市民や外国人住民を巻き込んだ大規模なものへと発展していけるのではないでしょうか」と今後への期待感を示した。 
 
 
──分断の時代における市民運動の意味── 
 
ネット空間では、今回のマーチについて賛否が分かれている。人数の多寡や主張の妥当性をめぐる議論も見られる。しかし、こうした反応そのものが、日本社会において「共生」や「差別」が依然として論争的なテーマであることを物語っている。 
 
重要なのは、このマーチが単なる感情的な抗議ではなく、「排外主義に異議を唱える市民が確かに存在する」ことを示した点だろう。声を上げること自体が困難になりがちな空気の中で、街頭という公共空間を用いて意思表示を行った意義は小さくない。 
 
 
──共生を「理念」で終わらせないために── 
 
「ごちゃまぜ川口 ノーヘイト・マーチ」は、即効性のある解決策を提示するものではない。しかし、差別に対して沈黙しないという選択が、社会の底流で共有されうることを示した点で、象徴的な意味を持つ。 
 
今後、この理念が地域の対話や具体的な政策、生活の現場へとどう接続されていくのか。今回の行進は、その出発点として位置づけられるだろう。 


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