2026年03月30日17時28分掲載  無料記事
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問われる日本の対ミャンマー政策 映画「在日ミャンマー人〜わたしたちの自由〜」

 「異国に生きる〜日本の中のビルマ人〜」公開から早いもので13年が経った。当時私はミャンマーの最大都市ヤンゴンに駐在しており、日経新聞夕刊の映画紹介欄でこの映画を知り、思うことがあって家内に連絡した。彼女はすぐに友人を誘いポレポレ東中野で観た。映画に感動した家内たちはその足で高田馬場のミャンマーレストラン・ルビーに直行した。これが、この映画の主人公であるチョウチョウソー夫妻と私たちとの最初の出会いであり、その後のミャンマー支援活動の始まりである。(押手敬夫) 
 この映画は2012年の文化庁映画賞文化記録映画優秀賞を受賞し、その後全国各地で上映された。あの日から13年が経ち、土井敏邦監督は再びメガホンを握ったのがその続編と言える長編ドキュメンタリー映画「在日ミャンマー人〜わたしたちの自由〜」である。 
 その間にミャンマーでは、2021年2月に国軍のクーデターが起き、民主主義の回復に立ち上がった広範な市民の非暴力運動が軍によって残虐に弾圧された。民主派は軍政打倒をめざして軍事組織国民防衛隊(PDF)を結成、少数民族の軍事組織と連携しながら全土で国軍との戦闘を繰り広げている。 
 1月30日からアップリンク吉祥寺で上映開始した「在日ミャンマー人」を私達は公開翌日に観た。この手の映画故、観客の入りが気になったが、ほぼ満席で安心した。映画は3部編成で、その大半が土井監督のインタビュー形式の独特の編集で映画が始まる。 
 
 第1部は「異国・日本での闘い」。ここに登場するのは3人の在日ミャンマー人たち。最初はワナトンさん(男性)民主化運動に参加し国軍の拘束から逃れ日本に来た。彼は2つの飲食店を掛け持ちで働きながら、週末には都内の街頭に立ち母国の避難民支援の募金活動を続ける。映画では高田馬場駅前でハンドマイクを持ち懸命に支援を訴える姿が流される。 
 しかし多くの人々は彼らの前を素通りして募金箱に金は一向に集まらない。この無関心な行為を監督が尋ねると彼はこう答えた。「募金が集まらないことは気にしていない。それより自分の国にはまだ平和がないことを日本の人に訴えたい」 
 続いては名古屋で暮らすエイミィミィさん(女性)。クーデターから1年半後、彼女の母と弟は国軍の空爆で殺された。部屋には2人の写真が飾られ、毎朝仏前に料理を供え冥福を祈っている。これまで何度も自殺を考えたが、ようやく今は立ち直りミャンマー支援のため名古屋駅前の街頭に立つ。 
 3人目はレーレールィンさん(女性)。懸命な努力の末、2017年に外国人初の看護師として就職したが、同僚や患者の激しい差別を体験する。クーデター後は日暮里でミャンマー支援レストラン「春の革命」を創設、今は看護師とレストラン経営の二足のわらじで毎日奔走している。 
 看護師としての労働で疲れた体で街頭に立ち支援を呼びかける彼女の前にある日3人の制服を着た高校生が来てこう言ったそうだ。「お前らうるせい、国へ帰れ」まさに日本人ファーストを地で行く言葉に彼女は傷つき落胆するが、日本の未来を担う若者が本当にこれでいいのかとこの行為を今も残念に思っている。 
 
 第2部は「国境のミャンマー人」。ミャンマーとタイの国境の街、メーソットに建てられた学校名は「新しい血」、この凄まじい名前は子供たちが新しく生まれ変わることを願って名付けられた。国軍の空爆から逃れた700人が学ぶがその内200人は住む家がなく寄宿舎で暮らす。 
 その多くの子供たちには既に両親・兄弟がいない者も多く、インタビューに応えた1人がこう語った。「私には困った時に守ってくれる人がもういません。絶望して命を絶とうと思った時にこの学校と出会い、光が射したかのようです」。クーデター後にタイ側に逃れてきた中に1人の医師がいる。彼は避難民キャンプを巡回し、無料で医療活動を続けている。監督が彼に「難民」と呼んだらすかさずこう答えが返った。「私は難民ではない。私は革命家の道を歩み自らの意思でここに来た。どこにも逃げず最後までここで暮らす貧しい人を守りたい」 
 
 そして第3部は「ミャンマーと日本」。主演はチョウチョウソーさんであり、私が日頃からお付き合いがある識者の方々が次々と登場し、日本の関わり方を様々な視点から鋭く糾弾する。この第3部には土井監督のメッセージがあったと感じた。 
 軍事クーデターに抗議する在日ミャンマー人たちは、実は批判の矛先を日本にも向けている。日本政府はこのクーデターに関し表だった批判を封印し、日本独自の太いパイプを事あるごとに述べてきた。しかしこの太いパイプそのものが実は親国軍であり、ミャンマー国民を苦しめている存在なのだ。多くのミャンマー人が口にする言葉は「日本人の税金でミャンマー人を殺すな」だ。日本から渡る金の一部は国軍に流れ、その金がミャンマー国民を殺す兵器に使われている現実をミャンマー人なら誰でも知っている。在日ミャンマー人にとって日本は傍観者でなく共犯者、加害者の存在であることを多くの日本人は知らない。この映画で土井監督が訴えたかったのは実はこのことではないのか。 
 
 エンドロールが流れる中、民主化を求めるデモ行進の場面で3時間に及ぶ映画は終わる。BGMは土井監督がこの場面でどうしても使いたかったミャンマー革命歌「カバマチェブー(世界が終わるまで我々は諦めない)」が繰返し力強く鳴り響く。1988年8月8日、当時の軍事独裁政権打倒を掲げ数千人の市民が犠牲になったあの激しい民主化運動の中でミャンマー全土で歌われたこの歌、ラストシーンに相応しくこの映画を象徴する場面で思わず涙が出た。 
 
 この2月1日で悪夢のクーデターから5年が経った。当初は3カ月、せいぜい半年くらいで解決すると思っていたが、事態は好転するどころか一層混迷の度合いを深めてしまった。国に絶望し海外へ脱出した国民は600万人を超え、この数は実に総人口の1割以上に及ぶ。そして日本にも徴兵を逃れた多くの若者が押し寄せ、在日ミャンマー人は現在16万人を超えた。 
 軍政下のミャンマーは中国・ロシアの属国として生きることに国家の軸足を置き、その結果は再び世界の孤児への道を歩むことになるが、それは何と愚かな選択なのか。日本政府の言う太いパイプが結果的に国軍に曖昧な態度を容認し、ミャンマーを民主主義国家へ引き戻せなかった日本の責任は極めて重い。 


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