2026年09月07日13時05分掲載  無料記事
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政治

「ブーム」を追うな。必要なのは知性の悲観主義と意志の楽観主義だ

 最近、日本共産党の一部から、ドイツのDie LinkeやアメリカのDemocratic Socialists of America (DSA) の動きを引き合いに出して、日本でも同じような成長が可能だという話を聞く機会が増えた。SNSでの党関係者の発言や、地方での講演報告を見るたびに、私は違和感を覚えている。 
 
 「世界では左翼が注目されている」。確かにその通りだ。しかし、その「注目」が何によって生み出されているのかを無視して、「だから日本でも」と繋げるのは、もはや希望的観測の域を超えている。それは、自らの置かれた現実的な条件を直視することを放棄した、観念論的な楽観主義に他ならない。 
 
 党は、世界を「解釈」することと「変革」することの違いを、日本の左翼の歴史から学んでいるはずだ。ドイツやアメリカの現象をただ「解釈」して満足するのではなく、日本という具体的な土俵で「変革」をどう起こすかを問わなければならない。その問いを放棄したまま、海外の左翼に「希望」を見出しても、それは単なる逃避でしかない。そして、その逃避こそが、今の党を弱めている最大の要因の一つだと私は考えている。 
 
1.ドイツのDie Linke。歴史的・地域的事情を無視した比較 
 
 ドイツのDie Linkeは、なぜ一定の存在感を保てているのか。それは、マルクスが再評価されたからではない。もっと別の理由がある。 
 
 第一に、旧東ドイツという明確な地域的基盤だ。東西統一後も、東部は経済的に取り残された。Die Linkeは、その地域の不満と怒りを吸収する器として機能してきた。日本共産党に、そんな地域的基盤はあるだろうか。残念ながら、その答えはおそらく否であろう。 
 
 第二に、ドイツ社会民主党の「裏切り」の歴史だ。シュレーダー政権下での「アジェンダ2010」とハルツ改革は、社会民主党の伝統的な支持層を切り捨てた。その結果生まれた空白を、Die Linkeが埋めた。日本には、そのような「裏切られた大衆」が存在するのか。日本社会党は、片山内閣や村山内閣で政権を担った歴史を持つ。しかしその後の党は、自らの立場を曖昧にし、支持層との関係を弱めてきた。その空白は、れいわ新選組のような新しい勢力によって部分的に埋められてきたが、Die Linkeのような安定的な受け皿にはなっていない。 
 
 第三に、戦争と軍事化の現実だ。ドイツはNATOの最前線であり、ウクライナ戦争の影響を直接的に受けている。Die Linkeの反戦姿勢は、人々の生活に直結する恐怖と物価高に応えるものだ。日本は、自国が戦場になった経験を、八十年前に終えている。沖縄の基地問題は確かに重要だが、国民全体が「死の恐怖」を感じるような状況ではない。 
 
 そして第四に、Die Linkeはそもそも「一枚岩」ですらないという事実だ。2024年1月、Die Linkeはザーラ・ヴァーゲンクネヒト率いる一派が離脱し、新党BSWを結成した。分裂の原因は、移民問題やアイデンティティ政治をめぐる党内の対立だった。つまり、Die Linkeの「存在感」は、分裂後も旧東ドイツという地域的基盤に支えられているからこそ維持されているに過ぎない。日本にはそんな「セーフティネット」は存在しない。もし日本共産党が同じような内部分裂を起こせば、両派とも議席を失う可能性が高い。ドイツの左翼を「モデル」にするなら、このリスクも含めて語るべきだろう。 
 
 これらの違いを無視して、「ドイツではDie Linkeが頑張っている」と言うこと自体が、すでに誤った分析である。ドイツの事情はドイツのものだ。日本は日本だ。それだけの話である。 
 
2.アメリカのDSA。崩壊の産物を「希望」と取り違えるな 
 
 次に、アメリカのDSAを見てみよう。こちらもまた、日本共産党が「モデル」とするには問題が多い。 
 
 アメリカの若者がマルクスに関心を持つのは、マルクスが「正しい」と改めて思うようになったからではない。資本主義が彼らの生活を文字通り破壊しているからだ。大学に行けば一生返せない借金を背負い、病気になれば破産し、働いても家すら借りられない。この実体のない「豊かさ」の崩壊が、人々をして「何か別のもの」を探させる。DSAは、その「何か別のもの」の仮の姿に過ぎない。 
 
 そして、DSAはその「可視性」を得るために、多くの原理を妥協している。設立当初からのシオニストとの関わり、現在でも「大きなテント」の名の下に許容されているイスラエルによるパレスチナ虐殺への曖昧な態度。マムダーニのような人物がシオニストと協力する姿は、その象徴だ。民主社会主義とは、全ての労働者の国際的な連帯を掲げる思想であり、シオニズムのような排他的な民族国家建設とは本質的に両立しない。DSAは、その矛盾を抱えたまま「可視性」を選んだ。 
 
 日本共産党は、DSAの「見え方」に魅了されているように思える。しかし、その「見え方」の裏にある妥協の代償を、彼らは真剣に検討しているだろうか。原理を曲げてまで手に入れた「成功」を、党は本当に羨むのか。 
 
3.日本における「左傾化」幻想。社会経済的な現実の違い 
 
 日本共産党は、「世界ではマルクスが見直されている」と繰り返す。しかし、それによって何かが変わるわけではない。重要なのは、なぜ日本ではマルクスが「見直されていない」のかという、その社会経済的な理由を問うことだ。 
 
 日本の所得格差は、アメリカと比べればまだ小さい。失業率は低く、社会は相対的に安定している。人々は必死に生きているが、絶望しているわけではない。「もうダメだ」という切迫感が、アメリカやドイツほどには広がっていないのだ。 
 
 また、日本の労働運動は弱い。労働組合の組織率は17%を切り、その多くは企業別組合である。階級意識に基づく運動ではなく、企業内の「協力関係」としての組合が主流だ。大衆的な労働運動の基盤が、日本には存在しない。 
 
 そして、日本の宗教と政治の関係も、欧米とは質的に異なる。アメリカでは宗教的枠組みが政治運動の道徳的基盤となることが多い。ドイツにもキリスト教民主主義の伝統が深く根付いている。しかし日本では、公明党と創価学会の関係に代表されるように、宗教と政治の結びつきは確かに存在する。その結びつき方の質は、欧米のそれとは根本的に異なる。日本の宗教団体は、特定の政党と制度的に結びつくことはあっても、大衆運動の倫理的基盤として機能することは稀だ。 
 
 これらの違いを無視して、「世界の流れ」だけを語るのは、マルクス主義の基本である現実分析を放棄することに等しい。その姿勢は、党が本来重視すべき具体的な状況判断から遠ざかっていることを示している。 
 
4.日本共産党が「モデル」にすべきでない理由。そして、すでに持っているもの 
 
 ここまで来れば、結論は明らかだ。日本共産党は、Die Linkeでも、DSAでもない。そして、なるべきでもない。 
 
 党は、独自の歴史と社会経済的な基盤を持つ。その基盤に基づいて、独自の戦略を構築する以外に、道はない。外国の左翼を「希望」として語ることは、もはや自己欺瞞の域に達している。 
 
 しかし、私は悲観しているわけではない。日本共産党には、評価すべき実績もある。一つは、皇室典範改正問題における立場だ。保守派が六百年前に分かれた旧宮家の男系男子を復活させようとしたとき、党は最後まで男女平等の原則を貫いた。この立場は、左派だけでなく、中道や保守層の一部からも支持された。多くの国民が「これはおかしい」と感じた問題で、党はブレなかった。 
 
 これは重要な教訓だ。党は、理念を曲げずに、広範な国民の共感を得ることができる。その実例が、すでにあるのだ。 
 
 また、党には25万人の党員という、日本最大の左翼組織の基盤がある。地方議会での実績も積んできた。沖縄の基地問題や、憲法九条を守る運動でも、一貫した立場を取っている。これらの「財産」は、軽視できるものではない。 
 
5.これからどうするか。日本の現実に根ざした具体的な戦略を 
 
 では、何をすべきか。いくつか考えてみたい。 
 
 ただし、その前に確認しておきたい。まずやめるべきことがある。それは「ブーム」を追うことだ。海外の左翼政党が「盛り上がっている」からといってその成功に飛びつき、「ドイツではこれが起きている、アメリカではあれが起きている、だから日本でも」と語る。それは現実分析の放棄であり、逃避である。 
 
 だが、これとまったく同じ過ちが、党の情報発信の現場でも起きている。ある国会議員が、憲法関連の動画企画の動機を「憲法本ブームが来ているから」と説明していた。本来なら「与党が権力を濫用しているから」「平和主義が危機にあるから」と語るべき場面である。それを「ブームが来ているから」と語ってしまった瞬間、その発言は「私たちは本質ではなく流行に乗っている」と宣言しているに等しい。 
 
 考えてみてほしい。街宣で「米軍性暴力事件への関心が高まったから地位協定改定を求める」と言うだろうか。物価高騰で「国民の関心が高まったから対策を論じる」と言うだろうか。そんな大衆迎合的なフレーミングは、参政党でさえ使わない。にもかかわらず、なぜ党の国会議員が自ら率先して「ブーム対応」を宣言するのか。 
 
 海外の「左翼ブーム」を追うことと、国内の「憲法本ブーム」を追うこと。その両者に共通するのは、現実の切迫性ではなく、表面の熱気に反応するという反動性だ。この反動性こそが、党の主張を「流行に乗っただけ」と矮小化され、支援者の努力を無駄にする。アンチは「共産党は結局ブームに乗っているだけ」と切り抜き、拡散する。支援者は日々、荒らしと闘いながら「党は予てから護憲の立場で一貫している」と説明している。その努力を、議員自身が無自覚に損なう。 
 
 つまり、まずやるべき第一歩は、「ブーム」を追うことをやめることだ。その上で、以下の具体的な戦略に進むべきである。 
 
 第一に、海外の左翼の「成功」を語るのをやめることだ。それは、党員の士気を下げるだけでなく、現実分析を誤らせる。ドイツやアメリカの話をするよりも、日本の具体的な課題に向き合うべきだ。 
 
 第二に、イデオロギーを超えた共感を得られる問題に積極的に取り組むことだ。例えば非正規労働者の賃金引き上げは、「左派の主張」と片付けられがちだが、「地域経済の購買力を維持する生存戦略」として再定義すれば、保守層も「商店街を守る」観点から共感できる。皇室典範改正で党が示したように、理念を曲げずに広範な共感を得ることは可能だ。沖縄の基地問題も、原発再稼働も、子育て世帯の貧困も、同様に「これはおかしい」と多くの人が感じる問題である。党は、そうした問題で明確な立場を示し、行動で示すべきだ。 
 
 第三に、労組や市民団体との連帯を深めることだ。既存の枠組みにこだわらず、実際に困っている人々のそばに立ち、共に闘う姿勢を見せること。それが、信頼を築く唯一の道だ。 
 
 第四に、若い世代と向き合うことだ。SNSやデジタルメディアを活用した新しいスタイルの組織化が、他の勢力によって試みられている。日本共産党も、自らの歴史と理念を、現代の言葉で語り直す必要がある。 
 
 最後に、選挙戦略を再考することだ。完璧な候補者を立てることよりも、どのようにして共闘し、どのようにして議席を増やすかを、現実的に考えるべきだ。理想を掲げることは重要だが、その理想を実現するためには、議席という「力」が必要だ。 
 
6.おわりに。知性の悲観主義、意志の楽観主義 
 
 イタリアのマルクス主義者グラムシは「知性の悲観主義、意志の楽観主義」という言葉を残した。つまり、現実を直視することは時に辛い。しかし、だからこそ、その現実を変えようとする意志を持たなければならない。 
 
 人はとかく、「世界の流れ」や「歴史の必然」といった大きな物語に逃げたくなるものだ。ドイツではこれが起きている、アメリカではあれが起きている、だから日本でも。そのような思考は、時に心地よい。しかし、それは行動から遠ざける。 
 
 日本共産党は、今、その「知性の悲観主義」を欠いているように見える。現実を直視せず、海外の事例に安易な希望を見出している。それでは「意志の楽観主義」も、ただの根拠のない楽観論に堕してしまう。 
 
 党には、まだ可能性がある。25万人の組織、地方での実績、そして歴史的な理念。それらは、まだ生きている。問題は、それらを「行動」に変える政治的意思があるかどうかだ。 
 
 ドイツでもアメリカでもない。日本で、日本共産党が、日本の労働者や市民と共に闘う。その当たり前のことを、党はもう一度、自らに問い直すべき時だ。 
 
 海外の左翼に「希望」を見るのではなく、自らの足元にある現実を見つめ、その現実を変えるための具体的な一歩を踏み出すこと。それが、今、求められていることだ。 
 
 寄稿者:YouTube「Red & Rising」チャンネル運営者。日本共産党の党員ではなく、批判と連帯を両立する立場から執筆。 
 
 https://www.youtube.com/@RedAndRising 


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