2026年09月11日22時49分掲載
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佐藤藤三郎『狸森物語 山あいの村の戦後史』を読んで 山村から戦後80年を思う 天明伸浩
山形の山奥で90年間農民として暮らしてきた佐藤藤三郎さんがこれまでの人生を書き記した本を出版しました。
藤三郎さんが全国に知れ渡ったのは、戦後まもなくの農村の現状を書いた『やまびこ学校』の級長として登場したからでしょう。やまびこ学校に描かれた山村の暮らしは、農村で暮らす若者に大きな影響を与えました。多くの農村の若者にとってはやまびこ学校の農村が自分事に感じられ、その生き生きとした文章に飾り気の無い本質を感じ取ったことが窺えます。戦後の農村の出発点を克明に描いてます。
終戦後の山村は貧しくて、人々の暮らしは厳しい物でしたが、やまびこ学校を再読すると、無着先生の元で中学生たちが真剣に自分たちの暮らし、社会、人生を見つめています。
その真剣なまなざしを一生続けて多くの文章(作文)を書き続けたのが藤三郎さんですが、今回の著書はその集大成ともいえます。農業ジャーナリストの大野和興さん西沢江美子さんが編集と解説を書いています。
「狸森」と書いて「むじなもり」と読ませます。古くからある地名で、かつては狸(むじな)森村でした。出版された『狸森物語』では佐藤藤三郎さんが歩んできた山形の雪深い山間地の農村の戦後の歩みが俯瞰できる書籍ですが、山形だけで無く、全国の山村に当てはまります。
蚕や牛飼いは私が住む新潟の山間地も同じです。私がブルーベリーを植えている園地は、かつて村で共同で作った桑畑。皆で取り組みはじめると繭の価格が暴落して、その桑園は荒れ地になっていました。また、私が平飼い養鶏やっている建物も、共同で牛を飼うために建てた牛舎ですが、牛肉の自由化などもあって牛飼いは数年で止めて空き屋になっていました。日本中の山村で同じような事に取り組み、夢破れていった人が沢山いたのでしょう。
農地解放や水利権など田んぼをめぐっての騒動や、村人が山を下りるときに人々が抱える苦悩も描かれています。これまで幾度となく村で聞いてきた話と重なり、山村で暮らす人々の複雑な心境が描き出されています。
その一方で、戦後まもなくの乏しかった村での暮らしは、近くを国道が通り、家も現代的になり、床暖房や冷房のある豊かな生活を送って、現在の暮らしのありがたさも書き記されています。戦後の村はかつての貧しさからは脱却しながら過疎が進んでいくという複雑な状況に置かれたのです。
私たちが現在、見ているのは山村の崩壊です。多くの山村で子どもの声は聞こえず、これから10年ぐらいで消滅していきます。政府は山村が消滅することを時間の経過によって行ってきたと言えるでしょう。
藤三郎さんご夫婦は暮らすだけでも厳しい山間地で生き抜いた農民です。狭い農地を耕しながら、農地と村を守り、子どもたちを立派に育てたのです。藤三郎さんのようにまじめに山間地の農業を守ってきた人々に報いること無く非効率だと切り捨てようとしています。今からでもその大切さに気づいた人々で村を作り直すことは可能なのでしょうか?
山間地の暮らす人々は、ほぼ無償で国土の保全を行ってきました。人々がそこで暮らすだけで山の崩壊、獣たちへの防御を行ってきましたが、山村で暮らす人々が果たしている役割に気づけない都会の人々に、牙をむくことになるでしょう。
アジア太平洋戦争の大きな惨禍の経験から、平和憲法が作られ、平和国家として歩んできた戦後80年の国の仕組みが、革命でも起きたかのように大きく変えられています。戦争国家への変質と山村の崩壊も、戦後のスタートしたときの思いの忘却が根元にあります。
辺境から社会を見る、そこに時間の積み重なりも加わると、「真実」が見えてきます。経済性を最重視するという、人生にとってはどうでも良い、むしろ脇に置いておかなければいけないことに血眼になって、大切にしなければいけないことをないがしろにしている社会になっていることに改めて気付かされる。
筆者は新潟県上越市、農民。
社会評論社、2026年5月刊 2300円+税
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