2026年11月03日13時31分掲載
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農と食
米は足りていた、数字の上では(中)数字は過去の結果に過ぎない 李憲彦
ここからが、本稿の中心である。国が自ら書いた検証がある。2026年5月に公表された『令和7年度 食料・農業・農村白書』の、米価高騰をめぐる検証である。そこに、「生産量が足りていると認識していました」という一文がある。
4. 米は、足りていた。数字の上では
なぜ足りていると思ったのか。白書は理由も書いている。米の消費はこれからも減り続けるという前提で、需要を見通していたからだ。何十年も続いてきた線を、そのまま先へ延ばしたのである。
けれど、線の外で変わっていたものがあった。外国からの旅行者が戻った。家庭で米を買う量が増えた。暑さで傷んだ米は、精米すると歩留まりが落ち、同じ玄米から取れる白米が目減りした。白書によれば、その分だけで、2023年産でおよそ10万トン、2024年産でおよそ6万トン(玄米換算)、必要な量が増えている。茶碗の上では、足りなかったのである。
白書は続けて、足りていると認識していたために、流通の実態をつかむことに消極的だったと認めている。足りていると思ったから、見に行かなかったのである。
見え方を決めていたのは、線だけではない。米を数える網の目もそうだった。
国の統計は、収穫した米をふるいにかけ、網の目から落ちる小さな粒を除いて、残った粒の重さを量る。その網の目は、1.70ミリだった。ところが、農家が実際に使う網は、1.80ミリから1.90ミリである。0.1〜0.2ミリの違いで、国の網では「米」に数えられる粒が、農家の網では落ちる。暑い夏には、粒が十分に太らず、小さな粒が増える。だから、暑い年ほど、統計の数字と田んぼの実感が離れていく。
2025年産の米を二つの網で量ると、1.70ミリでは746万8千トン、農家の網では718万1千トンになる。その差は、およそ29万トン。同じ田んぼの、同じ秋の米が、網を替えるだけで29万トン動くのである。
ふるいにかける、 という言葉がある。選ぶことは、落とすことである。数えるとは、何かを残し、何かを捨てることだ。数字とは、そうして選び残されたものにほかならない。
1.70ミリという網目にも、理由はあった。主食用として出回る可能性のある玄米を、漏れなくつかむための網目である。実際、その隙間の粒の一部は主食用にも流通している。どちらの網が需給を測るのに正しいかは、簡単には決められない。ただ、国の網が、農家が収穫に数えない粒まで数えていたのは確かであり、その網の目が見直されたのは、棚が空になったあとだった。
五 数字は、いつも去年を見ている
ここで、さきほどの「全員」をもう一度見直してみる。
農家は、去年の値段を見て今年の作付けを決めた。国は、これまで何十年の線を延ばして需要を見通した。米の出来を表す「作況指数」は、過去30年の傾向から割り出した「平年」を物差しにして、今年の田んぼを測っていた。卸も業者も、去年の不足を覚えたまま、今年の米を競って集めた。とれた量が、まだ数字になる前からである。
2025年、量が増えても値段が上がったのは、このためだ。白書も、需要を上回る供給量が確保されていたにもかかわらず、前年夏からの不足感で集荷競争が激しくなり、生産量が分かる前から集荷価格が大きく上がったと記している。
全員が、手元の数字に従って、正しく動いた。数字のほうが、去年を見ていたのである。
なぜ、そうなるのか。数字は、起きたことの記録だからだ。値段は昨日までの取引の結果であり、統計は去年の田んぼの結果であり、見通しはこれまでの線の延長である。情報は、いつも過去から届く。未来から届く数字は、一つもない。先物の値段でさえ、いま、過去を見ている人たちがつけた値段である。だから、数字で動く仕組みは、市場であれ国であれ、必ず過去で未来を動かしている。
国は2025年産から作況指数をやめ、新しい「作況単収指数」に移った。農家の網で量った収穫量も公表するようにした。比べる「平年」も、過去30年の傾向から、前年産までの5年のうち3年の平均に改めた。過去を見る窓を、短くしたのである。筋の通った直し方だ。
けれど、5年でも、過去は過去である。遅れは短くなる。なくなりはしない。
六 市場の時計と、田んぼの時計
冒頭の問いに戻ろう。米はなぜ足りなくなり、今度は余るのか。
答えは、時間である。
市場の時計は速い。値段は毎日動き、不安が広がれば、棚はたちまち空になる。工場なら、それでも困らない。今週の注文を見て、来週の生産を変えられる。しかし、田んぼの時計は遅い。一年に一度しか答えない。一度植えたら、その年はもう直せない。
このずれは、ずっと前からあった。ふだんは、倉庫の在庫がそのずれを吸収していた。在庫とは、速い時計と遅い時計のあいだに置かれた、蓄えの時間だと言ってもよい。2020年から21年にかけて積み上がった在庫は、23年から24年にかけて取り崩され、足りない分を埋めた。白書も、民間の在庫を取り崩して供給を確保せざるを得なかったと書いている。
そこへ、コロナが来た。外食が止まり、米が余った。3年後、旅行者が戻り、米が足りなくなった。一年に一度しか答えない田んぼにとって、逆向きの二つの揺れは速すぎた。コロナが米騒動を起こしたのではない。もともとあった時計のずれを、表に引きずり出したのである。
国の仕組みもまた、遅い時計でできていた。政府の備蓄米は、法律の上では、米の生産量が減って供給が足りなくなる事態に備えるためのものである。その法律、食糧法ができたのは1994年。冷害などで作柄が大きく落ち、259万トンの米を緊急輸入した1993年、いわゆる平成の米騒動の翌年だった。
今度の不足は、不作から来たのではなかった。白書によれば、作柄はほぼ平年並みで、不足は需要の見通しと実績のずれから生じている。仕組みは、前の米騒動の形をしていたのである。白書は、「不作時に備蓄米を放出する」というルールのもとで、放出の時期が遅れたことも認めている。
だから、どの手も後手に回った。揺れは、小さくならずに、大きくなった。これが、米が足りなくなり、今度は余る理由である。(「下」に続く)
(ドキュメンタリスト、映像作家)
【注】
本原稿は動画にもしています。(10月31日公開予定)
令和の米騒動に、犯人はいなかった──なぜ米は高騰し、今度は暴落したのか
https://youtu.be/KynF41e826U
主な資料
•大野和興「あのコメをめぐる右往左往は何だったのか(上)(下)」日刊ベリタ、2026年9月16日
•農林水産省『令和7年度 食料・農業・農村白書』米価高騰の検証、2026年5月29日公表
•農林水産省「令和8年9月の米の相対取引価格について」2026年10月16日
•農林水産省「公表内容の見直し(作況指数から作況単収指数への移行)」
•農林水産省 食料・農業・農村政策審議会 食糧部会「政府備蓄米の運営について」
•JAcom「26年産主食用米 741万t 需要見通し30〜48万tオーバー」2026年10月14日
•先端農業マガジン「米の需給と価格2026」
•『精選版 日本と国語大辞典』「篩」
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