2013年12月15日23時43分掲載  無料記事
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コラム

パリのアパートの扉〜一つ間違えると近所迷惑に〜

  パリのアパートで暮らし始めて、次第に分かってきたことは周辺の住民たちは週末になると、夜中に大騒ぎをするということだ。特に深夜に歌を朗々と歌ったりする。しばしばうるさくて睡眠の障害ではあるのだが、人間らしさもあって決して嫌いではなかった。 
 
  ところが・・・。ある日、大家さんからEメールが届いた。「ドアに問題でもあるの?ドアはそっと閉めないとダメ。あなたが大きな音を立てるので、アパート中に響いて困ると言って苦情が来たのよ」 
 
  驚いた。苦情を言うのはこっちだと思っていたら、当方が騒音の迷惑をまき散らしているというのだ。なんだか裏切られたような気がした。あなたたちに僕を非難する資格があるの?・・・もちろん誰が苦情を言ったのかは知らない。最初はムッとした。だが、そう言われてみれば確かにドアの閉まりがよくないため、習慣的に力いっぱいドアを閉めるようになっていた。でも大したことはないと思い込んでいたのだ。数日前の早朝に出かけたときに、うまく閉まらないので3度くらい力いっぱい閉めたことがあったが、それが苦情の決め手になったのかもしれない。 
 
  なぜドアがうまく閉まらないのか、じっくり観察してみた。ドアの内側に垂直に太い金属棒があり、鍵を回すと、その棒が下がって床に空いた小さな穴にすっぽりはまることで施錠される。ところがなぜか、下の穴がほんのわずか金属棒が上下に動く軌道からずれているのだ。だから金属棒が穴にはまらずつっかえてしまう。それでも勢いよくピシャッと閉めると、棒が勢いで押し込まれて穴に何とかはまる。だから、棒と穴のずれを直す必要がある。こうした場合、修理費用とかはどうすればいいのだろう。ともかく実情を大家さんにEメールで伝えたら、その夜、すぐに大家さんのご主人がツールという町から高速列車TGVに乗って自ら修理にやって来てくれた。 
 
  大家さんの家はパリの南に位置するのツールにある。パリからTGVで1時間、各停で2時間だ。ご主人のファビアン氏はパリでIT関係の仕事をしているため週日はパリのアパートで過ごし、週末だけツールの自宅に帰ると言う単身赴任生活をしている。その夜、パリに戻るついでにわが住まいに駆けつけて来てくださったというわけだ。彼は数学が専門で理系の人間だと聞いた。 
 
  彼はドアの鍵と鍵穴をじっくり観察した。確かに穴が少しずれている。「なるほど、あなたの言う通りだ」そこで彼は持参した七つ道具で穴の周辺を削り始めた。次にドアの縁を削り始めた。ドアは遠くから見ると重厚でアンタッチャブルに見えるが、間近に見ると木製の板を張り合わせたものに過ぎないのだった。ご主人はナイフをハンマーで叩いて、ドアの縁を削っていく。というのもドアの閉まりが悪いからだ。特に下の方がすっと閉まりにくい。しかし、ドアを削ると言う選択肢は想定外だった。そんなことしていいのか?と内心僕は思った。でも、彼はこの一室のオーナーなのだ。ドアをどういじろうと彼の自由である。それに、ドアは先述の通り、いくらでも必要なら買って来て付け替えることができるもののようだ。 
 
  最後に彼はドアの下にはまっている床の金属枠が歳月で隆起していることこそ真の原因だ、と気づいた。金属枠が隆起したことでドアが上方に圧力を受けて傾き、その結果ドアが閉まりにくくなっていたことがわかったのだ。彼は床の金属枠をハンマーで叩きはじめた。こんな風に次々とわかり次第に猪突猛進していくのはフランス人の二大特徴の1つ、いわゆる「エスプリ・ゴロワ(ガリア人気質)」というものだろう。 
 
  ガリア人はローマに征服されたフランスの先住民族で、征服者のローマから見れば蛮族である。だが、運転でもハンドルを握ると熱くなるフランス人が多い。これもエスプリ・ゴロワだと言われている。フランス人にはこのような豪放磊落な気質と、一方でそれと対照的な「エスプリ・クルトワ(宮廷気質)」と呼ばれる上品でいささか気取った気質があり、それら2つが分かちがたく混ざりあっていると言われている。 
 
  その時、すでに夜の9時近かった。しかし、彼は騒音の苦情の心配などまったくせず、必要なだけ音をがんがん立てて作業を進めた。彼の姿勢は明快だった。苦情になっている騒音をなくすためにやっている、という一点である。そこには大義があるのだ。これはパリの住民にはOKなのかもしれない。音はアパート中に鳴り響いていただろう。フランス人である彼がこの一件で非難されていた僕の側に立っていることをこうして態度と行動で伝えているような気がして大いに勇気づけられた。 
 
  彼の額に汗がだくだく流れていた。ドアはついに完璧に直った。これには感激した。フランス人の何たるかを目の当たりにしたように思えた。オーバーに聞こえるかもしれないが、その時僕は本当にそう思ったのだ。オーナーの彼も喜んでいた。 
 
  「私は満足だ」 
 
  彼はそう言って笑みを浮かべると、道具を片付け、僕と握手をして、「それでは」とスーツケースを抱えて去って行った。 
 
 
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