2016年05月26日02時45分掲載  無料記事
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コラム

バンコクで犬を飼う タイの犬事情 宇崎真(バンコク在住のジャーナリスト)

  タイにも愛犬家は実に多い。犬種もまた豊富だ。シベリアンハスキーも多く見かける。その点では日本と余り変わりないように見える。だが、決定的に異なる点がある。それはどこにも「野良犬」がたむろしているように見えることだ。その反対に犬そのものを殆ど見かけない地方がある、ということだろう。それは最南部三県のイスラム社会、そして東北タイに点在するベトナム人社会だ。前者は宗教上の理由で後者は食習慣に由来する。 
 
  筆者がタイで犬を飼い、自他ともに認める愛犬家となってからタイ社会と日本社会の違いをより明瞭に認識するようになった、といっても過言ではない。タイでは飼い犬と「野良犬」の境界線が緩やかである。飼い犬でも「放し飼い」していて歩道や車道に自由に出てくる飼い犬が多いのだ。一方「野良犬」でも特定のオーナーがいないというだけで数軒とか十数軒の住民が餌を与える、あるいは仏教寺院が養っている犬が膨大な数にのぼる。これらは「コミュニティー・ドッグ」と呼ぶしかない。 
 
  筆者が犬と19年余暮らしてみてはっきり分かったのは、動物にとって最も大事な生存条件は一に飢えがない、二に安眠の場、この二点に絞られるということだ。これは考えてみれば、人間だって一緒だ。飢える心配がなく安心して眠れる場所が確保できれば、基本的にその動物は生きていけるし幸福でもある。これが決定的な条件であり、それ以外のことはあくまで副次的、付随的条件にすぎないと思うようになった。 
 犬は長い長い歴史のなかで人間が狩猟、愛玩、用務のために作り変えてきてしまった生き物だし人間社会の懐にまで入り込んでしまった存在である。だから人間社会のありようを映す「鏡」でもある。犬の置かれた環境、条件を見つめればそこの人間社会が浮き出てくるものなのだ。 
 
  タイを初めて訪れた多くの日本人の目にはたむろする「野良犬」は怖いのだろう。うろつき、時に吠え、不潔だし狂犬病をもっているかもしれない、と恐れる。なかには通り過ぎる車やバイクを追っかけて威嚇する犬もいる。 
   だが、筆者のみるところ、怖いのは「金持ち」に飼われている番犬である。立派な門構えの邸宅から不意に飛び出してくる番犬、これは用心がいる。見知らぬ相手には攻撃してよいと「訓練」されているし散歩もさせてもらえず欲求不満の犬が結構多いのだ。オーナーと一緒に嬉しそうに歩いている犬に嫉妬心で腹をたてる。それがスキをみて猛然と襲いかかってきたりするのだ。筆者は無性に喜ぶ愛犬ポチの姿を見んがために朝夕の散歩をさせ、バンコクの閑静な住宅街でこれまでに三度番犬に襲われ、一回はポチが噛まれ、二回はポチをかばった筆者が噛まれるという経験を味わった。いずれも襲ってきたのは豪邸の番犬だった。 
 
  その内の一軒はトンロー通りに面した邸宅である。「狂犬病予防注射の証明書があるかどうか」を確かめに行ったところ住人らが高い門を締め切りなかで「どうせカネをせしめにきたのだろう、ほっとけ」と大声で言い合っているのを耳にした。咄嗟にどうにも許せなくなり「門をあけろ。さもなくば塀を超えて入っていくぞ」と叫び「越えられるものならやってみろ」の声を聞くや否乗り越えて押し入ったこともある。周囲の友人らは目を丸くして「よく撃たれずに済んだものだ」と言ってきた。 
 
   一方「野良犬」からはこれまで多少の危惧を抱くことはあっても身の危険を感じたことは一度もない。人間が野良犬を注意して見る以上にかれらは人間を注意して見ている、経験則から分析もしている。瞬時にその人間が危険であるかどうか見分ける。臭覚は人間の1万倍から十万倍という研究者もいれば百万倍という研究者もいる。肉脂にかんしては1億倍とさえいわれる。しかも特定の臭いを嗅ぎ出す能力もある。だから麻薬犬にもなり、最近では尿からガンの初期生成をも嗅ぎ取るガン探知犬も実験的に育てられている。だから、オーナーの気分、喜怒哀楽のそれぞれの生理的な諸現象をも臭覚で理解して不思議ではない。野良犬にとっては付近を往来する人間の臭いから安全かどうか、餌をくれるかどうか、可愛がってくれるかどうかを瞬時に判断しているに違いない。 
 
 「コミュニティー・ドッグ」が膨大な数にのぼるタイ社会は、犬を決定的には追い詰めない社会ともいえる。オーナーが飼育を放棄して犬を捨てるとしても、多くが離れたお寺に預かってもらう、あるいは行政やNGOが管理する収容センターに届けることになる。それらは決して整った環境とはいえないが殺処分はおこなわない。とうの昔から殺処分ゼロである。 
 最近タイ人の日本への観光旅行はまさにブームである。東京の電気製品量販店で日本語、中国語のあとにタイ語の店内アナウンスを聞いた時にはここまできたかと実感した。リピーターも多い。タイ人の愛犬家が日本の印象を「路上は綺麗で野良犬もいなかった。動物の管理が行き届いているに違いない。感心した」と言うのを聞いた。日本人の多くはタイの「野良犬」を怖いと恐れ、タイ人の多くは日本に野良犬がいないのをすごいと感心する。いずれも大きな誤解の上に成り立っている。 
 
  最新の環境省発表によると日本全国で殺処分された犬は21,593頭(2014年度)。一日あたり59頭が殺処分されていることになる。これでも大変な数字であるが過去をたどれば驚愕すべき事実に突き当たり身震いさせられる。この30年間をとるとなんと約1千万頭の犬が行政の手で殺処分になっているのだ(過去の環境省発表を基に筆者計算)。保健所に収容されて約一週間引き取り手が出なければ「ガス室」に押し込まれ殺される。二酸化炭素ガスを徐々に入れ窒息させる。「麻酔作用が働き、犬は意識不明となって死んでいくので苦しみが少ない方法」と役所は説明する。ガスが充満する小さな密閉庫は「ドリームボックス」と呼ばれたりする。だが実際に目撃したひとの目にはあまりにむごい光景が繰り広げられる、という。諸外国から「犬にとって日本はアウシェビッツ収容所のようだ」と言われてきたがそこには根拠がある。 
 
   その殺処分をゼロにしようという運動がこの十年余の間に実効をあげてきたとも聞く。それは「熊本方式」ともよばれる官民一体となった取り組みだ。無責任で身勝手な飼い主からの持ち込まれる「飼育放棄」「殺処分願い」には決して安易に対応しない。里親に対しては犬の避妊手術の励行、行政と民間(獣医、ペット関連業者、動物愛護団体など)の協働とその基礎になる真剣な話し合い等などを続けてきた。2001年には熊本市で567頭の殺処分をおこなっていたのを十年間で6頭にまで下げ遂に2014年にはゼロを達成、全国の先進例として知られるようになる。 
   今年4月の熊本地震が発生したとき人の被害の次に犬猫の被害はどうなるだろうかと、気が気でなかった。動物を愛すれば愛するほど悲しむこともまた増えていく。 
 
 タイは殺処分がなく、大きな地震もなく、原発もない。それだけでもタイの犬にとっては幸せなのだ。コミュニティー・ドッグののんべんだらりとした姿を見るたびにそう考えるようになった。 
 
 現タイ国王が生まれたばかりの野良犬を育て寵愛したことは有名だ。トンデーンと名付け公式の席にも連れて出たりしてした。2002年には国王が書いた本「トンデーン物語」が65万部のベストセラーとなった。2015年にトンデーンは死んだが、「クン・ドンデーン・ジ・インスピレーション」という題名のアニメ映画が2016年製作された。 
  だが一方では犬肉を主にベトナムに密輸する業者が野良犬、飼い犬の区別なしに捕まえトラックで運ぶ事例が後を絶たない。だから愛犬家は犬泥棒と犬さらいの二つを警戒しなければならない。 
  ペット医療のシステムは進んでいて、チュラルンコーン大学獣医病院には犬の眼科専門医がいる。タイの経済は現在停滞しているがバンコク始め都市部の中間層は増大、日本観光を含む旅行にでかける人は目立って多くなった。いきおいペットホテルが増える。 
 
  タイにはタイ独自の犬種がある。タイ・リッジバックドッグといい背中に馬のたてがみ状の毛筋という特徴がありで元々は狩猟犬で野兎や鹿を追っていた。タイ王室が育ててきた犬でもある。性格は従順で忠実だとされている。 
 
宇崎真 (バンコク在住 ジャーナリスト) 
 
 
■バンコクで犬を飼う 私たち夫婦と動物たちとの生活が始まった 宇崎真(ジャーナリスト) 
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■タイのバンコクで読む剣豪小説の味わい 1 バンコク在住 宇崎喜代美 
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