2016年07月31日04時28分掲載  無料記事
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中野好夫著 「シェイクスピアの面白さ」  シェイクスピア没後400周年  近代演劇とは何だったのか  

 今年は英国の劇作家ウイリアム・シェイクスピアが亡くなって400年目。1616年に亡くなっているから、日本の歴史で見ると江戸時代が始まったばかりの頃になる。そんな古い作家でありながら、今日でもシェイクスピアは世界各地の劇場で上演され、観客を魅了している。しかし、日本のシェイクスピア劇についてみると、最近は今一つ低調になっている気がする。そこで日本のシェイクピアの研究者の1人として知られる中野好夫氏の「シェイクスピアの面白さ」を手にしてみた。 
 
  中野好夫氏(1903年 - 1985年)は東大英文科の教授だった人物で実際にシェイクスピアの翻訳家でもある。シェイクスピアの研究者・翻訳者にはもっと後の時代の小田島雄志氏や、松岡和子氏もいて、それぞれ優れた翻訳を出している。しかし、中野氏の本書を読もうと思ったのは1903年生まれの中野氏は脂の乗り切った30代から40代が戦争と重なり、中野氏のシェイクスピアの「面白さ」はあの時代の世相と政治がもたらした帰結の真の恐ろしさを経たものだと思われるからだ。シェイクスピアの劇では魔女たちが鍋で何かを煮炊きしながら呪いを込めると、血なまぐさい戦争が起きたりする。 
 
  「以下一連のこの雑文は、どこまでもシェイクスピアの面白さについて書くのであって、シェイクスピアの偉大さや深遠さについて書くのではない。」 
 
  冒頭をこう書きだした中野氏は本書では芝居の面白さに絞って語る、という方針を掲げており、そういう意味でたとえば「ジュリアス・シーザー」の中のブルータスとアントニーの演説の比較をしている箇所の解説は、よく知られたところかもしれない。というのは筆者が小学生か中学生だったかその当時の国語の教科書にそのくだりが部分的に掲載されていたのを覚えているのだ。 
 
  独裁者になろうとしていたシーザーを暗殺した理由をまじめに論理的に語って群衆を納得させたブルータスに対して、そのあと登壇したシーザー側近のアントニーはブルータスらの動機は理解できるとして群衆の心の抵抗を取り去ったうえで、シーザーが過去にいかにローマのことを思っていたか、具体的なシーザーの思い出を1つ1つ語り、一時はブルータスになびいていた群衆の心を完全に自分の陣営に引き付けてしまうのである。このくだりを中野好夫氏は提示しながら、シェイクスピアの作劇術の巧みさを語ると同時に、どのような演説が群衆をより深くつかまえるのかも語っている。大学教授のようなブルータスの論理的に正確な正論よりも、群衆の感傷にアピールしたアントニーはより深く群衆の心理を知っていた、というのである。 
 
  シェイクスピアの40ほどの戯曲の中には「ロミオとジュリエット」のような恋愛悲劇や「夏の世の夢」のような牧歌的なロマンスの劇もあるが、一方に「リチャード3世」や「マクベス」、「ジュリアス・シーザー」のような政治劇の系譜もある。これらの政治劇は演劇として何よりも面白いが、政治について深い洞察を持っている。政治学の生きた教科書と言ってもいいくらいなのだ。(以前、「リチャード3世」について日刊ベリタに書いたことがあったが、「リチャード3世」は独裁者との戦いを描く優れた政治劇であり、シェイクスピア劇の中では最も世界でよく上演されるものの1つであるようだ)。中野氏は本書で芝居の面白さ以外の事はあえて語らない、という方針を取った。ただ、シェイクスビアの面白さの背景としてエリザベス1世の統治というものがあり、女王のエリザベス1世こそシェイクスピアを生んだ英国ルネッサンスの豊かさを象徴する人物だったと中野氏は脱線して語り始める。 
 
  「なんといってもシェイクスピア作品の面白さと結びつくのは、エリザベス朝の社会的雰囲気、そして思想的姿勢ということであろう。しかも、それはどうやらエリザベス1世という稀に見る興味深い一人の女の性格像と、決して無縁ではないように思えるのである。1つの時代を、こんな風に特定の人間、いや、個人と関連させて考えることには、たしかに危険のあることを知っているが、しかし、とにかくこのエリザベス1世という女帝は、知れば知るほど人間としてとてつもなく面白い」 
 
  エリザベス1世の父親はヘンリー8世であり(同名の作品がシェイクスピア作品にある)、実の母親アン・ブリンを父親であるヘンリー8世に処刑されている。そんな家庭的な悲劇を少女時代に体験したという。血なまぐさい経験を数々経て世に出た。そのためだろう、彼女は懐が深く、知恵もあったと言う。シェイクスピアが血なまぐさい政治劇の傑作を書けたのも、「ばら戦争」のような戦乱や政争の時代の後の安定したエリザベス女王の時代だったからのようだ。エリザベス女王には「不決断」と「空とぼけ」という政治技術があり、決して本心を人につかませない技術にたけていたそうである。 
 
 「たしかに真実決断に悩むという面もあったが、より多くは、実に深く確たる判断を蔵しながら、外面はあくまで決定的な意志らしいものを見せない。それだけに相手は焦らされる。その間に巧みに情勢を有利に発展させようというのである。彼女のような数奇な生立ちを経験してきた人間にとっては、人心の頼み難さということは、いやほど身にしみて痛感していたに違いない。」 
 
  策略に満ちた英国の厳しい政治環境の中でエリザベス女王がバランスを取りながら、注意深くカタストロフィを避けてきたことは、シェイクスピアにも影響を与えているのかもしれない。世界は錯綜しており、どういう進路を取ればよいのか、その選択は難しい。と同時に、選択は時期を逃さず、最適なタイミングで取られなくてはならない。その時期を外さないためにはとぼける政治技術も必要だ。このような一種のストレスフルで錯綜した時代を生きるのは難しい。そうした難しさを体現している人物が、デンマークの古城を舞台に、亡き父の敵を討つべきかどうかで迷うハムレット王子である。王だった父親は陰謀によって叔父に殺害され、その叔父が王となり、しかも後家となった母親と結婚しているのだ。腐敗した宮廷を倒すために立ち上がるべきか、忘却するべきか。そして古城には亡き父という亡霊が出没してハムレットに敵を討て、とそそのかす。 
 
  中野氏は「ハムレット」の有名なセリフ、「To be, or not to be,that is the question」は日本では「生か死か、それが問題だ」と訳されるのが習わしだが実際の「To be ,or not to be」は必ずしも「生か死か」だけを問題にしているのではないという。 
 
「たしかに独白のあとを読むと、彼が死、あるいは自殺について考えていることが事実だが、ここで彼が疑惑、不決断の巌頭に立たされている問題は、決して単純に生死だけの問題ではない。第一には亡霊そのものが果たして真に父のそれか、それとも悪魔の見せるまやかしか、それもまだこの段階では決めかねている。しかもかりに真実亡父の霊であったとしたところで、復讐すべきか否かの問題もある。さらにオフィーリアの行動にまで、このところ妙に疑いの影が射している。いわばこの時点におけるハムレットの胸中に群がり起る問題は、死生のそれをも含めて、すべてがあれかこれかの疑い、不決断に彼をさいなもうとするものばかりである。そのあれかこれかに錯綜するすべての問題に直面した不決断の心象風景こそ、To be, or not to beであったのである」 
 
  「ハムレット」もまた、血なまぐさい政争の時代に運悪く生まれてしまった登場人物である。こうした時代には様々なレベルで己の決断が迫られ、判断を誤ると致命的にもなりかねない。シェイクスピアの劇が400年以上も生き続けてきた理由の1つが、政争や戦争が繰り返し繰り返し行われてきたからだろう。だが、そればかりではなく、シェイクスピア劇では錯綜する状況がしっかりと描かれ、その錯綜する状況の中で対立葛藤をベースに人間の思想・判断・行動が描かれている。シェイクスピアはオリジナルの作家と言うよりは史実に題材を取ったり、過去の作品を脚色したりといった手法によって平板で単線的だった歴史記述や物語をダイナミックに脚色し、そこに血の通った人間群像を描き出した。だから、そこには歴史のエキスがつまっており、政治家が危機に臨んでどのような行動をとりうるか、事例が詰まっている。そして、中野好夫という英文学者が味わった「面白さ」も、シェイクスピア劇がはらむ、歴史書や政治学の書にはない、演劇的な迫力にあったのだと思う。 
 
  今年はシェイクスピア没後400周年だが、それは同時に「ドン・キホーテ」を書いたスペインの文豪、セルバンテス没後400周年でもある。二人の作家に共通な点は「近代性」ということになるだろう。近代は神が世界を統治している、という認識が崩れてきた時代である。世界を動かしているのは神や運命である、といった物事のとらえ方が変わり、人間が主役となった。人間の数だけ、世界には様々な見方が成立する。だからこそ、どこに真実があるのかわかりにくい。世界は曖昧さの霧に包まれている。二人の作家はそうしたわかりにくい状況に生きる魅力的な主人公を描き出すことに成功した。ところが、今日、驚くべきことは近代性を否定する言説が世界的に再浮上しつつあることである。 
 
  きわめて不幸なことは平和や自由を求める声が高まるのは戦乱やファシズムののちの時代であり、前の時代ではないということである。一番必要とされる時代にそれがなくなってしまう。文化の面でも同様である。平和な時代にシェイクスピアはふんだんにあったが、本当に必要なのはこれからかもしれないのだ。ちなみに中野氏によると、英国で政治家や外交官を志願する者にとって人生の機微を描いたシェイクスピアと哲学者・随筆家のフランシス・ベーコンが必読なのだという。 
 
 
■アル・パチーノ監督の映画「リチャードを探して」   最良のシェイクスピア入門 
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■文学と卒業   村上良太 
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■デカルト著「方法序説」 〜近代を考える〜 
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■ヒューム著「人性論」 ‘A treatise on Human Nature’ ヒュームは面白いが本気でやると難しい。でもヒュームを読んでおくとカントが楽になる 
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