2019年05月06日21時06分掲載  無料記事
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コラム

貧乏な時代にこそイタリア語を  村上良太

  連休中に平成の歴史特集が各局で行われていたけれど、平成元年は未だバブル景気の真っただ中で、テレビ東京の特番では竹藪に巨額の金がバッグに詰められて捨てられていた事件を振り返っていた。バブル時代を象徴するものの1つがイタリアンではなかろうか。イタリアのオペラやイタリア料理(当時は「イタ飯」などと言っていた)が大流行していた。当時の空前のイタリアブームは日本の金余りと結びついた現象だったように思う。たとえば作家の村上龍はその頃、アルマーニを着こなして雑誌などに登場していた。 
 
  それから30年が過ぎて、イタリアはずいぶん、遠くなったように思える。もちろん、今でもパスタは好まれているのだが、コンビニでチンするだけで食べられる1コインのパスタが売られているようにバブルがはじけて質素になった気がする。しかし、イタリア人自体が特に大きく変わったわけでもないだろう。 
 
  今でも僕にはわからないのだが、なぜ日本のバブル経済はイタリア文化と密接に関係していたのだろうか。それはイタリアの文物が1970年代まで日本人から遠い存在だったからかもしれない。未知数であったがゆえに相場観を人々が持ちえなかったのではあるまいか。1点の絵画に値段をいくらつけるか、ということは掃除機にいくら値段をつけるかとは異なって、そこに価値評価で差異が生じる幅が大きい。 
  パスタは、そもそもその原点であるトマトソースはイタリアが基本的に貧しい国だったからこそ発達した食文化だったとされる。アメリカ大陸からもたらされたトマトに着目してイタリア人はソースを作り、庶民が食べられるパスタを作り上げた。それが日本では豊かさの象徴に思われた時代があったのだ。それまでケチャップで作ったうどんのようなスパゲッティしか食べたことがなかった日本人に、伊丹十三氏のような文化人が「アルデンテ」という固さを紹介して、本場のパスタ時代が幕を開けた。そして、そこに様々な食材を混ぜて豪華な食べ物になっていった。 
 
  いや、こう書いて、実は僕自身はバブル時代に苦学生だったため、その頃、ほとんどイタリア料理など食べたことがなかった。だから、それが本当に豪華だったかどうかすら実感がないのだ。長い学生時代を過ごしたため、社会人になった時はバブル経済は終わっていた。 
 
  今日ではFacebookのおかげで簡単にイタリア人の友達を持つことができる。実際、ジェノベーゼのパスタの作り方を披露してくれたのもFacebookで知り合ったイタリア人のカップルである。僕にとっては実に自然体のイタリアなのだ。背伸びする必要もないし、卑屈になる必要もない友人、それがイタリア人である。イタリア人の友人が何人かできると、やはりイタリア人はいいな、と思う。何が素晴らしいか、というと、自然の中に生きているし、食べるものも自分で庭で育てたトマトを食材に使っていたりする。特に贅沢な食材などなくても週末に人を招いて会食する。あるいは、平原の茂みで昼寝をしたりしている。彼らはもっと心に余裕があるのだ。こうした光景に多少ながらも触れると、イタリア人はバブル時代ではなく、今のような景気の悪い時代にこそ、知り合うべき友人のように思えてならない。 
 
 
村上良太 
 
 
■イタリアの庭のトマト 取れすぎたのでトマトソースをつくるアンドレア・ベルキアラさん salsa di pomodoro 
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■本場イタリアの家庭のピザ  Pizza italiana 
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