2020年01月16日13時53分掲載  無料記事
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ミシェル・フーコー著「マネの絵画」(阿部崇訳)

  昨年、来日したフランスの哲学者がミシェル・フーコーの専門家でもあり、その話から大いに刺激を受けたことから、齢50代半ばにして初めてフーコーを真剣に読み始めました。フーコーと言えば一般に権力批判とか、近代になって排除されるようになった異常性あるいは狂気という問題の本質は何かといった精神医学へのアプローチがまず想起されるのではないかと思いますが、その一方で本書「マネの絵画」に見られるように芸術への思索もあります。 
 
  フーコーによる「マネの絵画」を読んでみると、画家としてのマネを知るに最適であるだけでなく、もしかしたらフーコー入門にも最適なのではないか、という印象を受けました。これはチュニジアで行われたフーコーの講演を文字おこししてまとめたもので、とても短いものなのですが、それまで筆者にとってよくわからなかったマネの位置づけがはっきり理解できました。その本質の把握と説明の仕方の手際の良さを感じないわけにはいきません。 
 
  昔から筆者はモネを象徴とする印象派のグループにマネが位置付けられている理由がよくわかりませんでした。点描でもないし、ある意味で通常の具象的な絵画でもあります。それなのにマネが印象派の原点と言うような言説にも多々接していたのです。そのため、ますます謎を感じていたのです。しかし、フーコーの「マネの絵画」を読むと、マネが印象派という一流派を越えて、20世紀につながる芸術革命の仕掛け人だったことがわかってきます。フーコーはそれを伝えるために、「キャンバスという空間」「照明」「鑑賞者の位置」という3つの角度から分析しています。そこからマネがいったい何をしていたのかが見えてくるわけですが、それは脈々と西欧絵画で守られてきた伝統を破壊するという大きな挑戦だったわけです。 
 
 
 
■日仏会館のシンポジウム 「ミシェル・フーコー: 21世紀の受容」 フランスから2人の気鋭の哲学者が来日し、フーコーについて語った 
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