2020年09月20日16時42分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=202009201642550

アジア

四十数年ぶりのタイ学生運動の高揚 〜政府批判の底流に多重債務者の広がり〜 宇崎真(ジャーナリスト 在バンコク)

  雨模様のなかMRT線 (Mass Rapid Transit) のサナームチャイ駅下車、チャオプラヤ川沿岸のタマサート大学に向かう。洋風建築の国防省を右に、王宮を左に見て進む。この一帯は見事な伝統建築が楽しめ、筆者の散歩道でもある。と同時に、タイ現代史の荒波が襲った政治の舞台ともなった極度の緊張と和む感情が交差した場所でもある。 
 
 1974年の4月筆者は当地に赴任した。NDN(日本電波ニュース社)のベトナム戦争特派員生活(1971 -73)を終え、短いインターバルの後バンコク特派員の社命を受けた。戦後の「東西対立」の共産圏、社会主義陣営の取材が会社の特色でもあったが、ベトナム戦争も収束に向かい「西側諸国」に取材網を拡げていこうとの経営方針の最初の実験場でもあった。その当時はインドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア)の共産勢力の伸長が著しく、タイ国内でもその影響もあり左翼の運動が活発化していた。73年のタノム独裁政権を倒した立役者としての自信を深めた学生運動は社会的影響力を強めた。援農活動や農民組合結成、労働運動支援、労働争議の仲介役にまで活動をひろげ、タマサートでは「社会科学評論」「マルクス論」の販売、学習会が繰り返された。労働組合代表も発言権を高めしばしばマスコミにも登場した。まさにタイ民主主義が花咲こうとした時期であり、活動家らは半ば公然と「王室廃止の是非」を議論していた。 
 
 それに対してISOC (Internal Security Operations Command タイ国内治安維持部隊の略で、前身は共産主義制圧部隊) は警戒態勢を強化していた。筆者が赴任したのはそういう時期であった。「あいつは学生の政治活動家で、しかもハノイ側の工作員らしい」との噂が拡がり筆者はタイの治安当局の監視下に置かれた。在タイ日本大使館の領事(公安警察から派遣)がその「情報」をタイ当局に流していたことも判明した。その噂を聞き及んだタイの左翼組織が「それなら是非経験談を聞かせて欲しい。運動へのアドバイスも出来たらしてほしい」とまで言ってきた。その申し出は断ったので事なきを得たが、そんな緊迫し油断ならぬ状況だった。 
 
 インドシナで次々に西側の三都(プノンペン、サイゴン、ビエンチャン)が陥落、とりわけ75年12月に6百年続いたラオスの王制があっけなく廃止されたことがタイ王室の不安をかきたてることとなった。それ以降、タイの前国王(ラーマ9世)と王室はタイを防共の堅固な国家とすべく国境防衛組織を CIA援助の下構築し、「王制、仏教、民族の尊厳」の三つを擁護する大々的なキャンペーンを展開したのである。全国に組織されたボーイスカウトもそのなかに組み込まれ、学生運動をはじめとする左翼への敵対勢力が育成されていった。その流れのなかで、76年10月6日、タマサート大学構内で「血の水曜日事件」が起き、軍部のクーデターにつながり、タイ民主主義の実験は窒息させられた。こうしたタイ現代史の場面場面が否応なしに頭に浮かんできたのだった。 
 
 集会会場はタマサート大学キャンパスではなく、サナームルアン(王宮前広場)となった。午後4時20分歓声があがった。トラック上の学生リーダーらが「この王宮広場を新たに人民広場と命名しようではないか」と叫びながら進む。歓呼がこだました。学生主導の集会といわれたが、実際には年配者を含む一般庶民の参加者の方が多数を占めた。BBCは「参加者は主催側の期待を下回り5千人」とまず出稿、その二時間ほどして「数万人の参加」と打った。明らかに現政権への不満、批判がたまり、それを表現する場がやっと出来たということなのだろう。 
  メイン会場を取り囲むようにして、アーティストは反軍、反独裁のTシャツを売り、現政権リーダーらの顔がプリントされた大敷布をふんづける企画を出している。LGBTの平等権利を獲得するキャンペーン、「刑法301条の早期廃止を求める「女性の安全な堕胎を認めよう」とい女性団体もいる。古書販売の出店には「10.6無実の犠牲者」「権力を笑う」「同じ空の下―君主の病―」「クーデターのマニュアル」「君主制とタイ社会」「マルクス伝」といった題名の本がならんでいる。 
「赤色同志」というグループは76年以降権力により抹殺された95名の人物が次々に斃れていくパフォーマンスを小雨の道路上で挙行した。このグループは「初公演」だと上気している。タイ語と英語で書いたプラカードには「我々の税金は国民のため、悪魔のためのものではない」「人民を殺したやつは地獄に行け」「ストップ黒い権力、我々に必要なのは公正な未来」といったスローガン。 
 
  欧米のマスコミ、そしてそれに引き連られてか、日本のマスコミも学生リーダーらの「王室批判」「王室改革要求」の推移に焦点をあてすぎているのではないか。筆者の見るところ、タイ社会の実態はその政治要求を冷静に検討する段階には到底なっていない。勿論いつの時代でも「反逆」の先駆者は一握りのグループから始まる。だから若き活動家らがタブーに挑戦し、公に訴えた意義は大いに讃えたい。だが、この半世紀近くタイ社会をみてきた筆者には心配事が多い。多すぎるのだ。 
 
 まず、タイの歴史は「王国の歴史」である。タイの統一国家を樹立したスコタイ王朝、次いでアユタヤ王朝、この時代の外敵はビルマであり、タイ人にとっての「戦争」とは泰緬戦争のことを指す。ビルマに滅ぼされてからはトンブリ王朝、そして現在ラーマ十世まで続いているチャクリ―王朝。この国史を学校教育、家庭教育、マスコミ、観光地(王朝の遺跡、遺物)、映画演劇、博物館で幼少時から一生教わっていくのである。大学卒業も必要単位をとっても王室からの証書授与があって初めて世に誇れるというのが社会通念となっている。 
 
 今回の反政府運動の高揚の真因は単純にいえば生活苦にある。先日も法務省特捜部のセミナーに呼ばれ取材させてもらったのだが、テーマは「コロナ禍(タイではCovid-19とより正確な表現をしている)で自殺ケースが急増、子どもの犯罪(覚せい剤がらみ)の増加、これにどう対処するか」であった。タイのコロナウイルス感染抑制策は国際的にも「最も成功した国」とされ、タイ人もそれを誇りにしている。が、経済は大打撃を受けた。このまま推移すると一千万人の失業者が出る恐れがある。一昨年ヤミ金、サラ金の多重債務でどうにもならず公的な援助が必要な人は名乗り出るようにと政府が公布したら全国で約一千万人余が応じてきた。この二つは間違いなく相当部分がダブっていると思われる。人口6,800万人、約2千万世帯のタイで、この数字はとてつもなく深刻な事態が起きているということである。多重債務者救済も道半ばにしてコロナウイルスに襲われて、その救済は進まずまたもヤミ金に手を出すしかないひとが増えていると聞く。 
 
  学生総数は現在では170万人。1970年代前半つまり学生運動が活発化していた時期は6万人に達していなかった。かつて大学生はエリートであり、それを自覚し社会も認め、その発言の影響力は甚大であった。だから学生運動リーダーの呼びかけに応え、73年の民主化デモには各階層の計40万人が結集し、前国王も仲裁に乗り出し国を動かしたのである。 
  現在の学生運動はそれエリートのそれではなく大衆の運動である。中流以下の家庭の出身も少なくなく、学費が捻出できず自主退学するケースが目立ってきている。今年の新卒者は殆ど失業状態となっている。来年以降卒業予定の学生も、裕福な子弟を除いて毎日のように就職の心配をしている状態だ。就職氷河期と軍部支配の政治体制への不満がからんでいまのような学生運動高揚をもたらしている、筆者にはそう見える。 
 
  現在の状況では、クーデターはないだろう。市民の噂でもちきりとなり、内外マスコミもその可能性を論じている。だが、その条件はまずない。第一に、大義がたたない。王室批判を口実とするなら、火に油をそそぐことになる。第二に、国際的な経済制裁を招きかねず、それは経済の自殺行為になる。第三に、王室改革の要求や王室批判は、タブーを破るときは困難だが、口にしたら、今度は言うは易し行うは難しである。学生主導の反政府運動の主体的力量は 
まだまだひ弱である。第四に、ネット社会の発展と浸透は軍部の暴走をしばるに違いない。学生の層は誰よりも携帯電話を駆使している。現場の出来事を瞬時も逃さず撮影し説明を付けて直ちに友人へ、グループへ送信することに熟練している。現代の若者たちは客観性のある証拠を提出できる時代の証言者になり得る。 
 
  「人民広場」で73-76年にかけNSCT (タイ全国学生センター)の中心グループにいた元学生活動家に出会った。当時の話ではずみ、セクサン、ティラユット、タットポーンといった著名な当時の活動家の名を出しあってすっかり意気投合し「いまでもタットポーンとは親しくつき合っているよ」という。筆者が「彼が弾圧を逃れジャングルに入り、そこからラオス領に行っていた時期に私は偶然会った」と話したら日焼顔で目を丸くしてケッケッケと歯をむいた。「で、この運動をどう見ているの」と尋ねると「時代は変わったね、まったく。今は誰もが即レポーターになる」「平和的にしかできないよ、この雰囲気、今日は物騒なことは起きないね」と言いながら、元ジャングルの闘士は群衆の波のなか姿を消した。 
( 2020.9.19 記) 
 
 
※trailer「ハンガー・ゲーム」(写真のキャプション) 
https://www.youtube.com/watch?v=4pU9SXrduzo 
 
※サナームルアン(王宮前広場 / Sanam Luang) 
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1IjgSxjzypsRYrag4DcnDRFBg4p0&ie=UTF8&oe=UTF8&msa=0&ll=13.75535100000001%2C100.49303800000001&z=17 
 
宇崎真 (バンコク在住 ジャーナリスト) 
 
 
 
■バンコクで犬を飼う ポチがやってきた 宇崎真(バンコク在住のジャーナリスト) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201606022313394 
 
■バンコクで犬を飼う タイの犬事情 宇崎真(バンコク在住のジャーナリスト) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201605260245454 
 
■バンコクで犬を飼う 私たち夫婦と動物たちとの生活が始まった 宇崎真(ジャーナリスト) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602291052061 
 
■タイのバンコクで読む剣豪小説の味わい 1 バンコク在住 宇崎喜代美 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201606191530270 
 
■タイのバンコクで読む剣豪小説の味わい 2 バンコク在住 宇崎喜代美 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201606191558130 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。