2016年10月25日22時57分掲載  無料記事
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アジア

ソウル大学医学部にて   伊地知紀子(大阪市立大学教授)

(ソウル大人類学科+BKプラス事業団による「グローバル韓国学と移住・離散の人類学」国際学術大会での招請報告のため、伊地知紀子・大阪市立大学教授はソウル入りしました。) 
 
ソウル大学医学部には、京城帝国大学として設置された建物が唯一残っています。ソウル大医学研究科の黄サンイク先生に呼んでいただき、先生主催の研究会で在日済州島出身者の生活史について報告しました。黄サンイク先生は「4・3とトラウマ」で関西でも報告なさったことがあり、昨年の国際高麗学会世界大会がウィーンで開催された時に知り合いました。 
 
ソウル大学校の歴史は、1924年に日本の帝国大学として6番目に設立された、京城帝国大学から始まります。医学部は現在と同じ場所に1926年設置。黄サンイク先生が、正門まで迎えにきてくださり、医学部構内を案内してくださいました。90年前の建物は正門入ってすぐのものだけ。当時の総長室は、今も総長室として使っているそうです。他の学部は、昨日までいた漢江の南へ移っています。 
 
研究会には、共和国清津で漢医をしていて2002年に韓国に来られ、その後ソウルで大学院を出て現在漢医院開院を準備しておられる教え子の方も来られました。この方は清津で大学生のときに、帰国運動で日本から来た男性と恋愛していた話しなど、いろいろ語ってくださいました。黄サンイク先生もご両親が平壌出身で、ソウルには平壌から来た人たちが集住した通りがあったんですよ、と話してくださり、報告を受けて、みなさんがいろんな経験談を語りだすのが興味深かったです。今回の日程が無事終了しました。またまた学びの多い旅でした。 
 
  ※追記ですが、ソウル大医学部構内には、荘献世子(没1762年、英祖の次男=韓国ドラマ「イ・サン」のイ・サンの父ですね)の墓がありました。総督府は破壊しましたが、後に再建されました。現在改修中。横に見えるのは、ソウル大学病院。当時、イタリアから建築家を呼ぶしかなかったそうで、韓国人にとってはちょっと使いにくい病室づくりだそうです。 
 
 
伊地知紀子 (大阪市立大学教授 文学研究科) 
 
 
■済州4・3慰霊祭 伊地知紀子(大阪市立大学教授) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201604032122100 
■金時鐘先生「大佛次郎賞」受賞のお祝い会 伊地知紀子(大阪市立大学教授) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201603140047121 
■済州島からの訪問者 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201601302249066 
■月命日コラム 伊地知紀子 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201601241513520 
■共著「再考・アジアの女性をどう描くか」('Rethinking Representations of Asian Women') 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201603191703436 


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