2017年03月05日12時54分掲載  無料記事
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文化

料理への情熱 3 講師をしていた頃  原田哲(さとし、シェフ)

  九州から上京して憧れの料理人になった原田哲(さとし)さんでしたが、一時期、店を離れて料理学校の講師をしていた時期もあるそうです。今、下北沢で料理を作っていて、当時の教え子が毎日のように訪ねてくるそうです。いったい、どのような先生だったんでしょうか、原田哲さんにお聞きしました。 
 
Q 一時期、店を離れ、料理学校で教えていたこともあるということですが、その時はどんなことに力を入れたんでしょうか? 
 
  体調の関係で23歳で現場を一度リタイアし、その後休養もかねて働き始めたのが「専門学校」という現場でした。24〜26歳の3年間は中目黒の専門学校で調理アシスタント兼クラス担任を、32〜34歳の2年半はショップ経営や材料学の講師を担当しました。 
 
  現場での激しい労働に心身共に憔悴しきった僕は、一度足元を見つめなおす意味でも手塚シェフの導きのもと、作る者を育てるという新たな領域に足を踏み入れたんです。4年間という短い修行期間でメイン料理に携わったことのない自分が伝えられるのは何かと考えたときに、伝えるべきことは「情熱と楽しさ」ではないかと思いました。 
 
  生徒はとても純粋で、将来の夢と希望に満ち溢れていました。もともと世話焼きな自分の体質が今思えば学校という環境にマッチしていたのだと思います。最初の一年は調理アシスタントとして、翌年からはクラス担任も兼任して業務を行いました。生徒のスキルを向上させるためにはどうすればよいのか。先生同志で意識を共有するスキルマニュアルや、生徒が短時間で成長するためのカリキュラムの作成など、業務は多岐にわたりました。その甲斐あってか、自分のクラス含め、調理を受けるクラスには他の学校以上の知識とスキル向上を行えたと自負しています。 
 
  ただしそれと同時に働いていく上での違和感も感じていました。もともと世話焼き体質で人が好きな僕は、生徒との距離も近く、授業中は講師として、授業外は友として付き合っていました。あるときから調理部主任や学校上層部から度々釘をさされるようになっていきました。 
 
  「原田は生徒との距離が近すぎる。もっと距離を取りながら、友達のように接するのではなく、尊敬される存在になりなさい。そのやり方では生徒に好かれることはあっても尊敬されるような先生にはなれない」と。 
 
  若い僕はその言葉に真っ向から反論していました。「今の生徒に必要なのは何でも話せて何でも相談できる先生だ。尊敬なんてされなくていい。生徒の未来につながるサポートをするのが今の自分の役目だ。結果そういう先生が尊敬され、信頼を得るんだ。」 
 
  今思えば若かったなと思いますが、若くして講師となり、曲がりなりにも担任として生徒の人生の1年を預かった身として、自分のできる最大限のサポートをするためには生徒との心のつながりが一番重要だと根拠もなく確信していました。故に僕は、学校からは疎まれる存在となっていきました。そんな社会的には会社の言い分を無視し、わが道を行くスタッフは最も扱いづらく面倒な存在だったことでしょう。ただそれに反比例して、僕に対する生徒たちの支持は上がり、授業に入っていないクラスの生徒からも支持されるようになりました。自分の理想である「生徒に最も近い講師」という理想像を形にしていけたと思っています。 
 
  僕の授業スタイルはいたってシンプルで、「声を出せ。全力で作業しろ。泣き言を言うな。自分を信じろ。」と基本的には根性論です。ただし調理に関しては徹底的なロジックで、なぜこう切るのか、なぜこの火入れなのか、なぜこの素材なのかと言った具合に、体で理解してきたものを科学的根拠に基づき紐解き、それを理解した上で実践する、PDCAのスタイルでした。自分が不器用が故に失敗してきたことを、生徒たちには絶対に失敗してほしくない一心で、自分の苦手な理論的解釈を調理に取り入れ、そこに僕が現場で培った情熱と根性の理論をフュージョンさせた教育スタイルを確立し、伝えていきました。結果生徒たちは僕が現場で3年以上かけて体得した事柄を、1年程度で習得するまでの成長を見せてくれました。このとき、僕の中で新しい夢が芽生えました。 
 
「こいつらと、いつか一緒に仕事がしたいな」 
 
  生徒と教師として出会い、立場は目上だった僕ですが、不器用で、料理人として向いていないセンスしか持ち合わせていなかった僕だからこそ、逆に生徒のうちから才能とセンスのある人間はすぐに見て取れました。また、僕以上に不器用にもかかわらず、目の輝きを失わずに食らいついてくる気合の入った生徒も多数いました。この子達を育て、現場で更に飛躍したとき、自分ももっと飛躍していないと一緒には仕事ができない。自分も伸びていかなければ。いつしか教える側の僕は、教わる側の生徒にたくさんの夢と希望をもらいました。生徒たちは僕自身を伸ばすための原動力として何よりも愛すべき存在になっていたのです。 
 
  「先々こいつらと仕事をするために、俺はいつまでもこいつらに先生と呼ばれる存在であり続けるために、こいつら以上に常に前を走らねば。」 
 
  社会人として、教員としての立ち位置から見れば僕のような講師はありえない異質の存在だと思います。ただ僕は、学校という環境を利用し、将来この飲食業界を担うライバルたちを育成し、更には自分の力として一生のつき合いをしていきたい。だから学校にいる1年2年だけではなく、一生こいつらの面倒を見よう。その想いで教壇にたっていました。むしろ僕の中で学校は仕事場ではなく、未来の仲間を作る場以外の意味はありません。だからこそ本気で、生徒たちの未来のために時間をかけてきました。 
 
  最初に教壇に立ってからはや15年が過ぎ、最初に教えていた生徒たちの中には自分の店を持ち、多店舗を経営するものまで現れました。中目黒の学校で3年勤め、出会った生徒は2000人以上いますが、未だに多くの生徒とのつながりは切れることはありません。当時からの夢であった生徒との仕事は、今では日常となりました。教えていた生徒に教えられる機会も増えました。中目黒から10年後、埼玉の専門学校で再び教壇に立ち、そこでは3年弱で約200人の生徒に自分の得た知識を伝えました。また10年後が今から楽しみです。 
 
  時は流れ、今では会社を持つ身となり、毎日自分の店で料理を作る日々ですが、新旧教えてきた生徒たちが毎日のようにカウンターで僕の料理を食べてくれます。時には昔話、時には今の愚痴や笑い話をしながら、時には相談事をしながら、僕の店のカウンターで料理を食べながら過ごす毎日は、とても愛にあふれた素晴らしい毎日です。近年SNSの進化で情報を日常的に発信できる時代も後押しし、卒業以来コンタクトの取れなかった生徒とも最近は再会の機会が多くあります。先日は結婚でバルセロナに嫁いだ15年前の教え子が、いきなり店に現れました。最近一番うれしかった再会です。 
 
  「先生のあのとき言ってくれたあの言葉。いまでも忘れてないよ。」 
  「先生にもらった〇〇。いつも財布に入れて弱ったとき読み返してるよ。」 
  「先生と出会ったから、今の自分があるんだ」 
 
  そんな言葉を聞いたとき、本当に講師をやっていてよかったと思います。今は教壇から離れ、講師としての仕事はおこなっていません。しかし、また近いうち再開したいなと思う今日この頃です。合わせて、今までに出会い、未だ付き合いのある生徒も、最近会ってない生徒にも、僕は今でもこう伝えるでしょう。 
 
 「出会いは一生。お前が何か俺に求めるのであれば、俺は一生かけて面倒みるよ」 
 
  店を続けていく事、会社を大きくする事。その先にある僕の最大の夢は、学校を作る事。そこのスタッフが今まで出会った生徒達だったら、これ以上幸せな事はないですね。 
 
 
原田哲(さとし)シェフ 
bistroCHAP(ビストロチャップ)など 
 
 
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