2019年06月25日02時15分掲載  無料記事
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文化

イヴァン・ジャブロンカ氏の日仏会館における講演「社会科学における創作」 

  社会科学を文学に創造する・・・それはいったいどのようなことなのか?フランスから初来日した歴史学者で作家のイヴァン・ジャブロンカ氏(Ivan Jablonka, 1973〜、パリ第13大学教授)の講演のタイトルが「社会科学における創作」だったことは大いに目を引いた。いったい社会科学は文学になるのだろうか?社会科学者は文学の創造者たりえるのだろうか?ここで社会科学者と言っているのは、たとえば歴史学者、社会学者、人類学者、政治学者などである。 
 
  6月24日、会場である日仏会館に足を運ぶと、ジャブロンカ氏の著作の販売ブースが作られていた。売られていたのは「私にはいなかった祖父母の歴史」(田所光男訳)と「歴史は現代文学である」(※真野倫平訳)の2冊。いずれも名古屋大学出版会によるもので、売っている男性は名古屋から本を持って上京してきたと言う。百聞は一見に如かず。ジャブロンカ氏の考えを理解するには、まず彼が書いた文学を読むことにこしたことはない。僕がこの日買った「私にはいなかった祖父母の歴史」はナチの強制収容所で殺された彼の父方の祖父母の「歴史」を、当然ながら二人に一度も会ったことがない孫であるジャブロンカ氏が調査し、発見していく「旅」の物語になっているようだ。 
 
  講演が始まって、足を運んでよかったと思った。話は刺激に富んでいた。金に換算できるものではないが、たとえて言えば1000万円くらいの値打ちがあった講演だと思う。いや、それでも安い。というのも社会科学や文学のパラダイムを変える壮大なテーマだったからだ。ジャブロンカ氏によると、社会科学は他のジャンルに比べてイノベーションが起きていない。どのくらい停滞していたかというと19世紀末からだ。そこでジャブロンカ氏は社会科学を「文学」に創造していくことで、社会科学をイノベート(技術革新)するのだという。 
 
  ただし、文学と言っても、ここで言うのはフィクションではないし、また文学になったからと言って、社会科学という科学の枠を放棄することにはならないという。ジャブロンカ氏が文学にすると言っているのは、何もフィクション(虚構)を混ぜて面白い読み物を作る、ということとは全く違う。そうではなくて、社会科学の方法である、「調査・探求」を文学の核にする、ということである。 
 
  ここでジャブロンカ氏はわかりやすく「太陽系」にたとえて説明した。現在の文学の太陽系は小説が一番中心に近く、その少し外に戯曲などがあり、ルポルタージュなどノンフィクション文学は最も外縁を回っている。だが、ジャブロンカ氏は新しい太陽系を創出すべきだ、という。その中心=太陽は「調査・探求」である。一番近くの軌道をノンフィクションが回っていて、一番遠くの軌道を小説(フィクション)が回っている、ということになる。 
 
  「調査・探求」の物語が文学の中心に位置する。それは真実に迫っていく人間の旅路を描くものだ。では、社会科学がどうすれば文学になるか、というと、大切なことは調査・探求を行う Je (私)をきちんと文章の中に、物語の中に打ち出していく、ということが挙げられる。そのテーマが Je (私)とどういう関係にあるのか。なぜその真実を知りたいのか。そういった調査・探求を行う人間を描き、その活動自体、プロセス自体をも記していく。 
 
  そういう意味で、戦時中、パリで逮捕され、アウシュビッツで殺されたと思われる1人のユダヤ系の少女の足取りを調査と想像力で書こうとした「ドラ・ブリュデール」(邦訳タイトル「1941年。パリの尋ね人」)の著者パトリック・モディアノにジャブロンカ氏が影響を受けたというのはよく理解できるし、「記録を残さなかった男の話 〜ある木靴職人の世界 1798‐1876 〜」を書いた歴史学者のアラン・コルバンに大学在学中に教えを受けたことも理解できた。他にも、アニー・エルノー(※)や、ローラン・ビネ(※)、エマニュエル・カレール(※)などがジャブロンカ氏と「同じ家」にいる作家群だと考えると言う。この中には、一方にフィクションの小説の側から「調査・探求」に近づいていく作家がいるし、一方に「調査・探求」を通して文学に近づいていく社会科学者がいる。 
 
  では、こうした調査・探求を核にした文学の新しい太陽系を作る意義はなんだろうか。それは現在、世界に蔓延しているフェイクニュース、政権に忖度した報道、大スポンサーに配慮した消費を煽る番組などの情報の大海の中に、真実という価値を打ち込んでいくことができる、ということになる。そもそも真実に迫っていくことは知的好奇心を満たすことができる面白い営みなのだ。 
 
  ジャブロンカ氏はこう言ったことを話したのだが、なるほど、刺激になった。そして、講演会場に来る前の僕が思い込んでいた「文学」と異なることがわかった。当初は、社会科学で得た情報をフィクション化あるいは脚色していく話か、と思っていたのだ。ところがそうではなく、意外とルポルタージュやノンフィクション文学と大きく実態としては違っていない気がした。それでも、こうして問題提起していくと、今まで漠然としていたことが整理されて、その価値観がきちんと把握できたことは有意義だった。 
 
  今回登壇して対談したのは作家でフランス文学者の小野正嗣氏だった。小野氏は出身地である大分県の漁村のコミュニティを舞台にした小説を書いてきたが、フランス語圏を扱う文学者としてもパリの哲学者のミシェル・フーコーよりもカリブ海のマルチニックの作家、パトリック・シャモワゾー(※)の方に自分に近い何かを感じて、結局その方面の研究に進んだと言う。小野氏は、ジャブロンカ氏の作家としての核にあるものは、作家自身が最も切実に関心を持っていることであり、結局、作家というものはそういうものではないか、と言った。ジャブロンカ氏には「レティシア」という13歳の少女の殺人事件を調査・探求した文学作品もあり、この「レティシア」を2年ほど前に初めて手に取って読んだ小野氏は非常に優れた作家が出現したことを知った、と言う。子供の生活、という点で、ここにはジャブロンカ氏の研究領域と重なる部分があるのだという(※)。理論を構築する、ということも大切だが、それを文学にしていく文章の力が素晴らしいし、作家の視線の優しさに打たれたという。 
 
  社会科学者が文学を創造する、ということの意義はまず、社会科学者自身が変わる、ということにあるのではないかと僕は思う。制度が変わると言うよりも、そのプレイヤーである当事者自身が変わる、ということにある。こういう風に書くと、傲慢に思われるかもしれないが、ジャブロンカ氏が言っているイノベーションというのは、創造力を現場に再注入していくことであり、文学を志せば作家がそうであるように、クリエイティブであることを余儀なくされる。そして、ジャブロンカ氏が「方法としての Je (私)」として提唱するように je (私)はなぜ、それを調査・探求するのか、という自分の原点をつかむ、ということが大切であるに違いない。あるいは、自分の動機を再確認し、自分の存在理由を「教授」といった肩書などとは無縁のゼロ地点に立って問い直す、ということでもあるだろう。さらに言えば、その調査・探求はいったい誰のためになるのか、ということも自問することになると思う。その意味で普段やっていることを外側の世界に開いてみて、風通しをよくすることだと思う。 
 
  今、日本の国立大学などでは大学の研究費を獲得するために文科省に研究計画を提出して、採択されることがカギを握っている。だが、そのためにJe(私)にとって、かけがえのない研究計画を提出できるのか、それとも予算のために忖度した計画になっていないか。そういったことを想像してみると、自己の原点を創造する、というこの作業によって、歪みを直す機会になる、ということは言えないだろうか。 
 
 
※「歴史は現代文学である 社会科学のためのマニフェスト」 
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0908-9.html 
 
※アニー・エルノー(1940〜)「シンプルな情熱」「場所」「ある女」「凍りついた女」「戸外の日記」「嫉妬」などの著書がある。 
 
※ローラン・ビネ(1972〜)著書に「Forces et faiblesses de nos muqueuses(我々の粘膜の強さと弱さ)」「言語の第七の機能」「HHhH プラハ、1942年」(「ナチス第三の男」という邦題で映画化されている)などhttps://www.youtube.com/watch?v=4moyVkUHXpc 
 
※エマニュエル・カレール(1957〜) 「口ひげを剃る男」や「嘘をついた男」、「冬の少年」などの著書がある。 
 
※パトリック・シャモワゾー(1953〜) 
 「テキサコ」「幼い頃のむかし」「カリブ海偽典 最期の身ぶりによる聖書的物語」などのほか、共著として「クレオールとは何か」や「クレオール礼賛」などがある。 
 
※イヴァン・ジャブロンカ氏には「フランス共和国の子供たち 〜1789年から今日に至る子供たちの統合〜」や「Jeunesse oblige(若さは(義務を)負う)〜 フランスの青少年の歴史〜」など、子供の歴史を研究した一連の著書がある。 
 
 
村上良太 
 
 
■パトリック・モディアノ著「ドラ・ブリュデール」(邦訳タイトル「1941年。パリの尋ね人」) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602180848024 
■日仏会館のシンポジウム 「ミシェル・フーコー: 21世紀の受容」 フランスから2人の気鋭の哲学者が来日し、フーコーについて語った 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201805221137522 
■パリの「立ち上がる夜」 フランス現代哲学と政治の関係を参加しているパリ大学准教授(哲学)に聞く Patrice Maniglier 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201605292331240 
■日仏会館シンポジウム「イマージュと権力 〜あるいはメディアの織物〜」 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201905190344430 
■シンポジウム 「世界文学から見たフランス語圏カリブ海  〜 ネグリチュードから群島的思考へ 〜」 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201803270243022 
■「日仏の翻訳者を囲んで」 翻訳家・笠間直穂子氏 ( 司会 丸山有美) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201803010043234 
■「日仏の翻訳者を囲んで」第5回  ミリアン・ダルトア=赤穂さん(翻訳家) 聞き手:新行内美和(日仏会館図書室) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201809270149144 
■上西充子著 「呪いの言葉の解きかた」(晶文社) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201905261630370 
■国会パブリックビューイングを見に行く 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201902062355103 
■パリのジャン=フィリップ・ミュゾー(Jean-Philippe Muzo)氏  芸大1年で個展を開いて中退 好きなイラストを描いて50年 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201610140948075 
■イスタンブールの「悪い娘たち」  トルコ出身の風刺漫画家、ラミズ・エレール(Ramize Erer) のおオシャレで奔放な世界 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201610030350431 


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