2023年07月14日08時24分掲載  無料記事
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コラム

どうやって権力者を怖がらせるか? 〜暴君が生まれるのは人々が跪くから〜

  2016年3月31日にNuit Debout(立ち上がる夜)というパリ市民による政府への抗議集会がパリ共和国広場で始まり、夏まで毎日、人々が数千人広場に集まっては様々なテーマで討論を始めました。その運動は「服従しないフランス(LFI)」という後に野党共闘の中心政党に結実しました。ところが、日本のマスメディアはこの市民運動をそろって無視していたのです。メディアのパリ支局の人びとは、お菓子やハンドバッグの情報については感度が良くても、政治や社会性のあるテーマには大変弱い。さらに、彼らは革命を怖れているので、恒例の華やかな革命記念日の式典の取材はできても真の革命的な運動は直視できないのです。 
 
  この「立ち上がる夜」という運動は、簡単に権力に回収される運動ではありませんでした。そもそも出発点は2016年の2月にパリで「彼らを怖がらせる。だがどうやって?」と題する運動家のミニ集会が開かれたことです。フランスでは2012年の大統領選挙で社会党のフランソワ・オランドが選出されたにもかかわらず、労働条件を悪化させる規制緩和改革を進め、有権者を無視する政策を次々と取っていました。核心は経済大臣だったマクロンと首相のヴァルスです。そこで民衆の声を無視する為政者を震え上がらせるための集会が開かれたのです。一番問題だったのは議員たちが選挙で選ばれた民衆の代理人であるにもかかわらず、国会できちんと議論していない、ということでした。「立ち上がる夜」という風変わりな名称は、16世紀の詩人エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ著「自発的隷従論」に触発されていることを示しています。暴君が生まれるのは人々が自発的に跪(ひざまず)くからに他ならない、という意味が込められています。そこでみんなで立ち上がって長い夜を戦い抜こう、という思いから来たものでした。ただし、「黄色いベスト」と違うのは、参加者たちが暴力の使用に対しては徹底的に反対していたことです。 
 
  共和国広場で彼らが始めたことは、多数の議論の輪を作って、自由に参加してもらい、関心のある問題を自由に論じあったことでした。ホームレスの問題に関心のある人の輪、移民・難民の問題に関心のある人の輪、それから当時最大の問題になっていた労働法の規制緩和問題に関心のある人の輪、医療現場への公費削減をめぐる問題に関心のある人の輪、メディアの問題を考える人の輪、ケイマン諸島など海外に利益を移して税金逃れしている企業や富裕層の問題に関心のある人の輪、詩に関心のある人の輪、さらに教育問題からソーシャルワーカーの抱える課題を論じる輪まで100もの委員会が作られました。もともと労働法改悪への反対の呼びかけから始まったものでしたが、労働法の規制緩和だけでなく、様々な問題が噴出しながら国会がきちんと対処していない、ということで様々な運動団体に声をかけて「まずは労働法改悪反対をやりましょう」という風に集まってもらったのです。これを「闘争の集結」という風に彼らは呼んでいました。これが運動が広がり、多様性を持ち得た理由です。この仲間関係は広場で初めて出会った様々な職業人や学生、年金生活者など多様な人びとの輪で、共和国広場での集会が終わった後も、仲間づきあいを続けているグループがあるようです。さらに、この運動は特定の政党とは無縁でしたが、後にこれらの人びとの中から、「服従しないフランス」(LFI)の政党活動を支持する人々や立候補者も生まれました。 
 
  「立ち上がる夜」の呼びかけ人はジャーナリストのフランソワ・リュファンと、経済学者のフレデリック・ロルドンら、皆運動歴が豊で、一癖も二癖もある猛者ばかりでした。リュファンはパリの北にあるアミアンという工業都市で、24歳からずっと「ファキル」*という左翼新聞を自ら出版していました。ファキルは、「中立」などは捨てて、一貫して労働者の側に立って闘う新聞だったのです。1990年代以後、日本と同様にフランスでも工場の海外移転が続き、アミアンでも失業者が増えていました。リュファンは彼らのために立ち上がったのです。労働者が閉鎖されそうになった工場で闘っていた時、リュファンはペンを持ってかけつけていたのです。リュファンが24歳にして新聞を創刊したきっかけは、工場閉鎖が決まっていてその情報を地元の新聞はかなり前からつかんでいたにも関わらず、直前まで報道しなかったことにリュファンが怒りを覚えたことにありました。当時、ジャーナリストを目指していた彼は、自分で新聞を作ったのです。その後、労働者の熱い支持を得て彼は2017年に「服従しないフランス」(LFI)から立候補します。その時、フランスの各地から集まったのべ400人もの人々がリュファンの選挙運動を手弁当で手伝いました。国会議員に選ばれた彼は将来の左派の有力な大統領候補でもあります。 
 
  フランソワ・リュファンは2016年春のこの時、爆弾となるドキュメンタリー映画「メルシー・パトロン」を完成させたばかりでした。2月の集会はそのお披露目でもあったのです。映画「メルシー・パトロン」は、繊維工場の東欧移転で家を失うほどに窮乏化した労働者の一家にリュファンが知恵を授けて、アパレル産業のオーナーであるファッション界の帝王、ベルナール・アルノーに立ち向かう物語です。リュファンが支援に乗り出す前の家族は自信を失い、ミゼラブルな印象でしたが、あの手この手で作戦を次々と繰り出してから、家族が次第に誇りと輝きを取り戻していくのが映像に映し出されるんですね。これが圧倒的な説得力でした。ルモンド紙(当時)の記事**では、2月末に公開され、約1か月で22万人の観客を動員しています。新人監督によるドキュメンタリー映画ではすさまじい勢いでした。フランスで政治の季節が始まった起爆剤こそ、この映画でした。一労働者がフランスで最もリッチな「帝王」に対して立ち上がったのです。1968年の五月革命の後、長い間、政治への無関心が強かったフランスで、人々をもう一度政治に立ち戻らせたのがこの1本のドキュメンタリー映画だったのです。「立ち上がる夜」という運動も、この映画を3月31日にパリの共和国広場で無料上映したことが始まりでした。 
 
  この「メルシー・パトロン」はフランスで大ヒットして翌年、セザール賞も受賞しました。ところが、日本の著名な映画館やNGOに私が上映・公開の企画を持ちこんでも、彼らは首を縦に振りませんでした。なぜダメなのか?それは、「やってる感満載」ではなく、真に闘っている映画だったからだと私は思います。「彼らを怖がらせる。だがどうやって?」という集会の題目は、市民革命を実現したフランス人には似つかわしい。しかし、お上から一方的に命令を下されるしかない保守的な日本人には心理的な抵抗が大きいのかもしれません。さらに言えばCGTというフランス最大の労働組合組織が「やってる感満載」の労組と違って、本当に労働者のために闘っていたということでしょう。「メルシー・パトロン」にもCGTの職員が登場していますから、おそらくCGTの支援体制があって製作できた映画と思われます。 
 
  この文章の終わりに、なぜ彼らを怖れさせる必要があるのか?ということです。もちろん、それは暴力ではなく、言論や抗議や正当な政治活動によってですが。権力を持つものは統治される人々が膝を屈し、あるいは沈黙しているとますます増長するものだからです。フランス革命を成し遂げた国の人びとは、そのことをよく理解しているように思えます。国会軽視や市民を馬鹿にした国会答弁、さらに恣意的な国会解散や予算の使い道、勝手な外交軍事政策などなど、今の政府は増長しています。愚かな議員が愚かな言葉を国会で使い放題です。これを放置することはできません。彼らを怖がらせる、だがどうやって?これは市民が考える必要のあることです。議員たちや閣僚が国民を怖い、と思わなければ、彼らは財政も国民の運命も地球の未来も度外視で、好き勝手な政策をしてやり逃げるのみです。 
 
  かつて日本の資本家の中には率先して『資本論』を読んだり、社会主義の研究を手がけた人々がいました。彼らは革命を避けるために率先して労働者の福祉や待遇を良くしようと考えたのでした。そういうエートスを持っていた経営者がかつては存在していました。しかし、冷戦終結以後、もう革命を怖れる必要はなくなったと経営者たちが思った時に、それまでに得ていた労働者の様々な待遇が破壊されていったのです。だからこそ、「怖れ」こそが経営者にとっては良い鞭であり、政治家についても同様です。こうした緊張感がなくては、真剣に労働者の待遇を考えることがないばかりか、さらなる福利の剥奪を考える一途でしょう。 
 
  怖れさせる、ということは攻めることに他なりません。たとえになりますが、第二次大戦でヒトラーが最初に敗北を被ったのが「バトル・オブ・ブリテン」でした。フランスを征服してから、いよいよ欧州制圧の最後の砦だった英国に上陸をしようと考えたヒトラーは、1940年にドーヴァー海峡から爆撃機を多数飛ばしてロンドンを空襲しますが、英空軍のスピットファイアーが果敢に戦ってゲーリングが率いるドイツ空軍を壊滅させます。その模様はドキュメンタリーにもなっているのですが、興味深いのは防戦に追われながらも、英空軍が戦闘が始まって間もなく、ベルリン上空に反撃の爆撃機を飛ばして空襲したことです。これによって、ヒトラーは怒り心頭に達し、緻密に立てられたはずの英国侵略作戦が大きく狂って、最終的にナチの不敗神話が打倒されてしまったのです。同様のことは、日本軍を攻める米海軍にも言えて、まだ日本軍が太平洋で覇権を握っていた1942年のミッドウェー海戦の前に、ドーリットルらのチームが日本上空まで片道で爆撃機を飛ばして、燃料が切れたら東シナ海に水没することも覚悟で攻めていきました。勝っていると思い込んでいた日本人に、この空襲は心理的打撃を与えるはずだ、という米軍の心理作戦です。ベルリン空爆も、ドーリットルの東京空襲もいずれも単発で、それ自体は戦力としては微力に過ぎませんが、敵軍の心理に大きな不安とプレッシャーを与えたことは間違いないでしょう。たとえが戦争になってしまいましたが、暴力ではなく、平和の形で、しかし、たとえいかに劣勢にあっても、隙あれば攻めることが大切です。「立ち上がる夜」の呼びかけ人の経済学者フレドリック・ロルドンはゼネラルストライキこそが真に政府を怖れさせるものだ、というのが彼の持論でしたが、残念ながら2016年の運動では実現することができませんでした。 
 
 
 
*ファキル(FAKIR):リュファンが創刊し出版している新聞。編集部はリュファンの地元である古都で工業都市でもあるアミアンにある。 
https://www.fakirpresse.info/ 
 
**2016年4月上旬のルモンド紙の「メルシー・パトロン」の爆発的人気についての記事 
https://www.lemonde.fr/politique/article/2016/04/06/le-film-merci-patron-capitalise-les-entrees_4896983_823448.html 
 
 
 
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