2015年08月02日11時20分掲載  無料記事
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=201508021120200

文化

「嬬恋村のフランス料理」3   ぼくが嬬恋に来た理由  原田理(フランス料理シェフ)

  人生には自分のその後の方向性を変えてしまう出会いがある。と誰が言ったかはわかりませんが、少なくとも僕と総料理長の対面はそうだった様に思います。 
 
  人生を賭けた店を、経営に対する疲れから後進に移譲した僕は、絶望のさなかにいました。生活、資金、時間、意志のすべてを投入したフランス料理店は、身内とは言え、別の経営者に移り変わり、15の時より目標であり、結果でもあった自分の分身ともいえる店舗はなくなってしまいました。自分の技術や気持ちを注入する先はもうなく、目の前にあるのはこの先の人生への不安です。もうフランス料理を、いや、お客様に料理そのものを作れないのではないだろうか、と。 
 
  それでも心にあるのは都心への執着です。16のときに上京してより今日まで20年間もの歳月を一心不乱にフランス料理への道を突き進みました。修行をあけ、シェフとなり、小さいながらも3店持つことのできた東京への執着です。ネオンや夜遊び、都市の喧騒、レストランやバー。東京の中心で活躍していると思い込んでいた驕り。湧いてくる後悔の数々。古きよき日の思い出。高卒の資格も、運転免許さえ持っていない自分の職業や食い扶持に対する不安。そのどれもが一気に、大きなストレスとなって重く、重くのしかかってきました。ストレスから逃げるためにギターを片手に渋谷のガード下でかき鳴らしてみたり、浴びるほど酒を飲んだり、逃避するためにひたすら寝たり、襲いくる不安に打ち勝てず自暴自棄になっていく自分は、今思い出しても恥ずかしく、情けない限りです。 
 
  一ヶ月ほど過ぎたところで、ふいに「働かなくては!」という意思が芽生えました。本当に突然ふってわいてきました。フランス料理でなくても、東京でなくても、料理長じゃなくても、レストランでなくても料理を作れるなら何でもいいじゃないか。 
 
  腰まで伸びて、束ねていた髪をばっさりと切り、無精ひげをそり落として、派遣会社の面接に行きます。どこでもいい、料理をさせてくれるなら。時期は2月。ただ雪が見たかったのを良く覚えています。ちょうどバイキングの人材を募集していた今のホテル軽井沢1130に空きがあり、翌週には嬬恋に入りました。始めてみる浅間山や一面の雪景色、きれいで巨大なホテル。田舎の小さい温泉観光ホテルを想像していた僕はまたも不安に襲われます。街場の小さな店しか経験のない自分がこんな大きな組織でやっていけるのだろうかと。 
 
  最初に与えられた仕事はラーメンをゆでること。お客様の前でラーメンを茹でてサーヴィスします。フランス料理のシェフからいきなりラーメンは面食らいましたが、僕の事情は誰にも関係ありません。ラーメンに意識を集中します。ほどなくして、厨房の中でストーブ前という温製料理全般を任されました。50センチ以上あるフライパンで豚や茄子を炒めるのです。 
 
  「料理人はガス台の前にいるときがいちばん幸せだ」と偉大なシェフが言っていましたが、よく意味はわかりました。フランス料理に対する執着を一度リセットし、来る日も来る日もガス台の前で鍋をあおる作業は、熱くて重く、体力が要りますが、精神的に疲れていた僕にとっては、洋食屋さんの火の前や、専門学校で熱中していた頃を思い出し、料理を誰かのために作ることの楽しさを思い出させてくれました。新しい料理人仲間も増え、日を追うごとに楽しくなっていきました。落ち込んでいた自分を過去のものとして、振り返る余裕が出来たころに、ここで出会った生涯の親友にいわれた事があります。「今にも首をくくるんじゃないのか。そんな顔をしていたよ」と。自分ではわかりませんでしたが、そうだったのかも知れません。 
 
  そんな頃でしょうか、五十嵐総料理長から良く話しかけてもらえるようになったのは。 
 
  総料理長は和洋宴会すべてのボスですが、役職や雇用形態で区別をすることなくどんな人材にも対等に話してくれます。アルバイトの身でしたが、料理人同士として対等に料理の話をしてくれ、重要な宴会やボスが自ら指揮を執るときなどは、積極的に僕を傍におき、いろいろな話をしてくれました。ホテルで料理を提供するということ。組織運営の仕方。社内でのコミュニケーションのとり方。大きな宴会の仕切り方などです。街場出身で、チームで料理を作るということをまったく未経験だった僕には新鮮な話ばかりで、時間の許される限り、ボスの話を聞いていました。 
 
  あるとき総料理長のオフィスに呼ばれて言われました。ここでシェフをやらないかと。かなりびっくりしましたが、即答で辞退しました。まだまだ回復中の僕には気力と体力が十分でないと思っていたためです。ならば社員として働かなくても良いが、しばらくはいなさいとの言葉をもらい、そのときの話は終わりました。気軽なアルバイトとして、人材や管理面に手を出さず、料理だけにまだ夢中でいたかったということもありました。その後も一度同じ話をいただきましたが、同じ理由で辞退しました。それでも総料理長との日々は続きます。ベテラン勢で特殊料理のチームを組んでも、仕切りは僕。総料理長のイメージを熟練の職人たちに伝えてかたちにするのです。僕でいいのだろうかといぶかしく思っても、なぜか僕に任せ続けてくれました。そんな日々が料理人として再起する助力になり、回復していく自分を実感しました。 
 
  そんなことが半年ほど続き、再びオフィスに呼ばれたのです。ボスは言います。 
 
  「もう決めてきた。お前をウチのフレンチのシェフにする。人事にはお前以外は考えられんと言ってある。覚悟を決めろ。」 
 
  三顧の礼をいただいた僕に断る理由はもうありません。知らない土地、よくわからないシステムのなかでうまくやれるかと言う不安も確かにありましたが、迷わず二つ返事でお引き受けしたのでした。 
 
  それからが大変でした。またたく間にうわさが広がり、当時のスタッフからバッシングにあったのです。無理はないかもしれません。いくらフランス料理のシェフだったから、オーナーだったからと言っても、ここでの僕は誰から見ても派遣会社から来た、ただのアルバイトの身です。普通の感覚からすれば至極当然と思える反応です。総料理長以外全員反対と言う逆風の中で、「私がすべて責任を持ちます。彼がわがホテルにとって損害やを与えることがあったならば、私の首で責任を取ってください。彼はこのホテルをきっと変える。」と言い切ってしまいました。バッシングはぴたりと止み、文句を言う人はいなくなりました。その後は気まずい関係はないままに淡々と事はすすみました。こうしてひと悶着の後に、僕は無事にシェフに就任することが出来たのでした。 
 
  なぜそこまで推してくれたのか、ほかにもっと候補がいた中で、正体不明の僕に厨房を預けることに不安はなかったのか、一年を過ぎた頃に飲みの席で聞いたことがあります。答えは… 
 
  「お前はオレと一緒だ。街場の小さなレストラン出身でフランス料理が生きがい。まっすぐに料理を作り、ただその日のお客様の満足のことしか考えていない。荒削りだが、鍛えれば伸びしろがまだまだある。だから推した。料理人にとって大事なのは客を見つめる気持ちだ。腕は大事だが、その腕を育てるのは、そういう気持ちがあるかないかだ。」 
 
  疲れ、落ち込んでから、この嬬恋に来た僕には予想もできなかった、生涯の師とも言える総料理長にこうして出会い、そして今日も総料理長の足跡を確認しながら、もう5年もうしろを歩んでいます。 
 
  総料理長は厳しいです。大きな声で笑い、大きな声で怒る。予想外のところからあらわれて指摘する。誰も気づきそうにないところに眼がいく。お客様の満足を追い求める姿勢と、安全、安心の追求にはどんな小さなこともおろそかにしない。鼓膜が破れそうな大声で何度怒鳴られたことでしょう。「お前はオレが推した人材だからこそ、お前には一番厳しくする。お前のプライドや自尊心などは安全やお客様の満足には何の関係もない。」と常々言われています。上司がいても、部下がいてもお構いなく怒る。なにせ、あんまり褒めてくれない。 
 
  人によって区別はなく、はっきりものを言いにくい組織の中で、どんな人にも分け隔てなく、良い事は良い、だめなものはダメとはっきり言うのは、出来るようで、なかなか出来ないことだと思います。 
 
  総料理長と共に仕事をすることが頻繁にあるわけではありませんが、一緒に作業した料理の一つに「キャベツのダイナミックロースト」があります。キャベツ1個を丸ごと、葉を一枚ずつ開きながら蒸して冷やし、その葉の間に一枚ずつ薫香の効いたベーコンを挟みこんでから包み、もう一回蒸して、チーズと玉葱入りの白いソースを塗ってローストした料理です。その様子を浅間山に見立てているということでしたが、確かに冠雪の浅間山のように白くそびえて、大きな料理です。嬬恋にキャベツ、浅間山。きっと浅間山がキャベツに見えたのか、それともキャベツが浅間山に見えたのか。まだその真意は聞いたことがありませんが、この料理の予約が入り、キャベツを蒸して仕込むたびにボスの厳しい視線があるような気がします。嬬恋は日本の中にあるアルザスだ、とボスは常日頃から言っていますが、最近になってその言葉の意図するところが、少しずつわかるような気がしています。東京でしかフランス料理はできないなどと、狭い世界にいた僕への訓戒に近い、ボスからのメッセージなのかも知れません。 
 
 
寄稿 
原田 理 フランス料理シェフ 
( ホテル軽井沢1130 ) 
 
 
■「嬬恋村のフランス料理」1 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201507250515326 
■「嬬恋村のフランス料理」2 思い出のキャベツ料理 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201507282121382 
■「嬬恋村のフランス料理」3 ぼくが嬬恋に来た理由 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508021120200 
■「嬬恋村のフランス料理」4 ほのぼのローストチキン 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508131026364 
■「嬬恋村のフランス料理」5 衝撃的なフォワグラ 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508272156474 
■「嬬恋村のフランス料理」6 デザートの喜び 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201509051733346 
■嬬恋村のフランス料理7 無限の可能性をもつパスタ 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201509112251105 
■嬬恋村のフランス料理8 深まる秋と美味しいナス 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201509202123420 
■「嬬恋村のフランス料理」9 煮込み料理で乗り越える嬬恋の長い冬 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201510212109123 
■「嬬恋村のフランス料理」10 冬のおもいで 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201511040056243 
■「嬬恋村のフランス料理」11 我らのサンドイッチ  原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201511271650435 
■「嬬恋村のフランス料理」12 〜真冬のスープ〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201601222232375 
■「嬬恋村のフランス料理」13 〜高級レストランへの夢〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201603031409404 
■「嬬恋村のフランス料理」14 〜高級レストランへの夢 その2〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201603172259524 
■「嬬恋村のフランス料理」15 〜わが愛しのピエドポール〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201604300026316 
■「嬬恋村のフランス料理」16 〜我ら兄弟、フランス料理人〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201607061239203 


Copyright (C) Berita unless otherwise noted.
  • 日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
  • 印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。