2015年07月25日05時15分掲載  無料記事
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文化

「嬬恋村のフランス料理」1 原田理(フランス料理シェフ)

  軽井沢より車で30分、そこに緑豊かなわが嬬恋村があります。車で家に帰る途中に4頭ほどつがいの鹿に遭遇しました。山をあがっていくにつれ冷涼になり、軽井沢では27℃だった温度計は今18℃をさしています。温度が徐々に下がってゆく休みの夕刻の帰り路、嬬恋村に来てよかったと思います。偶然にもここで働くことになり、ほんのひと時の気分転換にと、来たつもりでしたが、もう5年になってしまいました。 
 
■群馬県・嬬恋村のホテル 僕の仕事場 
 
  毎日木漏れ日を浴びながら夢から覚め、妻の入れたレモンティーを飲んでから、木立を3分ほど歩くと職場に到着。今日の朝食は慌しかっただろうかなどと考えながら、日を浴びて渡り廊下を歩み、自分のデスクに向かいます。ここは嬬恋村にある230室ほどのリゾートホテルで、たくさんの方が避暑に来るトップシーズンには、毎朝夕各600名分ほどの食事を提供します。僕の名前は原田理、料理の理と書いておさむです。フランス料理にささげた25年。料理人です。 
 
  この春よりいささか仕事が増えましたが、ホテルで提供する西洋料理のすべてを自分のメニュで統括出来るのは、料理人冥利に尽きるというものです。シーズンや日々の献立を考え、伝え、かたちにしていく。すべてを自分ひとりでできるわけはありませんが、良い仲間がたくさんいるので、そこまで苦労もありません。 
 
■フランス料理との出会い 
 
  15歳の高校生だった僕が、なにげなく故辻静雄先生のフランス肉料理の本を手に取ったときに料理人としての人生が決まったのかもしれません。 
 
  中学を卒業したらそのまま修行に出、料理人になりたいと両親に伝えたとき、大反対され、せめて高校だけは入ってくれと懇願に近い形で諭されて高校に入ったものの、夏休みにアルバイトしている洋食屋さんで肉の焼き方をこっぴどく怒られた僕は、とにかく悔しくて、より上手く肉を焼くための資料を探しに、帰り路にある本屋に寄りました。目に入ったのは「家庭でできるフランス料理の本 肉料理 辻静雄著」。ステーキの項目を探しながらページをめくるうちに、フランスにはいろいろな肉料理があると知りました。ハンバーグとステーキしか知らなかった、田舎の高校生にはあまりにも衝撃的で、一度はあきらめた気持ちがコレで行くという確信に変わり、両親を説得してすぐに高校を中退し、料理の修業のため専門学校に入りなおしました。同じ頃父は30年勤めた上場企業を辞め、脱サラして店を始めたのは、家庭内で当時から笑い話です。 
 
■東京で店を持つ 運命のいたずらから嬬恋村へ 
 
  修行は辛かったですが、21歳になる5年目には小さい店に一人きりのシェフとして料理を任され、メニュや料理創作の喜びに変わりました。そのオーナーと両親の協力を得て25歳の時に同じ渋谷区でフランス料理店を開き、毎日大好きなフランス料理を作る日々が8年ほど続きました。場所柄、ファンドの外国人、芸能人やデザイナー、スタイリストやモデルなど華やかな職業の方が多く、このときに多数マスコミに紹介いただいて一定の人気を得、3店ほど展開した後にあのリーマンショック。2年ほど頑張りましたが斜陽になってゆく店を止めることは出来ませんでした。疲れ、うなだれ、人生に絶望して冷めてゆく料理への気持ち。ともに働いていたスタッフが経営にお疲れなら代わって店を預けてほしいと申し出があり、後進にそのまま店舗を譲りました。 
 
  疲れた体を癒せるならどこでもと派遣会社に頼んで、本当にたまたま紹介された嬬恋村に移住しました。都会やネオン、東京がすべてだと思い込み、慌しい毎日で疲弊していた僕にとって、季節ごとに白や緑、赤から茶に変わってゆく嬬恋村の豊かな自然は十分に体と心を癒してくれ、再び料理への情熱が戻っていく自分を実感しました。 
 
  いちアルバイトに機会を与えてくれ、2番手として総勢30名の料理人チームのすべてを任せてくれた総料理長と嬬恋村が僕の人生の恩人です。前フリが長くなりました。今は嬬恋村にあるホテル軽井沢1130でフランス料理と宴会、ブッフェの料理長をしています。ここで出会って結婚した愛妻に晩御飯を日々作りながら、リゾートホテルでの職務を楽しんでおります。 
 
■嬬恋村のフランス料理 
 
  フランス料理は日本ではまだまだ楽しむ機会が少ないと思われている料理のひとつとは思います。私の妻もそうでした。ですが実際には間口がとても広く、一杯飲み屋から日常使いの店、世界の富豪御用達の超高級店までいろいろあります。僕も仕事が終われば気軽なフレンチビストロやバールに飲みに出かけて過ごし、自宅は寝るだけ。食事を作るなどありませんでした。 
  都内にいると店の選択には事欠きませんが、嬬恋村は何も無いのが良いところ。日が暮れればフクロウや鹿、猪などの野生の王国です。休み以外は家と職場の往復しかありません。ならば自宅でやるしかないと自宅を店風にデザインし、テーマに合わせ妻に日々料理を作ることで、その代わりとしています。プロは家庭では作らないと言いますが、環境の必然なのか、そんなこともなく、楽しく日々妻に料理を作ります。フランスのシェフもよく家庭で作り、友人たちと気のおけない時間を楽しんでいますが、同じような感じでしょうか。もちろん家庭であまり凝ったものは作らず、もっぱら世界各地で愛されているような普段着の食事が多いです。いかんせん洋食が多いのが、妻的に不満かもしれません。 
 
  自分の志向は伝統に根ざした、流行からは一歩下がった感じの、昔高級、今はビストロでといった様子のトラディショナルな料理が主体です。最新でなく、かといって時代に合わないほど古すぎないというのがリゾートホテルの幅広いお客様やフランス料理に慣れていなかった愛妻にも柔軟に対応できるような気がしています。 
 
  フランス人はいつもフランス料理を食べているように思いますが、彼らももぎたての胡瓜やトマトの味、みずみずしさはわかります。むしろ普段の食事は日本よりも質素で少なく、薄味かもしれません。外食するときにたっぷりの量や強い味を求めるのは、その裏返しかもしれないですね。家庭ではソースだけ特別に作るような手間はかけませんし、煮ただけ焼いただけの手軽なものが多いのはどこも同じかもしれません。僕が家庭で妻に食事を作るときは手間をかけた外食仕様だったり、手軽な家庭料理だったり、仕事の試食をやったりします。趣味と実益、仕事のシミュレーションも兼ねて楽しみながらやっています。 
 
  喰うために働くとはよく言いますが、人生の中で食事に占めるウエイトが大きいほど幸せな人生が送れるのではないかと単純に考え、日々の生活を送っています。内容が豪華か貧相かではなく、きちんと愛情のこめられた料理は自分と、共にいる家族の人生に活力を与えてくれます。家族と楽しむひと時の食事。忙しく、処理する情報が多い現代だからこそ、食事の時間は大切にしていきたいものです。どんなに忙しく疲れていても、仕事とは別に自分の手を介した食事を妻に作る理由はそこにありますし、なにより妻の笑顔が一番の仕事の活力ですから。 
 
寄稿 
原田 理 フランス料理シェフ 
( ホテル軽井沢1130 ) 
 
■「嬬恋村のフランス料理」1 原田理(フランス料理シェフ) 
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■「嬬恋村のフランス料理」2 思い出のキャベツ料理 原田理(フランス料理シェフ) 
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■「嬬恋村のフランス料理」3 ぼくが嬬恋に来た理由 原田理(フランス料理シェフ) 
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■「嬬恋村のフランス料理」4 ほのぼのローストチキン 原田理(フランス料理シェフ) 
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■「嬬恋村のフランス料理」5 衝撃的なフォワグラ 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201508272156474 
■「嬬恋村のフランス料理」6 デザートの喜び 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201509051733346 
■嬬恋村のフランス料理7 無限の可能性をもつパスタ 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201509112251105 
■嬬恋村のフランス料理8 深まる秋と美味しいナス 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201509202123420 
■「嬬恋村のフランス料理」9 煮込み料理で乗り越える嬬恋の長い冬 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201510212109123 
■「嬬恋村のフランス料理」10 冬のおもいで 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201511040056243 
■「嬬恋村のフランス料理」11 我らのサンドイッチ  原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201511271650435 
■「嬬恋村のフランス料理」12 〜真冬のスープ〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201601222232375 
■「嬬恋村のフランス料理」13 〜高級レストランへの夢〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201603031409404 
■「嬬恋村のフランス料理」14 〜高級レストランへの夢 その2〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201603172259524 
■「嬬恋村のフランス料理」15 〜わが愛しのピエドポール〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201604300026316 
■「嬬恋村のフランス料理」16 〜我ら兄弟、フランス料理人〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201607061239203 
■「嬬恋村のフランス料理」17 〜会食の楽しみ〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201609142355513 
■「嬬恋村のフランス料理」18 〜 魚料理のもてなし 〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201611231309133 
■「嬬恋村のフランス料理」19 〜総料理長への手紙 〜 原田理(フランス料理シェフ) 
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■「嬬恋村のフランス料理」20 〜五十嵐総料理長のフランス料理、そして帆船 〜 原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201707291234426 
■「嬬恋村のフランス料理」21   コックコートへの思い   原田理(フランス料理シェフ) 
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201709121148442 
■「嬬恋村のフランス料理」22 原木ハモンセラーノで生ハム生活   原田理(フランス料理シェフ) 
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