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2012年10月02日00時32分掲載
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核・原子力
死の灰と闘う(その1) 「放射線を浴びたX年後」 大野一夫
「1954年3月1日、マーシャル諸島ビキニ環礁の米水爆実験「ブラボー」により公海上で操業中の静岡県焼津港所属の遠洋マグロ漁船第五福龍丸が死の灰を浴び、半年後、無線長の久保山愛吉さん(当時40歳)が放射線障害で亡くなった。事件は翌年1月、米国が2百万ドルの慰謝料を払うことで決着、乗組員に一人平均2百万円が支払われた。」(=共同通信)
1959年「第五福竜丸」(大映、新藤兼人監督)、1969年放送「廃船」(NHK 工藤敏樹)、1988年「ビキニの海は忘れない」(幡多高校生ゼミナール・高知県ビキニ水爆実験被災調査団=平和文化発行)、1991年「死の灰を背負って」(大石又七著、新潮社)、
2003年「ビキニ事件の真実」(大石又七著、みすず書房)などすぐれた映画や本がでているが、ビキニ被災船は9百隻を超え、うち856隻以上が漁業補償を受けたことは余り知られていない。 日テレNNNドキュメント
2012年1月29日深夜、日本テレビNNNドキュメント「放射線を浴びたX年後 ビキニ水爆実験、そして」を観た。南海放送(愛媛)が8年をかけ制作した。ビキニ被災船員と福島原発被災者のX年後の姿が重なった。
◆9百隻超えるビキニ被災船
ビキニ被災者は第五福龍丸の乗組員だけではなかった。延べ992隻の漁船が被曝した魚を廃棄。乗組員241人が被災し、1988年5月の時点で77人が死亡した。この内61人ががんによるもの。第五住吉丸の乗組員11人の内8人ががん(胃がん5人、肺がん3人)で亡くなっている。廃棄された35年後の第五住吉丸の船体から、セシウム137、ストロンチウム90などが検出された。
3月27日、アメリカは2発目の水爆「ロメオ」を爆発させ第2幸成丸に降り注いだ。獲って来た魚はすべて廃棄、ガイガーカウンターの針は振り切れた。船体は4千カウント、48・5ミリシーベルト(時)、10時間で白血球が減少する線量だ。乗組員19人の多くは40代、50代で亡くなった。番組は当時の乗組員やその妻たちから生々しいことばを聴きだす
生存者わずか2人。新生丸乗組員の妻は「皆、若くして、ほとんど亡くなりました」、「バタバタと死んだ」と。アメリカや日本政府から、何の補償もなかった。
映像の後半で東京六本木の海員ビル(海員組合本部)が映し出される。黒い袋カバンを肩に吊るした背の高い男が入っていく。次の場面は5階の海員資料管理室。戦前の日本海員組合(部員)、海員協会(職員)、戦後再建された全日本海員組合の機関紙、協定書、関係図書の一切を所蔵している。資料室担当の政策室事務職員・杉田眞知子さんが「船員しんぶん」合本を開いて僕と説明している。 「船員しんぶん」には「猛威ふるう放射能日本船員に被災者出る、雨で汚染した神通川丸、大阪、門司で21名が下船治療」の見出し。
神戸=平郡通信員発のリード文は「第二の福龍丸が出た、と海上に恐怖をまきおこした神通川丸はそれが放射能の灰にあらず、雨であったというところからますます問題が重大化」と新榮船舶の貨物船神通川丸(1万5百総トン、50人乗組。三井船舶チャーター)のビキニ被災を伝えている。
大阪府は乗組員9人に原爆症の疑いがあるとして入院を勧告した。弥彦丸、関西丸、第7京丸(捕鯨船)なども被災した。船員しんぶんには、1954年から毎年行われた核実験と各船の被災のニュース、米国への海員組合の抗議、雨カッパ着用など放射線防護手段が毎号載っていた。
ビキニでは韓国など、多数の国の漁船が被災したことも余り知られていない。
◆全てのビキニ被災船員に原爆手帳を
黒い袋カバンの男は山下正寿さん。高知県の元教師で第五福龍丸以外のビキニ被災船を聞き取り調査する幡多高校生ゼミナールの顧問教師のリーダー。「海員」2004年4月号(特集「第五福龍丸被災から50年」)の取材で四万十川の流れる宿毛市でお世話になった。海員ビルの映像は、3年前に山下先生と南海放送の方が撮ったもので、フクシマ3・11原発事故がこの作品をテレビに登場させた。
ビキニ被災から30数年後の1988年5月11日、高知県被災船員の会が発足した。しかし会員の死亡が相次ぎ続かなかったと言う。 山下先生は番組の最後に「広島、長崎以外でも被爆者健康手帳の申請ができるように働きかけている。ビキニ被災によって影響を受けた人に被爆者健康手帳(原爆手帳)を申請してくれ、と。こういうことは知られてないので、海員組合として引き続きとりあげてもらえれば」とのべている。事件から58年、時間がない。
ビキニ水爆実験から7ヵ月後、日本政府は突如「まぐろ放射線検査の中止」を決める。そのわずか4日後、アメリカの責任を追及しないことを条件に、アメリカが2百万ドルの見舞金(賠償金ではない)を支払うことで、日本政府はこの事件の幕を引く。
自民党政府は原水爆禁止運動の波が原発導入の障害となることを恐れ、ビキニの被曝船が福龍丸1隻かのように国民を欺いたのだ。 米ソ冷戦下の当時、核の保有力が優位とされ、核実験が太平洋で毎年実施された。同時にアメリカは、核の平和利用の名の下に日本に濃縮ウラン受け入れ協定を迫り、財界の意向を受けた中曽根康弘と読売社主の正力松太郎が先導した。
正力は初代原子力委員長となり米国に従属し、「原子炉から出る死の灰は食物の殺菌や動力機関の燃料にも活用できる」と書いた。ノーベル賞の湯川秀樹博士は委員を辞任する。
2百万円の見舞金を受けた福龍丸乗組員は焼津の一部市民からも反発され、中傷を受けた。大石又七さんが東京にでてきたのは被爆者という偏見と差別から逃れるためだった。第五福龍丸乗組員は(とりあえず)船員保険の扱いとなったが差別を受けていたのだ。 そして福龍丸以外のビキニ水爆で被災した乗組員は何の医療補償も受けられなかった。自民党政府は船員の生命よりも原発導入が大事だった。原発再稼働容認に動いた民自公の動きは、ビキニの地獄を再現するものだ。
◆映画「放射線を浴びたX年後」が完成
日本テレビの映像を撮った南海放送の伊東英朗ディレクターは、8月22日、「第五福龍丸以外の被災船、被災漁民について考える」のイベント(東京夢の島、第五福竜丸展示館)で安田和也学芸員とトーク。報道記者も出席した。
今夏、他のドキュメントを加えた映画、「放射線を浴びたX年後」が完成した。7月19日、農業ジャーナリストの友人から「今、試写を見た。海員組合本部と大野さんも出てきた」と電話があった。
東京の「ポレポレ東中野」、愛媛・松山市アートシアター「シネマルナティック」で9月15日から同時上映される。全国各地での自主上映が期待されている。
(海員組合元執行部員)
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