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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2010年06月24日10時50分掲載
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中国
広がるストの現場ルポ(下) 女性工員らのピケを警官隊が強制排除 国有系の平棉紡織
▽国有企業工員たちの伝統的な闘争
ストを行った平棉紡織の労働者の多くは40歳前後の女性たちである。彼女たちは工場の正門に長い横断幕を掲げた。それにはこうある。「共産党は母親だ。私たちはご飯を食べなければならない。生きていきたい。張先順をトップとするヤクザ集団を厳重に処罰せよ。市の党委員会は張先順のすべての職位を剥奪するよう強く要求する!」
張先順は平棉紡織グループの会長〔董事長〕であり、社長〔総経理〕である。工員たちは張には、国営企業の改編の過程で会社の財産を自分のものにしたという汚職の容疑があると思っている。
平棉紡織の前身は平頂山市棉紡績工場だった。1983年1月、工場を創立するとき、従業員は1人5000元ずつ出し合い、自分たちが主人公となる社会主義工場の建設に参加した。1994年、株式制度に改編され、棉紡績工場が天使グループとなったときも従業員は各1500元を出資し、グループの株を買った。2006年、天使グループは再度改編して平棉紡織グループになる。当時、従業員たちには株の構成をどのように調整するのかの説明もなく、ただ株券を現金にすることを承諾させられた。
今年5月14日午後、勤続年数によって得られる補償金を買い上げられること〔離職の際、本来ならば勤続年数に応じた補償金を支払うところ、離職前に雇用契約を一時雇用のものに変え、離職時に短期雇用に相応した少額の補償金にすること〕に不満を持った離職する工員たち約200人が工場の正門に座り込み、早番で退勤する工員や、午後から出勤してきた工員たちに解雇のいきさつを訴えた。もともと、不透明な置き換え金に不満を持っていた熟練工たちもストに加わり、その数は1000人を超えた。
ある女性工員の話を聞いた。彼女たちは17、8歳の80年代に工場に入った。 「平棉で一生働き、何もかも会社にあげたのに、会社側は何一つ私たちにくれない」 「若いとき、家族のお金をかき集めて会社に5000元を渡して工員になった。それは光栄なことだと思った。隣の家の子は工場に入りたくても入れなかったので、何日も泣いていた」
当時光栄だった「労働者階級」は、20数年たち、月給が1000元にも満たない最下層の「出稼ぎ労働者」になってしまった。
ある女性工員は夫も同じ平棉の従業員だが、夫婦二人の月収はあわせてわずか1500元前後だ。 「子供はまだ高校に行っていない。本当に困っている。私たちのような共稼ぎの工員たちは子供に教育も受けさせられない」
苦労のし通しだった彼女たちはストのやり方も知らず、代表者となって会社側と交渉しようという人も出てこない。それは「報復」されるかもしれないことを意味しているからだ。「会社の経営者たちははっきりこう言ったんです。ああした40歳以上の連中は、職場にもどってきたらつるし上げてやると」と、少なからぬ女性工員たちが、現場主任からこう言われたのだと訴えた。
労資交渉というものはふつうは労働組合と会社側とのあいだで行うが、労働組合と言ったとたんに、憂い顔だった彼女たちが吹き出した。「労働組合だって? やくざのほうがまだましよ」「組合なんて全員会社側の人たち、会社の手先よ。私たちのためにものを言ったりしない!」
工員たちに提示された賃金調整の要求について、会社側が組合に出した回答は「会社が実際に賃金として支出しているのは月に一人1400元あまりで、これは省内の木綿紡績業界の最高額だ。だが、年内に続いて調整をするだろう」というものだ。株の現金化については、2006年、天使グループが倒産したとき、工員たちの出資金1500元はそのときの清算にあてられた。もし返してほしいというのなら、2010年のいま、一人1500元しか返せない」という。
工員たちはこの回答を一笑に付した。「誰がいったい1400元の月給をもらっているか聞いてみたらいいのよ。よくもぬけぬけとウソを言う」「1500元が16年たっても同じ1500元なのか? 笑わせないで」
ストに参加した女性工員たちは会社の経営者側と向き合って交渉する機会がない。彼女たちは壁新聞の形式で工員仲間や会社側との連絡を行っている。いま流れている「全工員に伝える文書」には、このようなことが書かれている。「私たちには正義がある。私たちはよこしまな勢力におびえたりしない。たとえ報復されようとも、どうか信じてほしい。明るい世界には公正があるということを。私たちの温家宝総理も『公正と正義は太陽の光より輝かしい』と言っている」
工場の正門には工員たちによって毛沢東主席の肖像が2枚と、周恩来の肖像が1枚貼り出されている。その隣には、『毛主席語録』の中から引用された「工員ストライキの問題について毛主席が語る」が大きな字でプリントされ貼られている。
南海本田の「新世代労働者」にくらべ、平頂山の平棉紡織のストライキには前の世代の「国営企業工員」という特徴がある。前者はまったくの雇用関係にあってよりよい利益を勝ち取ろうとしているが、後者は2、30年苦労して勤め上げた末、社会主義の工場を建設したときの「労働者階級」の「共有財産」を分配するよう望んでいる。前者は国民としての表現(たとえば労働組合の再建、理性的な対話など)を使い始めているが、後者は彼女たちがよく知っている階級的な用語に頼っている。
労働者問題を研究している于建■[山+栄]氏は南海本田の工員を「完全に雇用関係にある」産業労働者だとし、彼らは、中華人民共和国における伝統的な意味の「労働者」、すなわち計画経済体制のもとの国有企業の労働者とは本質的に違うという。南海本田と平棉の案件は、訴えるレベルが違うのだ。「雇用された労働者は労働法による保障がある。しかし国有組織を改編した典型的な例では、法的依拠が見つからない。ただ、長く勤務した労働者がどれほど国家のために貢献したかなどといった道理を説くしかない」
しかし、于氏は、現在中国でのこうしたストライキはまだイデオロギー問題にまで発展していないと、「こうした問題は最終的には、労働者の権利、とうに利益における表れ方に行き着くのだ」とした。
于氏はまたこう言う。「ストライキはよいことだ。工員たちが目覚めている証拠だ。それがなんの問題になるのか。世界中どこでもストは行われている。ストライキは労働者に与えられた権利だ。現在、中国の労働者がこの権利を掲げて労資関係の緊張を解決しようとしている。これは喜ばしいことだ。労働者たちが自分たちの行動でその利益を表現してこそ、社会は本当の調和を達成できるのだ。こうしてこそ初めて、労働者側と資本側は対等に向き合えるのだ」
于氏はとくに、ストライキの問題を決して政治化してはいけないと強調した。ことに「治安維持」の問題につなげてはいけないという。「工員のストはまさに安定した社会構造を探し求める努力なのであり、社会の安定につながるのであって、安定を破壊するものではない」「工員たちは社会の安定を求め、権利を求め、尊厳ある生活を得て、ふつうの人のような生活を送りたいのだ。共産党は喜ぶべきだ。労働者たちが自分たちの権利をどうやって守るべきかを知れば、社会は本当の調和を得られる。共産党が最初に江西省安源でストライキを起こしたときも、労働者たちは組織的な交渉、理性的な闘争を希望していた。さきごろ清華大学で出されたレポートでも、権利保護は安定維持の前提となる基盤だと触れられている」
しかし、南海本田のストにしても平棉紡織のストにしても、地方政府は労働者たちと対立する側に立った。5月30日より以前、南海市政府はスト事件には消極的態度をとっていたが、5月30日以後、南海市獅山鎮政府が突然介入し、獅山鎮の労働組合本部の職員が工場の敷地内に入り、工員たちに作業再開を迫ったうえ、武装警察まで出動して工場の外で厳戒態勢をとったのだ。5月31日午前、工員たちと組合の人員の衝突が起き、女性工員の一人が押し倒され、数名の男性工員が顔に流血の傷を受け、職場にもどった工員たちも再び作業を停止するまでになった。
午後2時15分、「散歩」をしていた工員たちが工場の正門に近づいたとき、彼らの背後から、胸に獅山鎮の「労働組合員証」をつけた大勢の人員がつけてきた。これら「組合員」が工員たちと対峙したとき、緊張が走った。まだ顔にあどけなさが残る工員たちは初めは組合員という身分に疑いがあると訴えたが、双方で言い合いをするうち突然、200人の組合員に取り巻かれた。
工員たちは20歳前後の若者で、組合員は壮年男性だ。やせ細った青年と屈強な壮年との殴り合いとなり、道を避けて見物していた農民たちも不公平だと、「大勢で少人数をいじめるな!」と、叫び始めた。治安維持の公安車両が7、8台やってきて、さっそく現場一帯の道をふさいだ。車両内には黒い制服と制帽を身につけた警官が座っていたが、衝突はそれ以上発展しなかった。
6月1日、「獅山鎮労働組合」と称する人物が発表を行った。前日の労働組合員は彼らが派遣したもので、南海本田の工員たちが若すぎて、処理の経験がないから、組合員たちの助けを借り、組合本部から100人あまりを現場支援に行ってもらったのだと述べた。しかし、南海本田の工員たちは、この「労働組合」の人員は金で雇われた臨時の人間だと指摘している。
この件と同様、遺憾なことに、河南省当局が平棉紡織のストライキ事件の処理にあたって使ったのが、これまで通りの「突発的集団性事件」扱いだったことである。
5月30日、会社側と工員たちとの最終交渉が不調に終わった後、経営陣が工員たちに突きつけたのは、6月1日には強制的に作業を再開するというものだった。
6月1日早朝、ストに参加した工員たちがほぼ全員、正門に集まり、年齢が上の女性工員たちは正門に最も近い位置に寄り、彼女たちの横断幕を守った。6時半ごろから、警官を満載した大型車両が平棉紡織のある建設路に集まり始め、あっという間に公安の特殊部隊、武装警察、公安、保安、少なくとも3000人の警察が30分以内に工場を包囲した。道路には厳戒態勢がしかれ、拡声器で工員たちを説得にかかった。この話はどこかで聞いたようなものだ。「……一部の下心ある人間が真相を知らない従業員たちを扇動し、正門をふさいで会社に重大な損失をつくった。……このような社会の秩序を乱す行為は法によって厳重に処罰される……」
工場周辺には平棉紡織の社員住宅がある。厳戒態勢ラインの外では群衆が徐々に増えていく中、数百人の警官が正門に迫っていった。最後まで横断幕を持っていた工員たちは引きずられたり、担ぎ上げられたりして警察車両に乗せられ、一方では小規模な衝突もあった。
こんな有様を見たこともない女性工員たちの一人は、遠くから見ていて泣き出した。「怖い……。私たちには政府に対抗するつもりなんかない。ただ、生活が苦しくて、口に出して言えないくらいことがたくさん……。私たちは食べていかなくちゃいけない。生きていかなくちゃいけない。こんなやり方は黒を白とする、ウソが本当のことだとするようなもの。本当に怖い」
▽人民警察が人民を捕らえる
平頂山の住民たちにとって、3000人もの警察官が女性工員を逮捕するような状況はいまだかつて見たことがない。ある住民は指さして叫んだ。「人民の警察が人民を逮捕するのか!」。老人たちも怒りをもって叫んだ。「鬼が来た!〔鬼はかつて日本軍を指した〕」
平棉の従業員たちによると、6月1日夜、自宅に帰っていない女性工員は20人ほどいたという。警察側の説明では罪状は「生産を妨害した罪」だという。6月1日、工場は門を開けたが操業はできなかった。その夜、連行されなかった工員たちにそれぞれの上司からの通達があった。「1日から3日以内に出勤した者には1日に100元を支給する。4日から7日以内に出勤した場合は1日に30元、8日以降も出勤しなかったときは無断欠勤として扱う」というものだ。この結果に多くの女性労働者は意気消沈した。「株券の現金化のことは触れられない、賃上げもなし。仕事仲間たちは工場にもどっても社内退職〔男性55歳、女性45歳で再就職がむずかしい労働者を対象に、解雇をせず正式な定年まで社会保障費などの手当を据え置くこと〕させられたら、どうやって生活するの?」
郭於華氏はこのような方法による「治安維持」に怒りをあらわにした。「現在の安定に対する考え方は改めるべきだ。彼らは圧力を加えれば問題が解決されると思っている。彼女たちは最下層の人だ。いかなるときも彼女たちが利益を供出するとき、政府は社会全体の責任がある。権利と社会の公正を守るべきであり、さまざまな利益集団を注視し、利益をここまで一方にだけ傾斜すべきではない。そうでしょう?」
郭氏は強調した。「政権党は労働者階級、農民階級の政党として、労働運動の処理が悪ければ政権党として法的正当性を失うのだ」 (おわり)
原文=『亜洲週刊』2010/6/13 張潔平、朱一心記者 翻訳=納村公子
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