ウィキリークスが紙面を大々的に飾ったのは11月30日だった。その直後に出た12月2日―8日号のル・ヌーベル・オプセルバトゥール誌(フランス)には「イランに対する秘密の戦争」(Le 05 decembre 2010 、La guerre secrete contre le programme nucleaire iranien)と題された特集記事が出た。記事ではイスラエル、アメリカ、フランス、ドイツ、英国の情報機関が連携し、必死になってイランの核開発阻止を目指している話が紹介されている。
「影の戦争のキーマン」として紹介されているのは以下の5人である。Leon Panetta (オバマ政権のCIA長官)、 Meir Dagan(シャロン政権時代にモサド長官になり、対イラン作戦に従事)、Sir John Sawers (英国の情報機関 MI6長官)、Eard Corbin de Mangoux (フランスの情報機関DGSE長官)、Ernst Uhrlau (ドイツの情報機関 BND長官)。
欧州3カ国が参加している背景にはイランが核兵器とミサイルを持てば欧州が射程に入る可能性があるからだろう。記事では連合作戦が始まったのは2003年と書かれている。
今年11月にイランのNatanzにあるウラン濃縮施設がサイバー攻撃を受けて稼動が止まった話や、イランの核開発関連施設にある3万台以上のコンピューターがウイルスに感染した話などが紹介されている。またイランの核開発に絡む核物理学者が次々と暗殺されている話も紹介されている。
ウィキリークスの記事が出たのは日本では11月30日の朝刊だったが、朝日新聞の国際欄ではリーク関連記事の下にイランで核開発に取り組んでいた2人の科学者が襲われ、1人が死亡したというベタ記事が出ていた。
ル・ヌーベル・オプセルヴァトゥール誌の同特集の中には「ウィキリークス爆弾」というタイトルの囲み記事がある。ウィキリークスのリークでクローズアップされたイランがらみの外交公電についてだ。サラ・ダニエル記者はウィキリークスがリークしたイランに関する外交公電には特筆すべき情報こそなかったが、アメリカの外交政策に影響を与えたと書く。それはどういう意味なのか?
過去にはしばしば有効だった曖昧な政策〜曖昧さ(両義性)は外交のエッセンスでもある〜は今後はイランに対して使えなくなったというのだ。ダニエル記者は1人のアメリカ人外交官の嘆きを紹介している。「今までと同じ外交はもはやできない」。
さらに「ウィキリークス爆弾」にはこう書かれている。
「ベトナム戦争中の1971年にダニエル・エルズバーグがベトナム戦争のトップシークレットだった7000ページに及ぶペンタゴンペーパーズをニューヨークタイムズにリークしたときは戦争に対する国民的論争を巻き起こした。一方、ウィキリークスから出たアフガニスタンやイラクの戦争に関する悩ましい数千の外交公電は情勢を変えていない」
■ル・ヌーベル・オプセルヴァトゥール誌に「イランに対する秘密の戦争」を寄稿した記者バンサン・ジョベール(Vincent Jauvert)のブログ「イランの核開発に対する秘密の戦争」
http://globe.blogs.nouvelobs.com/archive/2010/12/05/la-guerre-secrete-contre-l-iran.html
■ル・ヌーベル・オプセルバトゥール誌(週刊誌)
http://tempsreel.nouvelobs.com/index.html
村上良太
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