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   2012年02月14日02時53分掲載
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コラム
   北米一周2ヵ月の旅 50万円でおつりあり  村上良太
    
   
    
     
      
        1985年のプラザ合意の後、円高が進んで1ドル145円になった1986年、大学時代の夏休みを使って北米大陸一周旅行をしました。海外旅行をするのは初めての体験でした。クラスメートが北米一周旅行をすると言うので、それに便乗させてもらったというのが真実です。
    ロサンゼルスにまず入り、そこでグレイハウンドバスという全米を網羅するバス会社の1か月クーポン券を2か月分買いました。クーポン券があればその期間は乗り放題です。そこで学友は宿泊費を浮かすために、夜行バスを使うことを提案しました。夜の10時とか11時に出発して、8時間くらいの距離にある次の町行きに乗れば、バスで眠って翌朝、次の町を観光できるというわけです。僕がそのプランに便乗したことは言うまでもありません。
    ロサンゼルスからスタートして、サンディエゴ、グランドキャニオン・・・という風に南回りで旅をし、さらに南下して国境沿いを東に進み、サンアントニオからメキシコシティー行きのバスに乗りました。プロテスタントからカトリックへ、超大国アメリカから貧しいメキシコへ。
    リオ・グランデ川を1本隔ててこれほど世界が違うのか、というのは驚きでした。メキシコシティ行きのバスは匂いが違っているし、乗っている人々の顔も違っています。夜のバスは果てしなく続く平原を進んでいきました。月が地平線の上に出ています。バスで17時間かけてメキシコシティーに着きました。
    この年は「ラ・バンバ」というメキシコの音楽映画が流行したのですが、メキシコ国境沿いを町から町へ、東に向かって出たり入ったり旅をしていると、メキシコ人たちが川に架かる橋を毎日、渡ってアメリカに行って働いては夕方、メキシコ側に帰るというのをよく目にしました。国境沿いにはアパレル産業が多数あるのか、国境沿いの町の服屋では安い服が山のように積まれて一山いくらのように投げ売りされていました。
    この頃はアメリカ国内のメキシコ人が500万人くらいでしたが、それでもヒスパニック系の移民が増えていると話題になっていました。今は4000万人を超えています。この年は猛暑で、越境したメキシコ人の季節労働者が20人以上熱射病で亡くなっています。1986年から今年でおよそ25年、四半世紀になります。
    学友とはフロリダ沖の島、キー・ウエストでルートを別にし(僕も1か月くらいして旅慣れて来たのです)、ニューヨークで再会し、再び別行動してそれぞれ別に帰国しました。ですから、ニーヨークからカナダを経て、ロサンゼルスから帰国するまでは単独行動だったのですが、帰りはお金を一層節約するために、グレイハウンドバスで23連泊することになりました。ルート的には大まかですが、ニューヨーク→カナダ(トロント、ケベック、オタワなど)→シカゴ→オマハ→シアトル→サンフランシスコ→ロサンゼルスというようなルートです。毎日、バスで眠っていると、座って眠るのが普通になってきます。そのため、3週間ぶりにサンフランシスコのドミトリー(寮)のベッドで眠った時は、体を後ろに倒すのがまるで後ろに落っこちていくような不安と恐怖を一瞬感じたものです。
    旅費は航空運賃から宿泊費や食費などしめて50万円の予算で5万円のおつりがありました。費用は親に借金したのですが、翌年、毎日新聞社編集局の夜勤のアルバイトをして全額返済しました。お世話になった学友は商社マンになり、僕はテレビの仕事をしています。
  村上良太 
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