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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2017年02月17日00時31分掲載
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医療/健康
夜勤ナースの独り言(35)
夫の脳腫瘍が発覚してから、どこの病院で手術と治療をしていくべきか、すごく迷いました。脳腫瘍が悪性か良性かは、“細胞診”をしてみないと分からない状況で、脳神経外科出身の看護師である友達からの「脳の手術だけは絶対に腕の良いところでした方がいい。一生を左右されるから」というアドバイスもあり、毎日不安の中、インターネットで情報収集しました。しかし、情報量が多過ぎて、「放射線治療はやるのか」とか「抗がん剤の内服になったら・・・」とか、いろいろと頭を悩まされました。 そういう中、夫は2016年4月下旬、精密検査のためA市の民間総合病院に入院しました。主治医は、年齢の若い方でしたが、脳神経外科が有名な都内の大学病院のご出身で、夫の脳腫瘍のMRI(磁気共鳴画像)を見て「TJ医大で手術を受けることが望ましいのでは」と考えてくださり、直ちに出身大学病院に電話連絡を入れるとともに、その日のうちに手術室の予約まで入れてくれました。しかし、TJ医大で手術ができるのは、手術を待っている人がたくさんいるため、どんなに頑張っても6月になるとのことでした。 TJ医大は、脳腫瘍の手術件数や手術室の設備、治療成績が非常に高い病院で、脳腫瘍治療の分野では日本一と言っても過言ではありません。私としても「治療をするのであれば、とにかく治療成績や手術件数のある病院で」と考えていたので、「TJ医大に紹介状を書きますので、そこで手術を受けてください」と言われたときには、藁にもすがるような思いでいたのが、急に希望の光を見出したように思えて、非常に嬉しく思いました。
脳の手術は1日がかりです。夫のように脳腫瘍が深い位置にあると、麻酔をかけ、術中の体位を整えて執刀を始め、緻密な作業を繰り返して患部に到達するまでに相当の時間を要すると言われます。 しかしTJ医大は、術中にMRIを撮りながら脳腫瘍の取り残しを無くしていくというハイテクな手術室を、ちょうど夫が手術を受ける6月に日本で初めて導入するということで、医療系の雑誌や医療従事者向けのコンテンツなどで話題になっていました。その新型の手術室で夫が手術してもらえたのは、今思えば奇跡としか言いようがありませんが、当時の私は、夫の脳腫瘍周辺のむくみがあまりに酷くて、「もっと前倒しで、早く手術できないのかな」とイライラすることもありました。
夫は、TJ医大に入院した際の手間を省くため、A市の民間総合病院において、造影剤を使って脳血管の血流を確認したり、血液検査や、肺のレントゲン撮影など、一通りの術前検査を4月下旬に済ませました。その後は6月予定の手術日まで特にやることはなく、手術まで約2か月間の待機となります。 そこで夫は、5月のゴールデンウィークから飲食店の営業を再開することにしました。私は、夫にやりたいことをやってもらおうと思いましたが、脳腫瘍の患者は、脳実質の圧迫からけいれん発作を起こすことがあるので、私の判断で夫には車の運転は止めてもらいました。 しかし、片田舎の生活で車が運転できないということは、もう人に頼らないと生活ができません。その当時、夫と私は、街の中心部から車で15分ほどの場所に住んでおり、中心街に行くためには、私が車を運転するか、バスに乗るしかありません。そのバス便ですが、朝方はそこそこ本数があるものの、昼間は1時間に1本あるかないか。夜は19時半に終バスが出るという典型的な田舎路線です。 食材の買い出しからゴミ捨てなど、夫の仕事は車無しでは成り立ちませんし、火を扱う仕事なので、仕事中にけいれん発作を起こしたら火事を引き起こすリスクもあるので、私は「けいれん発作時には、誰かがそばにいなければならない」と考え、5月から手術日までの約2か月間、私は24時間体制で夫への付き添いを始めました。
ここで、東北地方の田舎町で暮らしている夫の両親が登場します。私が夫の病気のことを話したら、「すぐにでも行くから」という話になりました。私たちが住む海沿いの街からだと、電車を乗り継いで約6時間もかかる場所で暮らしている70代の義父母としては、大切に育ててきた長男(=夫)の病状に気が気でないのでしょう。その気持ちはよく分かります。 だけど、私としては、義父母にあまり来てほしくありませんでした。というのは、私たち夫婦が暮らす、車が無いと生活できないような土地に義父母が来ても、移動するとなると私が手伝わなければならなかったり、迎え入れる準備もそれなりに必要ですし、嫁である私としては気を遣わざるを得ません。夫の付き添いもあって精神状態がぎりぎりの私を、さらに追い詰める可能性があったからです。 そういう私の思いなど、つゆ知らぬ義父母は、間もなく私たちの家にやってきたのですが、脳腫瘍の患者と言えども普通に会話もできることから、重症度が分りづらいようで、私が「手術していないのだから、まだ騒ぐときではないんですよ」と何度言っても、夫の両親としては安堵しているというか、「大したことないじゃない」程度の感想を持ったようです。結局、夫の両親は、4月下旬から5月上旬まで所在なげに過ごした後、「あとは、れいこちゃんに任せた!」との言葉を残して帰っていったのでした。 夫の病状が急変しないか気を配り続け、さらに狭い家に押しかけてきた義父母に気を遣い続けた私は、夫の両親が帰った後、ストレスが増大したせいで人生初の大人喘息の発作を起こし、死に掛けそうになりました。
人は病気になると、大なり小なり周りを巻き込んでしまいます。夫の病気は、決して夫だけの問題に留まらず、妻である私や夫の両親、親戚の人生にまで影響を及ぼすことになりました。自分が患者家族になって、改めて思い知ったのですが、患者本人だけでなく、患者家族も精神状態が追い詰められ、周りが見えにくくなります。私の場合、夫に付き添うために看護師の仕事を手放したので、夫婦揃って収入は途絶えました。手術の結果、もしかしたら夫は障がい者になるかもしれません。そんな将来に対する不安と毎日一人で闘うので、周りが見えなくなるのは当然かもしれません。夫から「自分の病気を、他の人に知られたくないから、あまり人に話さないで」と言われたことや、すぐ近くに相談できる人がいなかったことも、私を精神的に追い詰めるのに拍車を掛けました。周囲からは普通に生活しているように振る舞いつつ、絶望感に苛まれる日々を過ごすというのは、今思い出しても吐き気がする思いです。 脳腫瘍など原因が分かりづらい病気なら仕方がありませんが、高血圧、糖尿病、喫煙、飲酒など生活習慣に起因する病気に関しては、心がけ次第で病気になるのを未然に防げるので、周囲に迷惑を及ぼす前に生活改善することをお勧めします。 ちなみに私は、夫の病気のこともあり、今はあれだけ好きだったお酒を止めています。(れいこ)
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