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2019年07月12日14時22分掲載
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アジア
スーチー幻想を省みる 野上俊明(のがみとしあき):哲学研究
先般スーチー氏へのノーベル平和賞の授与を取り消すようにとの国際世論の動きが強まった際、ノルウェ―・ノーベル賞委員会は取り消しは拒否するとしつつ、取り消さないことによって「平和賞受賞者であることが、国のリーダーとして行動する際の熟考につながることを願っている」としました。つまりノーベル平和賞受賞者であるという矜持があれば、それが人権や民主主義という普遍的規準に彼女の行動をどこかで繋ぎ止めるアンカー(碇)の役割を果たすかもしれないというのでしょう。
しかしどうでしょう、彼女はロヒンギャ危機のなかで国軍と一線を画することができず、共犯者的立場に身を置いてしまった以上、また危機以前の立ち位置に復帰することは不可能ではないまでも相当な困難を伴うでしょう。第一に国内のイデオロギー的勢力配置が、軍政時代とはまったく違ってきています。かつては軍部とその政商(クロニー)対 国民全体(ビルマ族プラス少数民族)という単純な構造でした。しかし現在は反ムスリム感情において軍部と仏教徒ビルマ族は利害関心を共有しており、スーチー氏の政治的立場はその流れに掉さすかたちになっているのです。しかもその程度は現実への已むを得ざる譲歩という限度を超えて、思想的な転向を伴っているようにみえます。そしてそのエビデンスとなるような驚くべき出来事が最近起こったのです。
スーチー氏はこの6月欧州を外遊しました。その際彼女はあろうことかメルケルやマクロンといった指導者ではなく、EUの「Les Enfants Terribles手におえない子供たち」―つまり超問題児―の一人とされる、極右人種差別主義者で、難民排斥の急先鋒であるハンガリーのヴィクトル・オルバン首相と会い、共同声明まで発表したのです。その声明で両者は反イスラム感情を共有し、ミャンマーにはありもしない事実、つまり「たえず増加しているイスラム教徒の人口に関連して、移民は両国が直面する最大の課題の1つである」としたのです。これにはかつてスーチー氏を支援した西側の世論も、驚きやショックを跳びこしてあきれ果て幻滅するしかありませんでした。この人はどこまで墜ちれば、気が済むのだろうか、という訳です。
2010年11月、15年に及んだ自宅軟禁が解除され合法的な活動を再開してから、2012年6月にラカイン州でラカイン族仏教徒とロヒンギャとのコミュナル紛争(民族宗教紛争)が勃発するまでのあいだが、スーチー神話が最高潮に達した時期でした。スーチー氏は、ミャンマーの建国の父を父親とし、誇り高き創業家の一員として、かつ新しい国づくりのヒロインとして国内外からの賞賛を一身に集めていたのです。ところがコミュナル紛争が起き、大量の死傷者が出ているとの報が伝えられたにもかかわらず、彼女はまったく動こうともせず、沈黙を守りました。西側記者から迫られ、ようやく発したことばが「仏教徒もムスリムと同様被害者であり、(どっちもどっちなのだから)一方に肩入れするわけにはいかない」と、調停者的高みから自分の無為無策を合理化したのです。ガンジーのように身命を賭して火中の栗を拾うのではなく、いつでも調停者という第三者的な立ち位置からものをいうーつまり自己の特別視!―のが、この人のマインドセット(精神的クセ)になっていることがはっきりしてきたのです。(しかもこの期に及んでも、スーチー氏の沈黙をスーチー哲学からくる神(深)謀遠慮の表れだと講釈するミャンマー「専門家」もいて、個人崇拝の根深さを感じさせました)
国際社会は、紛争解決のためにスーチー氏へ自分の精神的政治的影響力を行使するよう圧力を強め、ときに厳しい批判を浴びせました。すでにこの紛争は自然発生的というよりも国軍や仏教過激派が背後にいて、ロヒンギャの追放を狙いとする組織的系統的なものらしいことが分かって来つつありました。これ以後強まる一方の国際社会からの非難や批判は、彼女が後ろ盾として頼りにしてきた人々からのものだけに、「背後の一突き」に似ておそらくショックであり、深く心が傷ついたことでしょう。国内でもレッパダウン銅山開発に反対する農民から、開発事業の継続認可を彼女が事実上与えたことに対し、背中に怒号を浴びせかけられる事態も生まれました。(露天掘りによる銅採掘は、途轍もない自然破壊と銅精錬による壊滅的な環境破壊をもたらしていますが、現在更なる拡張計画が中国企業によって進められています)
スーチー氏やNLDをめぐる政治的な現状分析は別の機会に譲ることにして、ここではスーチー神話の正体というか、スーチー神話が生まれた条件を簡単におさらいして、今後の教訓にしていきたいと思います。
<スーチー幻想の生まれた条件>
スーチー幻想や崇拝感情の生まれた背景にはいろいろの側面があります。国内的にみれば、軍部独裁によって強化された、植民地支配の後遺症としての民衆側の受動的従属的意識(王様を欲しがるかえるたち!)であり、また上座部仏教特有の聖人崇拝の精神的伝統があります。ただ多くの少数民族は概してキリスト教やイスラム教、ヒンズー教の信徒ですから、もともとビルマ族指導者への崇拝感情は希薄でしたし、今日彼らはNLD政府と一線を画し、少数民族諸党を統一して新しい民族党の旗を掲げて来年の総選挙に臨もうとしています。支持者減に焦るNLDは、総選挙対策として彼らとの提携を図ろうとしているとの噂も聞こえてきますが、いかにもご都合主義的な動きです。
また当のスーチー氏の側にも、国父の娘たる自負と政治的社会的経験の欠如や未熟さからくる自己万能意識―自分は何でも最適な評価と判断ができるという思い込みーがあったでしょう。集団的な知恵よりも自己決定の方に重きを置き、上から目線で党員たちや支持者に教訓を垂れるという説教スタイルは、一貫して変わりません。それは国民の圧倒的支持を自分への全権委任と取り違える非民主的な体質となって固まっています。かくしてソフトな独裁者という雰囲気を漂わせることにもなります。
国際的な要因も無視できませんし、これには西側世論にも一斑の責任があります。ノーベル平和賞を始めとするあらゆる人権と民主主義関係の名誉賞を、決起し血みどろで闘ったミャンマー国民全体への贈り物とせず、スーチー氏個人の卓越した道徳性精神性への賞賛に変えてしまい、結果として個人崇拝感情を助長してしまったことです。朝日新聞には悪いですが、悪しき一例としてあげておきます。朝日はNLD政権成立後の一時期「アウンサンスーチーの軌跡」というタイトルで連載記事を組んでいました。スーチー氏の行動を軸にして、ミャンマーの民主化に向かう情勢を追っかけるという視点でした。しかしロヒンギャ問題や言論の自由弾圧事件など民主主義に逆行する動きが顕在化しだしたため、スーチー氏の英雄物語風な特集は途中でとん挫せざるをえませんでした。これなど西側の「良心的」知識人の陥った罠の典型例でした。植民地支配と軍部独裁の後遺症としての地獄のような国土と人心の荒廃、宗教民族人種による分断的モザイク国家状態、徹底した教育の破壊、天国と地獄のような貧富の開きなど、スーチー氏が直面した政治課題はその深淵に目がくらむほどであったので、軟な政治物語など受け付けるはずもなかったのです。
さらにいうと、1990年代左翼の退潮に伴う国際的な政治的幻滅の広がりと、その反作用として道徳的な政治家を求めるという西側知識人の願望がありました。スーチー氏やミャンマーに関する情報が不足していたこともあり、自分たちが渇望していた理想像をここぞとばかりスーチー氏に投影した感がありました。そうしたなかでは「希望の声―アラン・クレメンツとの対話」(岩波書店 2008)が、良書に違いないとしても、やはりスーチー神話を創りだす上での貢献度は大でした。私は1998年3月ミャンマーに渡航する飛行機の中で原書を読みましたが、今思うとずいぶんとスーチー氏をきれいに描いているなという感想を持ちます。
今後スーチー氏の実像が明らかになってくるでしょうが、1988年動乱の際も、そもそもスーチー氏には自由の女神として民衆を先導する役割を演じる積りはなく、むしろ怒れる民衆と軍部との調停者として振る舞う積りだったという説もあります。愚かな軍部が見境のない残忍な弾圧を加え、1990年選挙のNLD勝利を認めなかったために、民衆の側にスーチー氏はやむなく立ち位置を移動したというのが真実かもしれません。そう解釈すると、NLDが合法化してからスーチー氏が軍部との融和に熱心だった行動も不自然ではありません。以前述べたように、たしかにスーチー氏には国軍は不倶戴天の敵ではなく、自分たち創業家のなかの一員であり、国づくりファミリーの一員であるという意識が強いのです。
いずれにせよ、いま述べた諸々のファクターの相乗効果によって生まれたのが、スーチー氏への共同幻想だったのです。なるほどスーチー氏が自宅軟禁され、ミャンマー民主化運動が息も絶え絶えだったときには、スーチー神話もプラスに働きました。彼女の知名度のおかげでミャンマーは国際世論から注目され続けられたのです。しかし同じ神話が状況の変化に伴い機能変化を起こし、運動の発展にマイナスの効果を及ぼすようになったのです。それとの関連で、最後にアラン・クレメンツの本の中で強調されていた、スーチー氏の仏教哲学、仏教的政治思想について私見を述べておきます。
宗教一般についていえることですが、教義のみを取り出してその素晴らしさを議論するやり方は一面的です。宗教教義は文言の内容もさることながら、教義の果たす社会的機能までしっかりと見届けなければなりません。スーチー氏が至るところで強調してきた「慈悲、慈愛」は、いわば上座部仏教の上澄みのきれいな部分といえます。特に上座部仏教のように民衆の生活と意識に深く根ざしている場合、習俗としての仏教、エートスとしての仏教の側面をもみておくべきです。表層としての「慈悲、慈愛」の下には、深層として民族・人種・宗教的な根深い差別構造・差別意識(非ビルマ系少数民族・インド系人種・イスラムへの差別意識)と性暴力を含む暴力構造が伏在しているかもしれません。熱心な信仰の裏にはビルマ族仏教徒としての主流派的優越意識(植民地支配により深く傷つけられてきたことの補填心理でもある)が支えとなっているのかもしれません。ミャンマーに暮らしてみて、ミャンマー人のやさしさと社会の深部にまでビルトインされた暴力が併存する様を目の当たりにしました。ここのところに目を塞ぎ、慈悲慈愛を強調するのは一面的です。龍谷大学での講演など、スーチー氏が日本で行った講演内容には一方的に慈悲が強調されており、現実と向き合う政治家としては下手をすると自己欺瞞に陥りかねません。政教分離も確かでない国の政治家が、仏教の伝道者めいた振る舞いをするというのは、イランの聖職者が神権政治の卓説性について日本で演説するのとどれほどのちがいがあるのでしょうか。
ミャンマー仏教については、私はM・ウェーバーがユダヤ教について指摘した「対内道徳と対外道徳の二重性」が当てはまるように思います。この道徳の二重性というのは、身内とその外とで道徳律を使い分ける特性―ウェーバーは「パーリア(賤民)性」と名づけましたーのことをいいます。美しい慈悲慈愛は身内たるビルマ族仏教徒の範囲内でのみ通用する道徳律であり、それ以外の民族や異教徒には差別も苛酷な迫害も容認するのです。ロヒンギャ問題で、スーチー氏とビルマ族仏教徒が取っている態度は、絵に描いたような二重道徳性なのです。その意味でミャンマー仏教は、世界宗教としての普遍性を失って民族宗教へと還帰(退化)したものではないか、そういう印象をぬぐえません。
これはある種悲劇といえば悲劇なのですが、スーチー氏は政治指導者として国柄の特殊性に適応し、それに対応した政治を築こうとしたにもかかわらず、ミイラ取りがミイラになるかのごとく、あらゆる既成性(エスタブリッシュメント)―政治構造、経済支配、社会習慣、民衆意識―の泥沼に入り込んで身動きが取れなくなっているようにみえます。幸いというべきか、中国、日本など有力な各国が援助や投資競争を繰り広げているなか、特定の指導者のイニシアチブがなくとも当面経済的には成長軌道を確保できる見通しです。だから今こそNLDを慌てさせる強力な民主主義反対派がしっかりした核の部分を形成し、2020年の選挙に打って出るときではないでしょうか。そうした動きは仄聞ながら私の耳にも聞こえて来ている今日この頃です。
野上俊明(のがみとしあき):哲学研究
ちきゅう座から転載
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