「社会保障・福祉国家の『見直し』」は、計り知れない犠牲と害悪を生み続ける。新自由主義は、グローバリズム、新保守主義と同時に手を携え、世界中で貧富の差を拡大させ、競争を煽り、自己責任を言い立て分断と差別を広げている」。堀義人グロービス経営大学院学長が「自己責任は自由な人が持てる特権」と題するコラムでこう書いていたのを見付けて妙に納得した。https://www.nikkei.com/article/DGXKZO18554930W7A700C1X12000/https://www.nikkei.com/article/DGXKZO18554930W7A700C1X12000/ 2021年9月5日取得)。 2021年8月、イスラム主義組織のタリバンがカブールを制圧しアフガニスタンを支配下に置くようになった。その約1箇後の新聞は、「アフガンでは貧しい人がタリバンに吸い寄せられていった。教育を受けられず、仕事にも就けない若者を大量に受け入れて勢力を伸ばした」との「旧アフガン政府軍元司令官」の証言を紹介している(日本経済新聞2021年9月11日)。
▽広がる貧富の差と分断 同国は、国連の「人間開発指数」(「健康長寿、知識へのアクセス、人間らしい生活水準という、人間開発の3つの基礎次元における長期的な前進を評価する総合指数」国連駐日代表事務所『人間開発報告書2020 新しいフロンティアへ:人間開発と人新世 2020年版 人間開発報告書に関する国別ブリーフィング・ノート』2020年12月、2頁https://www.jp.undp.org/content/tokyo/ja/home/library/human_development/hdr2020.html 2021年9月11日取得) で169位であり、同じく低位グループには、やはり中東のイエメン(179位)と170位のハイチ(中南米)を除き、最下位のニジェールを初め全てアフリカ地域の国(188位の中央アフリカ、187位のチャド等)が占めている(国連駐日代表事務所『概要 人間開発報告書2020 新しいフロンティアへ 人間開発と人新世』28頁)。いずれも、かつて植民地支配を受けた歴史を有し、独立後に内戦、クーデターを経験した国ばかりである。 翻って、厚生労働省の「2019年 国民生活基礎調査」によれば、2018年の貧困線127万円に満たない相対的貧困率は全体で15.4%、子ども(17歳以下)は13.5%、子どもがいる現役世帯は12.6%、その内大人1人で子どもを育てる世帯は48.3%に上る。平均所得金額は全世帯で552万3千円、高齢者世帯が312万6千円、高齢者世帯以外の世帯が659万3千円、児童のいる世帯が745 万9千円であった。平均所得金額の552万3千円以下の割合は、61.1%に達している(厚生労働省「2019年 国民生活調査」9・14頁)。 しかも、2019年末頃から始まったCOVID-19の感染が全く収束しない状況が、拍車を掛ける。厚生労働省の集計によると、COVID-19の影響で解雇・雇い止めされた人は2021年7月9日時点で11万326人(含見込み)に上った(日本経済新聞2021年7月13日22時27分https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA13AAA0T10C21A7000000/ 2021年9月6日取得)。また、同月、自殺者が12箇月連続で増加し、とりわけ女性が増えたことが(NHK NEWS WEB2021年7月9日16時32分https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210709/k10013129721000.html 2021年9月6日取得)、翌月には2021年前半に自殺した小・中・高生の数が過去最多を更新したことが報じられた(NHK NEWS WEB2021年8月26日23時4分https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210826/k10013225931000.html 2021年9月6日取得)。 2020年2月に大阪府八尾市で、生活保護を受給していた57歳の母親と24歳の長男が(朝日新聞デジタル2020年12月8日10時https://www.asahi.com/articles/ASNDJ4CHHNCSUUPI001.html?iref=pc_rensai_article_short_1140_article_1 2021年9月10日取得)、同年12月11日には同じく港区で、68歳の母親と42歳の娘が(毎日新聞2020年12月19日23時7分https://mainichi.jp/articles/20201218/k00/00m/040/316000c 2021年9月7日取得)遺体で発見された。死因はどちらも餓死であった。その3箇月程前には、78歳の母親が餓死し、長男が衰弱して保護されている。2人は無戸籍で、女性は戦争孤児であったとの報道に、言葉を失った(毎日新聞2020年12月31日7時https://mainichi.jp/articles/20201228/k00/00m/040/338000c 2021年9月7日取得)。 世界銀行は、COVID-19によって2020年、「新たに8,800万人が極度の貧困状態(1日1.90米ドル未満で生活する人)に陥ったと警鐘を鳴らしている。しかも、その数値は基準に過ぎず、最悪の場合は実に1億1,500万人にまで増加する恐れもある」と分析したが(世界銀行「2020年を振り返って:12の図表で見る新型コロナウイルス感染症の影響」 https://blogs.worldbank.org/ja/voices/2020-year-review-impact-covid-19-12-charts 2021年9月11日取得)、餓死に追い込まれるような状況は、極度の貧困、絶対的貧困に他ならない。
▽能力主義を超えて 極度の貧困、絶対的貧困に陥る人が現に存在し、しかも相対的「貧困者の1/4は、高齢女性。殆ど1/4は20−64歳女性」(阿部彩「貧困の長期的動向:相対的貧困率から見えてくるもの」2021年9月6日、東京都立大学子ども若者貧困研究センター『貧困統計ホームページ』https://www.hinkonstat.net 2021年9月11日取得)という国で、積極的差別是正措置たる都立高の男女別定員制を撤廃する議論には賛同出来ない。経済状況が更に悪化すれば、苦しい家計の中、高校への進学は兄弟に譲り、自らは諦める女児が増加するかも知れない。否、現在でもそうせざるを得ないのは、男児より女児が多いのではないだろうか。背景にあるのは必ずしも収入の問題ばかりでなく、性差別的な意識も影響するであろうことは、先に述べた通りである。 機会の平等だけを声高に叫んでも、実質的平等には届かない。「99%のためのフェミニズム宣言」(シンジア・アルッザ、ティティ・バタチャーリャ、ナンシー・フレイザー著/恵愛由訳、人文書院、2020年)に倣うなら、貧困層や労働者階級の女性とその娘たちにとって、教育の機会の平等は、生活に必要なだけの賃金を惜しみなく払ってくれる仕事と実際に行使可能な労働者の権利と教育への権利を持ち、入学と修学に必要な金銭を国や地方公共団体が補填して教育環境を万全に整えてくれると共に、家事や介護の新たなありかたが模索されないかぎり、みじめな平等にすぎないのである。 かつ、「社会における序列化」がもたらす点数の差別性に無関心でいるのは、「「『差別』を糾弾し、『選択の自由』を掲げているとはいえ、「ほんとうに求めているのは、平等ではなく能力主義」(アルッザ他「前掲書」28頁)と評されてもやむを得ないであろう。 さて、公立高校の入学者選抜を、男女平等の確立に向けた効果的な男女共学を実現し、TQIへの対処を考慮し、能力主義によらないものにするには、どうすれば良いのであろうか。敗戦後、新制高校の発足に際してGHQが強調した「高校三原則」──男女共学制、総合制、小学区制──に拠る高校像を提案したい。以下は、「米国教育使節団報告書」が新制高校の在り方を示した一節である。 「この『下級中等学校』の上に、授業料は徴収せず、希望者は全員が入学できる3年制の『上級中等学校』を設けることを勧める。ここでもまた、男女共学が財政的節約になるだけでなく、男女の平等を確立する助けとなるであろう。しかし、過度期においては、教育機会の均等の原則を保証するという条件付きで、この段階では男女別学の学校があってもよい。これらの学校には、家政・農業・商業および工業教育などの課程ばかりでなく、専門学校、大学に進むための学問的な課程が含まれるべきである。われわれは、府県の比較的小さな地区では、これらの課程の全部を一つの学校単位に盛り込むことを勧める。都市やその他の人口密集地区では、いくつかの課程をそれぞれ別々の学校に集中させることが望ましいかもしれない。だが、概していえば、『上級中等学校』は総合的であるほうがよいと考える」(村井『前傾書』64〜65頁)。 生育環境、心身の状況等も様々に異なる生徒が、実業科も普通科も有る同じ地域の高校に通い、無償で教育を受けられるようにする。男女比はもとより、なるたけ実社会に近い状態の中、学び、多種多様な人、考え方を識ることで、差別を許さず、平和で民主的な文化国家・社会を形成する主権者に育っていくと思うのである。 世界には、性差別の他、色々な理屈を付けた差別が数々存在する。日本でも、外国にルーツを持つ者への差別、被差別部落出身者への差別、障碍者への差別、公害・薬害被害者への差別、ハンセン氏病(元)患者への差別、戦争被害者への差別等々枚挙にいとまが無い。これからも更に新たな差別が登場するかも知れない。我々は、この内のどれか一つではなく、幾つもの差別に付いて学ぶ必要がある。差別の要因は時に重複し、特に貧窮は被差別者が被る被害・不利益に拍車を掛け、又貧窮によって二重三重の差別に追い込まれる構造をよく理解しなければ、現実と未来を変える手立てを考え、実行することは出来ないであろう。 教育の分野でも、全国の初・中・高等教育機関で進む学校統廃合、学校制度の複線化(例えば楠隼中高一貫教育校設置)等は「国際競争に勝てる『グローバル・エリート』への重点的資源配分とその他の切り捨てを意味」(山本由美「学校制度複線化、「地方創生」のもとの学校統廃合へ」月刊住民と自治2016年7月号https://www.jichiken.jp/article/0028/ 2021年9月12日取得)しており、手を束ねている訳にはいかない問題である。都立高に関して言うと、教育委員会による定時制課程の廃止計画は、外国にルーツを有する生徒や働きながら通学する生徒等の学習権を損なう「切り捨て」である。現在小山台高と立川高の同課程を存続させる活動が続いており、議論すべきは男女別定員制だけに留まらない。 繰り返すが、平等に近付くには保護が必要である。形式的(機会の)平等のみを実現したところで、「その恩恵を受けられるのは、すでに社会的、文化的、経済的に相当なアドバンテージを有する者たち」(アルッザ「前掲書」28〜29頁)、すなわち強者である。「低下した賃金レベル、減少する雇用の保障、切り下げられた生活水準、世帯収入に必要な労働時間の急増、ダブルシフト(仕事のかけもち)の悪化─−−ふたつどころかしばしば三つや四つのかけもち─−−、貧困の悪化、女性が家計責任を持つ世帯での貧困の集中など」(フレイザー「フェミニズムはどうして資本主義の侍女となってしまったのか−そしてどのように再生できるか」菊池夏野のブログhttps://thirdfemi.exblog.jp 2021年9月12日取得)に曝される弱者は保護が受けて初めて実質的(結果の)平等に近付くことが出来る。当該保護が合理的区別か不合理な差別なのか、換言するなら要不要は、常に弱者の立場から決定するのが福祉国家である。 (おわり)
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