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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2023年09月03日19時43分掲載
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農と食
山びこ学校と無着成恭さん(下) そのリアリズムに見る戦後農村の時代精神
作文集『山びこ学校』のハイライトは、なんといっても江口江一の「母の死とその後」でした。「僕の家は貧乏で、山元村の中でもいちばんくらい貧乏です」で始まるこの作文は、自分の家のくらし、仕事、母親の死さえ冷静に的確にとらえ、その原因を分析し、その悲しさを描写していて、いま読んでも心がゆさぶられます。
◆江口江一と佐藤藤三郎
子どもたちの日常とその背後にある貧困を、子どもたち自身がつかまえ、表現する、教育という仕事のすごさを知ることができます。無着さんのすごさは、これだけにとどまりません。村では中学生ともなれば一人前の労働力でした。母子家庭だった江一さんには一家を支える役割があり、仕事に追われて学校に出てこられません。ある日、無着は級長の藤三郎さんに「江一が学校に少しでも出られるようなんとかならんか」と相談します。
「なんとかなる」とこたえた藤三郎さんは江一さんと話し、クラスに投げかけ、誰がいつどのように江一の仕事を分担できるかを見事に作り上げる。助け合い、協同して、合理的に解決する、それが山びこ学校だったのです。
江一は中学を出て地元の森林組合に就職、山で生きられる村をめざして懸命に働き、31歳の時くも膜下出血で急死します。藤三郎は農業をしながら地元の定時制農業高校に通い、山元村狸森(むじなもり)を離れず、農業と物書きで88歳のいまも元気です。何冊もの著作があり、いまも地元上山市で市民有志が発行している雑誌に毎号寄稿しています。
ぼくとは、彼が最初の著作『25歳になりました』を出したすぐ後、二人とも20代の頃に出会い、現在まで何度もお宅を訪ねたりしながら付き合いが続いています。ぼくより4歳から5歳年上、同じ時代をくぐり抜けてきた兄貴分です。
◆まぼろしの村のリアリズム
山びこ学校のクラスは男女41人。藤三郎さんによると、そのうち村に残ったのは長男5人と村内に嫁に行った女性2人の7人だけでした((佐藤藤三郎著『まぼろしの村�供戮�ら)。後はほとんどが東京方面に就職した。何年か前、藤三郎がしんみりと言ったことがあります。「東京へ行った連中とじっくり話すと、みんな苦労してんだな。村に残ったものだけが貧乏くじを引いたと思っていたのだが、むしろ残った方がよかったのかも」。
急傾斜の曲がりくねった道に沿って点在する狸森集落はいま、残ったのは年寄りだけ、空き家が目立ちます。『山びこ学校』出版から72年。江一が死んだ1967年はすでに日本は高度経済成長の時代に入っていました。ぼくはコロナの最中の2022年、山形県白鷹町に通い続けて、同町の仲間と一本の記録映画を作りました。『出稼ぎの時代から』と題名をつけたこの映画は、高度成長とともに始まる農民出稼ぎで、村から半年、男たちがいなくなる時代とその後を描いたドキュメンタリーです。
出稼ぎに続いてコメ減反、グローバリゼーションによる農産物価格の低落、高齢化と人口減と続き、いま村はひっそりと静まりかえり、コメ農家も畜産農家も、大量離農が静かに進んでいます。
敗戦から78年がすぎました。敗戦は村に大変革をもたらしました。戦前、日本は地主制の国でした。大多数の農民は土地を持たない、あるいは少ししか持たない小作農民でした。収穫物の半分を地主にもっていかれ例も多く、多くの農民が貧困にあえいでいました。
敗戦後、占領下で実施された農地改革は小作農を土地持ち農民、自作農に変えました。数年前、山形県白鷹町で90歳を超えた老農民にお会いしたとき、これまでの人生で一番うれしかったことは、とお聞きすると、農地解放で自分の田んぼと畑が持てたことだという返事が即座に返ってきました。
『山びこ学校』でも土地に触れた作文が幾つもあります。最も印象的だったのは江口江一の文章です。自分の土地への憧れを述べながら、だけど自分が土地を持つことは、その分ほかの人の土地を奪うことになるのではないか、と考え込むのです。 藤三郎も自分の田んぼを広げることに懸命になります。もう20年も前のことですが、あるとき彼に「どのくらいの田んぼをめざしたのか」とお聞きしたことがあります。「自分の一家が一年間食べられるだけのコメがとれるの田んぼ」というのか藤三郎さんの答えでした。
日本国家は戦後一貫して規模拡大農業政策を進めてきました。より大きく作り、より大きく売って、富裕になるー。しかし、戦後農地解放で生まれた自作農の時代精神は、みんなが等しく生きていく、ということでした。アジア太平洋戦争のまっただ中の1940年に生まれ、村で育ち、成人してからは村を歩いて報告する農業記者ろを生業として生きてきたぼくは、最後の仕事として、この自作農の時代精神史を書き残さなければ、と思い定めています。その冒頭に、江口江一と佐藤三郎をおきます。
いま、この日本でその自作農が急速に滅びつつあります。この78年は一体何だったのか。夢かうつつかまぼろしか、次第におぼろになる戦後ー。山びこ学校のリアリズムに触れることで、はっと我に返ります。自分たちが生きてきた時代がここにある。無着さん、この本を残してくれて本当にありがとう。
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