自民党総裁の高市早苗は、「スパイ防止法」に前のめりだ。2025年11月26日、国会での党首討論で「もう今年、検討を開始して速やかに法案を策定することを考えている」と言った。だがスパイ防止法の制定は、高市が急に言い始めたわけではない。自民党と統一教会の半世紀越しの悲願だ。TM特別報告では、統一教会の政治工作を担い、スパイ防止法制定に血道を上げた「国際勝共連合」と、自民党の政治家たちとの蜜月が描かれている。
そこには、今回の衆院選で立候補している政治家たちも登場。国際勝共連合創立50周年の大会に「胸を熱くした」などと記されている。
「アジアに偉大な指導者現る。その名は文鮮明!」 Tansaが入手した警察の内部資料がある。
統一教会がいかに日本に浸透したか。ムン・ソンミョン(文鮮明)が、岸信介や笹川良一らを介して勢力を広げていったと分析するなかで、「国際勝共連合」に関して以下のように記述している。
「早大、東大、京大、中央大等を中心に、野火のように浸透した信者達の行動は、1968年に入って、家庭や大学で様々な摩擦を起こし、大きな社会問題になった。マスコミを巻き込んだ『集中砲火』に対し、統一教会が事態を乗り切るために作ったのが、反共を看板にした『国際勝共連合』である」
統一教会が日本で宗教法人として認可されたのは1964年。安倍晋三の祖父である岸や、右翼活動家でフィクサーの笹川らが教団の活動を後押しした。
だが警察の資料で指摘されているように、統一教会の活動は「親泣かせの原理運動」などと呼ばれ、社会の批判を浴びる。
1967年7月、山梨県の本栖湖畔。笹川が主宰する「全国モーターボート競走会連合会」の施設に、ムンら統一教会の幹部と笹川ら日本の右翼の大物たちが集まった。この場で、統一教会が反共産主義の政治活動をするための「国際勝共連合」を日本で結成することが決まった。翌1968年4月、笹川と岸らが発起人となって国際勝共連合が発足した。
そこから統一教会は、国際勝共連合を通じて自民党と結託していく。
1974年5月、帝国ホテルでムンの「希望の日晩餐会」が開かれた。当時大蔵大臣で後に首相になる福田赳夫は、こう言ってムンと固い握手を交わした。
「アジアに偉大な指導者現る。その名は文鮮明!」
ムン・ソンミョン(文鮮明)氏(右)=統一教会のサイト「FFWPU Mission Support」から
議員ひとりひとりに「研修」 国際勝共連合と自民党の共通政策が、スパイ防止法に該当する「国家秘密法」だった。国際勝共連合は、「スパイ防止法制定促進国民会議」を援助し、大学教授やマスコミ関係者、地方議会も巻き込んだ草の根運動を展開した。
1985年、自民党は国家秘密法案を国会に提出した。最高刑は死刑。だが報道機関の取材活動や、市民の日常生活まで対象になる恐れがあったため、廃案に追い込まれた。
それでも国際勝共連合の勢いは増す。
1986年7月に中曽根政権下で衆参のダブル選挙があり、自民党が大勝。国際勝共連合の機関紙『思想新聞』の1987年1月1日付の紙面では、次のように誇っている。
「自民党の安定多数が日本の平和と安全にとって不可欠と考えた私たちは、七月の衆参ダブル選挙において百五十人の立候補者を応援し、百三十四人を見事に当選させることができました」
「勝共推進国会議員ひとりびとり(原文ママ)には、勝共理念の研修を受けていただきました。また、自民党が責任政党としての使命を果たせるよう、勝共推進議員と地元の本連合支部がより密接な関係を深めるようになりました」
スパイ防止法への執念もみせる。
「『スパイ防止法制定促進国民会議』や、スパイ防止法制定に賛同する言論人、弁護士らと協力しながら、全国各地から陳情団、支援のハガキを国会に送り込んだり、支援大会を頻繁に開くなど、スパイ防止法制定へ力を注ぎました」
「今後、ポスト中曽根問題とからむ微妙な点もありますが、詰めをあやまることなく、制定に持ちこまなければなりません」
スパイ防止法制定を訴える1987年1月1日付の『思想新聞』の紙面
「勝共推進議員」の名簿 では国際勝共連合と密接な関係にある「勝共推進議員」とは誰なのか。
1990年3月25日、思想新聞は「勝共推進議員名簿」を公開する。
全文、資料及び写真はここで。
https://tansajp.org/investigativejournal/13158/
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