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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2007年09月12日11時31分掲載
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人生初期の洗脳—その種々相 間違った世界観はいかに植え付けられるのか 落合栄一郎
子供の脳は、基本的配線以外は、誕生後の一瞬一瞬に受容するシグナルに基づいて配線される。母親とその愛の認識から始まって、すべての経験が脳に記録され、それに基づいて作られるニューロン間の配線が、外からのシグナルへの反応も形作る。人間の通常の生活環境で作られるこうした配線は、人間生活での行動に必要な脳活動を保証するように出来ているようである。それはしかし、新生児/幼児/学童期に正常な環境にあることを前提にしている。理性、分析力などはそれまでに形成された種々な脳能力の総合として前頭葉部位に徐々に作り上げられる。しかし、理性、分析力、判断力、総合力といった上位の脳能力は、成長期18才位までには十分には発達しないようである。したがって、理性、判断力などが十分に形成される以前に脳に植え付けられた考え方、思想などは、たとえ不合理、不正確であろうと後になって変えることは不可能ではないらしいが、非常に難しい。(といっても、完全無欠な理性、判断力を持つ人間がいるとは考えられない。まず「完全」そのものの定義が難しい。) このことを、ある種の大人達は、自分達に好都合な人間を育て上げるのに利用している。この種の大人は自身すでに洗脳されていて、多くの場合、自分こそ真理を掴んでいる、正義を行なっていると確信している確信犯なので、始末が悪い。そのいくつかの例を挙げる。こうした事情が、人類全体に多大な影響を及ぼしていることを、そしてどう改善する余地があるかを考えて頂きたい。
(1)アフリカは多種族からなっていて、種族間の憎悪、反発感情は未だに多くの国家の正常化を阻んでいる。ルワンダ、ザイールその他の例を出すまでもないであろう。生活環境、生活事情もさほど違わない種族間にも問題がある。スーダンの例はまた別ではあるが。いずれにしても、問題は、なぜ異なる種族間に反発感情があり続けるか。 これに関しては、あまり詳らかにしないが、ある会合でアフリカのそうした種族間紛争が話あわれた時に、筆者がこの問題を質問した。その時、アフリカ出身者で平和運動を行なっている人とアフリカで長年そうしたことを経験してきた西洋人の回答は、「おじいさんから孫達に、他種族への憎悪の念が伝えられて行く」のだということでした。おそらく文明が発達し生存が比較的容易になる以前の、他種族を排斥しなければ自分達が生き残れない時代の精神が生き続けているのであろう。それとも、他の理由か─どんな理由があるのだろうか。単に、生活態度や習慣が違うだけで、共存できないのだろうか。
(2)砂漠地帯に発生した3大宗教も、遊牧民の生存条件の厳しい状況を反映していて、他種族すなわち他神の絶対排斥が基本にある。それはやはり排斥(殺戮)しなければ自らの生存が脅かされたからであろう。しかし、宗教(一神教)というものは、それぞれの信じる神こそが絶対に正しく、他の神は間違っている(どころか自分達の神に反逆するもの)という風に、他神(他民族)の排斥を原理/思想問題にすり替えている。そしてこの神こそが絶対であることをあらゆるやり方(「脅し」や「懐柔」も含めて)で説得につとめる。 最も基本的な懐柔策は、人間だれでも不安に感じる死後の世界についての約束を与えるというやり方である(天国と地獄)。宗教のもう一つ重要な役割は、規範(道徳)がないと人間らしい人間関係/社会生活ができない傾向にある人々に生活規範を提供する、すなわち人々を馴致することである。
ユダヤの神エホバは妬み、復讐心旺盛な神である(と自ら宣言している)。イエスキリストは、それに反して、広い愛の神を唱え、自らその子であると宣言したことになっている。このような教義が、キリスト教が広範囲な国々に広まった原因であろう(ユダヤ教の神は、ユダヤ人のみの神)。しかし、イエスの言う神以外の神を信じるものは「火」の中に投げ込まれてしかるべきだとも言っている(ことになっている)。これは福音書にも述べられているが、もっと直接的には、問題の書「黙示録」に記されている。
イスラムは、その神以外の神は偽であり、世界の人々をイスラム神の信者にするのをモットーとしている。これらの宗教の聖典は、古代の遊牧民の生存条件を反映し、しかも科学その他の世界/自然の合理的理解が得られる以前の人々によって編纂されたものであり、不合理性に満ちている。いわゆる原理主義者はこうした聖典の教義を文字通りに理解することを信条とする。それは、聖典が神の言葉、または神からの啓示によって預言者に伝えられたものと信じるがためである。したがって、聖典に忠実な原理主義者は、他宗教者と相容れない。中東から西欧にかけての多くの争いは、直接間接に、こうした排他精神に基づいていたし、現在における争いでもこの精神から抜けきれてはいないようである。キリスト者による聖地奪回を目指した十字軍の遠征がその典型例であったが、現在のイスラエル/パレスチナ紛争、米国/イラク(アメリカの一方的侵略だが)紛争にも、その根底にはこの要素がからんでいる(勿論他の要素も多々あるが)。
これらは、自分達の絶対的正当性を信じるという狂信に基づいており、同じ宗教の中でも、少し教義の違う派閥同士の正当性の争いもある。カソリック対プロテスタント、そしてプロテスタントの中の各派間の反目。イスラムの中のシーア派とスンニ派。宗教に基づく反発の典型例は最近のイラクからのニュース(2007.8.15の読売)にもみられる。 「250人以上の死者をだした最大規模のテロは、同地域に住む少数派のヤジード教徒の殺傷を狙ったものとみられる。今年4月に、イスラム教徒の男性と交際するため、ヤジード派から改宗した10代の少女が「名誉殺人」の名目で親族に殺害され、その映像がウェブサイトなどで公開されて以降、ヤジード教徒に対するテロ攻撃や殺害事件が頻発。AP通信によると、国際テロ組織アル・カイーダなどが一方的に樹立を宣言した「イラク・イスラム国」は約1週間前、ヤジード教が「反イスラム」だとして、攻撃を示唆するビラを地域にまいていたという。」
ここには、一神教とその狂信の宿命が露呈している。それは、古の状況には適合(少なくとも自種族の存続にとっては)していたし、必要ではあったのではあろう。しかし、民族間の接触が密になり、文明の発達により共存が可能になり(食糧の増産や相互融通/通商など)、また兵器が進歩した結果、戦争というものが人間と資源の大量破壊をもたらすようになった現在では適応性がない。適応性がないどころか、マイナスの要因になりつつある。
ところが、聖典を神からの啓示であり、正しいものと信じて疑わない人々は、自分達こそが正義を行なっていると信じている。だから、それを他の人々に(善意から)強要する。歴史的には、西欧による世界征服はキリスト教布教を建前とした場合が多かった。イスラム世界の拡大も同様である。現在では、その努力は抵抗の少ない幼少児から若者への教育に向けられる。先のコラム「なぜ現米大統領は中東戦争に固執するのか─キリスト教右派の終末思想との関連」(日刊ベリタ2007.4.29))でも述べたし、他の記者によっても報告されたように、アメリカでは、「イエスキャンプ」なる映画に描かれているような子供達の洗脳の試み、原理主義者の家庭での全教育の家庭化(ホームスクーリング)も広く行なわれている。イスラム圏では、コーランを子供に叩き込む教育は正規の学校でも家庭でも行なわれているようである。ただし、上の議論では、宗教の他の面—倫理や道徳などーは省略した。
(3)ヒットラーを頭にしたナチス党のやり方は宗教色はあまり濃くないように思われる。この場合の洗脳の基礎は、聖書などの教義に基づくのではなく、アーリア人種なるものの優越性とユダヤ民族の血による不純化やドイツ国民に対するユダヤ民族の陰謀などの作られた神話であった。ここには、古くから繰り返されたキリスト者の反ユダヤ(セミ族)意識も尾を引いていることも事実ではある。この場合の洗脳は、幼少児のそれというよりは、おそらく集団ヒステリー的現象だったのであろう。
(4)ナチスドイツによるホロコーストのつけとして、パレスチナへのイスラエル国家の設立が、西欧諸国の後押しで実現した。イスラエル建国の推進者達の多くは、いわゆるザイオニスト(シオニスト)であり、ユダヤ教聖典を根拠に、パレスチナは神がユダヤ民族に与えた土地であり、パレスチナ人はそこに住む資格を持たないと考えている。こうした考えを、現在でも子供達に植え付ける教育をしているようである(日刊ベリタ2007.8.23)「1967年戦争・占領40年を問う3:ホロコーストを悪用した教育は誤り─ベレドーエルハナン博士」の記事参照)。このような教育を受けた子供/大人達にパレスチナ問題の理性的な解決を納得させるのは困難である。 欧米のプロテスタント伝道師の一人は、つぎのような意見を述べたそうである(「豪州の牧師、実の娘二人に10年間性教育を実地指導」/日刊ベリタ2007.9.5)。「ユダヤ人は数千年前カナンの地(パレスチナ)を占領して以来、‘全てのパレスチナ人を殲滅せよ’という神の命令を実行しないどころか、彼らと仲良くし結婚し商売でつき合うようになったから、神の怒りが下ったのだ。神の命令を実行しパレスチナ人を全員殺害していれば、全てのユダヤ人は平和裏にくらせるのだ」と。こういう意見は極端な例かもしれないが、狂信者には多かれ少なかれこうした考えを持つ人々がいる。
(5)日本には、一神教の伝統はなく、聖典に匹敵するものもない。ただし、それに相当するものとして、明治憲法で創作された天皇制がある。明治憲法により天皇が神格化され、国民はすべてその臣下とされた。権力者(政治家であれ、軍人であれ)は、国民を自分達の都合の良い方向に導くのに、天皇の赤子たる人民の、国家(=天皇)への忠誠を強要(洗脳)した。そのために、社会全体にそういう雰囲気を作り出すことと、学校教育を通じての国民の洗脳という手段を用いた。そして、周辺国侵略を正当化するために、周辺国人民にたいする蔑視を植え付けることもこの洗脳の一部であった。 この傾向は昭和初期から特に顕著になった。社会全体にそういう雰囲気を作るには、権力に追従するしか能のないマスメデイアが利用されたし、思想警察組織が反対者を弾圧した。そして、やはり、ドイツと同じように、集団ヒステリー状態が醸されたようである。残念ながら、こうした権力からの圧力に抵抗したメデイアも個人も多くはなかった。それは、洗脳の効果であったと思われる。現在の政府与党が試みていること(教育基本法改定、教育3法、共謀罪による恐喝など)は、この昭和初期からのやりかたの踏襲である。
さて、以上にいくつかの例をあげたように、洗脳という方式は、意識するとしないに拘らず、広範に行なわれている。数千年にわたって延々と続けられて来た宗教による洗脳は、文明の近代化にともなう合理的/科学的ものの見方などの影響で軽減される筈であったと思われる。事実多少はそうなりつつあるとは思われるが、そうした理性的ものの見方の獲得に必要な精神的努力を注ぎたくなかったり、また複雑な問題を処理する努力を惜しんで単純明快な回答を与えてくれるもの(例えば、聖書)に寄りかかりたがる傾向はまだ消えてなくなってはいない。どころか、この傾向が増大しつつ(人類の退化)あるように見える。
そして、信教の自由は民主主義の基本の一つである。それはそうあるべきであるが、それは、個人や団体の信じることが、他人や他の組織に悪影響を及ぼさない限りで許容されるべきであろう。もう一度、繰り返すが,多くの狂信者は、自分達の信じることが、絶対の正義であり、それを他に及ぼすことは正しいことであると信じているから問題なのである。人類の多くはすでにこうした悪循環に陥っているのである。欧米諸国でも、現在、不合理な信念から抜け出そう、理性的にものを考えようとする機運は始まっている(絶対的なる神の否定)。しかし、3000年にわたって染み付いた考え方を脱ぎ捨てるのは容易なことではない。
☆落合栄一郎(カナダ・ヴァンクーヴァー在住) 東京生まれ、工学博士。カナダ・ブリテイッシュコロンビア大、トロント大、スウェーデンウメオ大などで、化学の研究と教授に従事し、米国メリーランド大、ペンシルバニア州のジュニアータ大で研究/教授歴25年。ジュニアータ大では、化学を教えるかたわら、「日本と西欧の文化の比較」という科目も担当していた。 2005年退職後は、カナダのヴァンクーヴァーで、「憲法9条を守る会・VSA9」など平和運動、持続可能性に関する運動に関与。主な著書に、「Bioinorganic Chemistry-An Introduction」(Allyn and Bacon,Boston, 1977), 「General Principles of Biochemistry of the Elements」(Plenum Press, New York, 1987)。
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