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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2007年12月06日10時12分掲載
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戦争を知らない世代へ
歴史の改ざんは日中友好の妨げに 中谷孝(元中国派遣日本軍特務機関員)
12月8日と聞いて、66年前の太平洋戦争開始の日ということを知っている日本人はどれほどいるだろうか。それから4年後の1945年(昭和20年)8月15日の敗戦記念日には毎年、戦争の惨禍について記憶を新たにするさまざまな行事が催されるが、開戦の日は年々遠くなっていくばかりか、それ以前の日中戦争となると体験者も日々少なくなってきている。その数少ない中国戦線の老兵のひとりとして、わたしは最近の歴史改ざんの動きが気がかりでならない。
文部科学省の教課書検定官が歴史教課書の記述にクレームを付け改訂を求めている。さきに南京虐殺の事実を否定し今又沖縄戦に於ける軍の住民に対する集団自決強要の事実を削除することを教課書会社に要求しているのは何故か。何れも厳然たる事実であるにもかかわらず、である。
教課書検定官の世代交替により、全く戦争を知らぬ検定官が余りにも淒惨な記述に「そんな事は有り得ない」と勝手に思い込んだのだろうか。然しそれだけではあるまい。国辱的事実を隠そうとする何等かの意図が働いたとしか考えられない。果たしてそれが日本の平和に役立つだろうか。事実は逆に作用する。 日本人が忘れ去ろうとしても、曽て私達世代が戦場で犯した恥ずべき行為を被害者は子孫に語り伝えていることを忘れてはならない。現に中国の若者は、インターネットを開いて日本軍による残虐行為の写真や記述を見る事ができるのである。先年の反日暴動が爆発的に拡大した蔭にインターネットがあったと聞く。日本の若者に事実を隠すことは反つて日中友好の妨げになることを認識しなくてはならない。
私は大虐殺の一年2ヶ月後南京に入った。その時見た南京は首都であり乍ら復興が遅れ、街は閑散としていた。1人での外出はなるべく避ける様に注意を受け緊張して街に出た。その時市街の中心、中山路西側で見た小さな丘が数千の遺体を埋めた土饅頭であると聞いて驚いた。其の時は未だ比の地で行われた惨劇を知らなかった。戦後虐殺記念館に展示されている数千の頭蓋骨は此処から出土したものの様である。
首都南京には欧米各国の大公使館が存在し多くの外交官・新聞記者が残留して、進入して来た日本軍に注目していた。当然日本軍が膨大な数の捕虜の処置に窮して全員殺害し、更に城内掃蕩を続け残敵と誤認した多数の市民をも殺害した事実をつぶさに本国へ打電した。当時友好関係にあったドイツ、イタリアを除く全世界が激しい非難を日本に浴びせたのは当然である。これに対し日本政府は極めて厳重な報道管制を敷き、南京市内の平和風景と称する記事写真を新聞に載せて国民を欺瞞した。今、虐殺をデッチ上げと論ずる人の示す証拠の多くが此の種の欺瞞記事である。
然し今、一般に伝えられている虐殺説にも誤りが多い。日本軍は無意味に住民を虐殺したわけではない。12万と云われた捕虜は処置に窮して全員殺害したが、潜伏した敵兵がゲリラ化するのを恐れて掃討する中、多くの市民が誤認されて殺害されたのである。その数も膨大であった。
私が接した南京攻略戦に参加した兵士は、異口同音に大量虐殺の悲惨を語った。翌昭和13年3月、揚子江岸、下関(シャークワン)埠頭の水面を覆った浮遊腐乱屍体は殺害を実行した戦友の証言を証明するものであろう。
事実を証言する老兵達の消え去らんとする時期に至って、その証言を一方的に否定する政府・文部科学省の態度は何を意味するのであろうか、理解に苦しむ。 戦場は古今東西、残虐極まるものであることを私は7年に近い従軍によって身に沁みて感じている。
余談だが、その戦場でのこんなエピソードも紹介しておきたい。
「鬼子」と書いて中国語で「クィズ」と読む。本来「おに」なのだが、戦場の中国人は日本兵をクィズと呼んでいた。我々は余り気にしていなかった。確かに兵隊は暴君でだった。それに中国人を「チャンコロ」と呼んで軽蔑していたのだから、お互い様であった。
何時何処であったか記憶に無いが、通訳のいない小部隊の討伐戦であった。農村に宿営することになり炊事係の兵隊が食料調達に一緒に行って欲しいと言う。どうせ暇なので買い出しを手伝うことにした。兵隊だけだと片言と手真似で意思が伝わりにくく、恐怖を与え誤解の原因にもなる。
集落から少し離れて大きな農家があった。豚も鶏も全く見当たらない。隠しているのだろう。前庭に面した処に3人の男と老婆が腰をおろしている。平静を装っているが恐怖は隠せない。やさしく声を掛けた「卵を売ってくれ」。案の定「没有(メイユウ)」(無い)と言う。私は敵側の紙幣「法幣(ファーピー)」を婆さんに渡し「これだけ売れ」と言うと、紙幣の表裏を繰り返し調べて本物とわかると若い者に何か命じた。間もなくざる一杯の卵が私の前に置かれた。 安心した婆さんが「あんた達どこから来た、南か北か」と問いかける。「東の海の向こうだ」「へぇ、海の向こう」と驚くと息子らしい男がその耳元にささやいた。すると婆さんは大声で「あんた達鬼子(クィズ)か」と感心した様な顔をした。男達は顔色を変えた。私が咄嗟に「対我們是鬼子(トイウォーメンスクィズ)」(そうだ俺達鬼子だ)と笑うと男達もほっとして大笑いした。
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