「Change(変革)」のスローガンを掲げるオバマ米大統領の登場によって世界の平和は確かなものになっていくのだろうか。米新政権はイラクから米軍を撤退させるが、アフガニスタンへはむしろ米軍増派の方針と伝えられる。平和は他者から与えられるものではない。主体的な国民の選択によって「平和をつくる」という姿勢が不可欠である。 では日本として平和をどうつくっていくか。いまや「世界の宝」として評価の高い憲法9条の理念(非武装、交戦権の否認)を生かし、戦略目標として「核廃絶・非武装日本」を掲げ、追求していくときだと考える。
私(安原)は「コスタリカに学ぶ会」(正式名称:「軍隊を捨てた国コスタリカに学び平和をつくる会」)の世話人の一人として、「平和をどうつくっていくか」をめぐって論議を深めたいと念願している。 ここでは安藤 洋氏(かしわ9条の会世話人)の「非核・非武装永世中立宣言」運動をすすめようという提案を紹介する。その構想(要旨)は以下のようである。(安藤氏の論文〈「非核・非武装永世中立宣言」運動を ― 「憲法を守る」を超える攻勢的構想」〉=ロゴス社隔月刊誌「もうひとつの世界へ」・2008年12月号に掲載=参照)
▽安藤構想(1)― 「非核・非武装永世中立宣言」運動を
「非核・非武装永世中立宣言」は、日本が国家として宣言する。日本国憲法には第9条があり、戦争放棄の証になっている。しかし「解釈改憲」の積み重ねによって、9条を実質的に切り崩し、世界第5位の戦力を有する自衛隊(軍隊)が存在し、沖縄をはじめ全国に広がるアメリカの軍事基地があり、イラク戦争に協力を続けている。こうして「条文」と「実体」がまったく乖離している。 もし日本が「非核・非武装永世中立宣言」をすれば、中国、北朝鮮、韓国などは憲法9条を信頼し、日本が〈平和国家〉であると信じるようになるだろう。
「憲法を活かす」ために、「非核・非武装永世中立宣言」をする政府を創ろうという戦略が明確になれば、いまの「9条を守る」運動の政治的弱点を必ず克服し、「9条派」の共通の闘争目的が鮮明になって、この旗の下に各党派各組織の連帯を大きく深めることができると確信する。
この構想のヒントになったコスタリカの実践について説明する。日本では解釈改憲によって「条文」と「実体」が乖離しているが、コスタリカはまったく逆である。コスタリカ憲法12条(常備軍の廃止)は現実政治のなかで実効性を発揮している。 コスタリカには8歳の子どもが憲法違反を訴えた実績もある憲法裁判所があり、2004年9月にはそれを活用して一大学生が憲法違反の訴えを起こした。当時のコスタリカ大統領が支持し、承認した、アメリカのイラク侵略に政策協力する共同リストにコスタリカの名前があるのは憲法違反だという訴えで、勝利の判決を勝ち取り、コスタリカの国名を共同リストからはずさせた。
なぜコスタリカには日本と違って「条文」と「実体」の乖離がないのか。 1983年、アメリカのレーガン大統領が、当時反米の旗を掲げていたニカラグアのサンディニスタ政権へ武力攻撃を加え、コスタリカを巻き込もうとした。その時、コスタリカのモンヘ大統領は、コスタリカの「永世中立宣言」を盾にして、侵略への加担を拒否した。モンヘ大統領は、直接国民にアンケートを出して、戦争と平和の論議を起こし、世論を喚起して、82%の支持を得て、「永世中立宣言」を出したのだ。 1984年には、干渉した張本人レーガンも「永世中立宣言」を認めざるを得なくなった。そして87年にアリアス・コスタリカ大統領が「平和の輸出戦略」で、周辺諸国の戦争を回避させて、ノーベル平和賞を受賞した。
▽安藤構想(2)― 「夢物語」という批判への反論
「宣言」の現実性と勝利の展望について「非核・非武装永世中立宣言」なんて「夢物語」という批判には、改めてつぎの事実を示したい。 � 嵌鶻烹蓋饗А廚函峽�法9条」は日本国の「国是」であり、すでに国民的権利意識となって広がっていて、正面からこれに反対できない国家理性である。(広辞苑:国家理性=国の政治は、まず自国の利益によって規定され、他のすべての動機は、これに従属せしめるべきだとする国家行動の基本準則)
�¬掌轍姐眦�裁判所の判決(08年4月17日、航空自衛隊のイラクでの輸送支援活動について違憲の判断を下した)は、憲法前文の「平和的生存権」は、「核時代の自然権的本質を持つ基本的人権」と定義されていることに注目し、「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」、「戦争や軍隊によって他者の生命を奪うことに加担させられない権利」、「他国に民衆への軍事的手段による加害行為と関わることなく、自らの平和的確信に基づいて平和のうちに生きる権利」、「平和を希求し、すべての人の幸福を追求し、そのために非戦、・非暴力平和主義に立って生きる権利」であることを認めている。この権利のすべてが、「非核・非武装の永世中立宣言」への権利的根拠であり、その国是化への行動を促しているように思う。
��なぜ「中立」か? 「非核3原則」と「9条」から生まれてくる未来国家は「中立」しかありようがない。この国是を守る限り、他国への戦争加担はあり得ない。
�い覆次岷弊ぁ廚�? 改憲を許さない一票のために必死に戦っている「9条派」の人たちには、将来いつ変えられるかもしれないという不安から逃れることができない。このため私は、子々孫々に9条を変えてはならないという「9条遺言の会」を創り、運動を進めている。
またこの運動は、アメリカに対する基地撤廃要求とも重なる。「宣言」を出そうという運動が国民の中に大きく広がれば、「宣言」が出される前に、沖縄をはじめ日本国中で米軍基地の撤退は具体的な日程にのぼり、「日米安保条約」を「日米友好条約」に改変する動きも具体化される。いま世界に広がる米軍基地反対運動は、この闘いへの連帯と勝利の見通しに確信を与えてくれる。 従来は「安保条約破棄」、「軍事基地撤廃」を実現するためには、日米両政府がテーブルについて交渉するところから始めなければならないと考えられてきたが、「国家宣言」を出すのは、その国家の主権行使であり、これをアメリカがつぶすことはできない。 自衛隊をいつ、どの程度縮小するか、廃止するか否かは「宣言」成立後の戦術問題として、国民の合意を取り付けながら時間をかけて行うべきだろう。
以上のような趣旨の安藤構想は、きわめて示唆に富む刺激的な内容となっている。ただ説明が十分とはいえないところもあり、その点を含めて私(安原)の感想を以下に述べたい。
▽安原の感想(1)― 「非核」よりも「核廃絶」を
まず「非核・非武装の永世中立宣言」のうち「非核」は「核廃絶」の方が望ましいのではないかと考える。
非核3原則は、1967年12月の衆院予算委員会で当時の佐藤栄作首相が、日本社会党の成田知巳委員長の質問に答えて、示したもので、「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という3原則を指している。さらにこの3原則は1971年11月の衆院本会議で行われた沖縄返還協定付帯決議に盛り込まれた。ただ3原則の一つ、「持ち込ませず」は米軍による日本への核兵器持ち込みを認めないという趣旨だが、現実には核兵器搭載の米国艦艇(原潜など)の日本寄港によって「持ち込ませず」には風穴が空いているという説が有力である。 もちろん「非核」というスローガンは間違ってはいないし、正しいが、いまではやや新鮮な印象に欠ける。
しかも最近では「非核」よりも「核廃絶」の方が緊急かつ切実な課題となってきた。たとえば北海道新聞社説(2008年12月28日付・要旨)は「核のジレンマ 日本こそ廃絶の先頭に」と題してつぎのように論じたことに注目したい。
核軍縮をめぐる世界の潮流は変化の兆しを見せている。 キッシンジャー元国務長官ら米政府の元高官が米紙に「核のない世界を目指して」と題する論文を発表したのは08年1月だった。6月には英国の元外相らが大幅な核兵器削減を主張する論文を英紙に掲載した。 もはや冷戦時代の核抑止論は有効性を失った。そんな冷徹な共通認識が背景にはある。 注目したいのは、オバマ次期米大統領が「核兵器全廃という目標を核政策の中心に据える」と明言していることだ。 日本としても最大限の協力と支援を惜しむべきではない。 たとえば、新大統領を広島、長崎に招いてはどうか。核廃絶の決意を強固にするため、被爆地ほどふさわしい場所はあるまい。
▽安原の感想(2)― 「安保条約破棄」は主体的な選択
安藤構想の中で若干気になるのはつぎの指摘である。 「宣言」を出そうという運動が国民の中に大きく広がれば、「宣言」が出される前に、沖縄をはじめ日本国中で米軍基地の撤退は具体的な日程にのぼり、「日米安保条約」を「日米友好条約」に改変する動きも具体化される ― と。
この指摘の真意はいまひとつ理解しにくいところがある。「宣言」を出そうという運動が大きく広がっても、それが自動的に米軍基地撤退や日米安保条約改変の動きにつながるとは言えないのではないか。 在日米軍基地は日米安保条約第6条(基地の許与)によって存在しており、その背景にはアメリカの世界戦略がある。次期米国務長官のヒラリー・クリントン上院議員は日米同盟について1月13日上院公聴会でつぎのような考えを示した。 「日本との同盟は米国のアジア政策の要石だ。アジア太平洋地域の平和と繁栄の維持に必要不可欠」と。 つまり日本での「宣言」(安保条約破棄を明示しない)にかかわる運動がいくら広がっても、米国側から日米安保条約を破棄し、米軍基地を撤退させる展望は今のところ描くことはできない。ということは日本側から安保破棄の明確な政治的意志を表明する政権を国民の多数意志によってつくる以外の選択肢はないのではないか。そこには国民多数の主体的な選択が求められる。
もう一つ指摘すれば、安保条約破棄、軍事基地撤廃を実現するために、「日米両政府がテーブルについて交渉すること」は必ずしも必要ではない。なぜなら一方的破棄が可能だからである。安保条約10条は「いずれの締約国も、相手国に条約を終了させる意思を通告することができ、その場合、条約は通告後1年で終了する」と定めている。この条項が多くの人に理解されることがまず必要である。
▽安原の感想(3)― 9条を生かして「核廃絶・非武装の日本」を
さて「平和をつくる」ための構想はどうあるのが望ましいだろうか。私なら、以下のように提案したい。(なお私は平和について「平和=非暴力(非戦も含む)」と広くとらえているが、ここでは「平和=非戦」という狭い平和観に限定して考える)
*戦略目標=「核廃絶・非武装の日本」をつくろう! *戦略目標実現のための必要条件=平和憲法9条を生かし、日米安保条約破棄を!
上記の戦略目標について安藤構想と異なるのは、「非核」を「核廃絶」にしていることもあるが、むしろ「永世中立」宣言にこだわっていない点である。 戦時・平時に関係なく国際的な中立を外交上の立場とする「中立」は、「武装中立」と「非武装中立」に大別できる。前者はたとえばスイスであり、後者はコスタリカである。
コスタリカは1949年の憲法改正(12条)で常備軍を廃止し、それから30年余の後の1983年に中立宣言を行った。コスタリカの中立宣言には非武装中立、永世中立、積極中立 ― という3つの特色がある。 非武装中立は、常備軍の廃止にとどまらない。加盟している集団安全保障体制(国連、米州機構、米州相互援助条約)から常備軍保有などを要求されないことも含む。永世中立は読んで字の如く、暫定的な中立ではないこと。積極中立は国際的紛争の平和的解決のためなどに活動する権利を持つことを意味している。
このようなコスタリカの中立政策に学ぶとすれば、まず軍隊廃止が不可欠であり、中立宣言はその後の内外情勢の推移に依存するという考え方もあり得ることを指摘しておきたい。軍隊廃止とは、私案では武装した自衛隊から非武装の「地球救援隊」(仮称)への全面的改組を意味する。その内容については数年来提案してきたので、ここでは割愛する。
戦略目標実現の必要条件として9条の理念(非武装、交戦権の否認)を生かすことと日米安保の破棄をあげている。私は両者は切り離せない課題として認識している。なぜなら日米安保条約3条は「日米両国の自衛力の維持発展」を明記しており、それが憲法9条の非武装の理念を骨抜きにしているからである。歴代の日本保守政権が解釈改憲によって憲法9条を空洞化させた元凶は、ほかならぬ安保条約3条である。 さらに安保条約5条「日米共同防衛」、6条「米軍への基地許与」の規定があり、このため日本列島に広大な米軍基地網が張りめぐらされ、アフガニスタン・イラク攻撃などの戦争基地となっている。しかも日米の軍事一体化が進み、日米共同軍事演習が頻繁に行われ、軍事費という名の財政資金の浪費と環境破壊をもたらしている。 戦略目標として非武装を目指す以上、安保廃棄に目を向け、憲法9条の理念を取り戻し、生かしていくこと以外の妙策はあり得ないとはいえないか。
いまや変革の時代である。既成概念、既存の枠組み、さらに特定の政党党派に囚われているときではない。特に「平和をどうつくるか」という視点に立つとき、このことは必要不可欠にして緊急の課題となっている。もちろんタブー(批判を許さぬ聖域)をつくってはならない。安藤構想を前向きに発展させる方向で論議が深まることを期待したい。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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