米国最大手の自動車メーカー・GMの経営破綻に伴う「国有化」は大きな波紋を広げている。この経営破綻と国有化が示唆するものは何か。多くの関心は経営再建はどのようにして可能なのかに向けられているが、肝心なことを見逃しているとはいえないか。それはクルマ社会そのものの終わり、いいかえればガソリン大量消費の車依存型時代の終わりの始まりではないか、という視点である。温暖化防止の観点からも、移動手段としてのクルマはもはや時代遅れの感が深い。脱クルマ社会への模索と実践を時代は求めている。
▽大手紙社説はGM国有化をどう論じたか
大手5紙の社説(6月2日付)が今回のGM(ゼネラル・モーターズ)国有化についてどう論じたかを紹介する。各紙社説の見出しはつぎの通り。
朝日新聞=米GM破綻 クルマ文明変革の機会に 東京新聞=GM国有化 『緑の社会』に残れるか 毎日新聞=GM国有化 再生への道のりは長い 読売新聞=GM破綻 “売れる車”が再建のカギだ 日本経済新聞=自己変革怠った巨大企業GMの破綻
私(安原)は朝日の「クルマ文明変革の機会に」と東京の「『緑の社会』に残れるか」という見出しに興味を感じ、どのように新しい視点を打ち出しているのかと期待を抱いて読んだ。しかし両紙ともに見出しのテーマをくわしく論じているわけではない。
朝日はつぎのように言及しているにすぎない。 燃費のいい小型車やハイブリッド車、電気自動車などの新製品をいかに開発し、効率的につくるか。その鍵を握るのは、経営陣と働く人々の意識変革だ。日本や欧州の車づくりから謙虚に学び、新しいグリーンな歴史を作るのだという気概を持てるか。突破口はそこにある ― と。 モデルになるのは「日本や欧州の車づくり」ということらしい。
一方、東京新聞は以下のように書いている。 ガソリン大量消費のスタイルは既に終わった。GMはオバマ大統領の「緑の新政策」に沿った脱化石燃料・低炭素化への転換を求められている。 自動車産業は米国が目指す緑の新政策の重要な一角を占める。新政策は化石燃料の大量消費から脱却し、風力などの新エネルギーに移行する大胆な社会変革だ。GMは大型の多目的スポーツ車などを主力に据えたため、ガソリンが値上がりすると消費者に敬遠され途端に売れ行きが失速した。 (中略)保護ではなく、自力で環境技術などの魅力を際立たせ、堂々と競争してもらいたい ― と。
ここでも車社会そのもののあり方よりも環境技術の枠内で論じているにすぎない。 他の3紙も、魅力ある売れる車をどうつくるか、GMの経営再建をどう図っていくかに力点を置いて論じている。米国自動車3大メーカーのうちクライスラーに続いて最大手GMの経営破綻、そして国有化の直後だから、そこに焦点を合わせるのはやむを得ないとしても、果たしてそれだけで十分なのだろうか。端的に指摘すれば、車社会そのものが果たして生き残れるのか、と問い直すときではないのか。いいかえれば車依存型社会は、もはや時代遅れではないのか、である。 これに関連して若干気になるのは、毎日社説が「最近は若い人を中心に自動車への興味が薄れている」と指摘している点である。若者の意識変化は何を意味しているのかをもっと論じてほしかった。重要なことは、若者たちは車に乗ること自体をかっこ悪いと感じ始めているのかどうか、である。
▽未来予測 ― 高速道路で自家用車は走っているか
ここでクルマ社会に関するつぎのような未来予測を紹介したい。 問い:30年後の未来の日本の高速道路で果たして自家用車は走っているだろうか?
答え:なにしろSFの未来予測に属する部分もあるので、正直にいって正解は分からない。しかし可能性を考えてみると、マイカーは恐らく走っていないのではないだろうか。環境破壊とエネルギー浪費型の元凶である自家用車がなお走っているようでは、人間が生存していく基本条件である環境が相当破壊されていることになる。マイカーは健在だが、肝心の人間様が息も絶え絶えという状態では落語のネタにはなっても、様にならない。高速道路を走る車としては高速バスが主体になっている可能性が高い。そのバスもソーラーカーになっているのではないか。
また日曜日など休祭日には人間がマラソンで汗を流しているかもしれない。あるいは「歩け歩け大会」を緑の豊かな山間地の高速道路のあちこちで盛大に催しているだろう。瀬戸大橋が開通する前日、多くの人々が「翌日からはもはや歩けない」というわけで、一斉に歩いて渡った事実がある。 本来は、人間の歩行が禁止されている高速道路だからこそ、そこで歩いたり、走ったりすることは、なによりのレジャーといえるかもしれない。それだけではなく、人間性回復への試みであり、さらに環境保全にとどまらず、破壊された環境を再生させ、新たに創造していく営為であるということになるだろう。
以上は、実は私(安原)が2000年末に書いた講義用教科書『知足の経済学・再論(上)』(足利工業大学研究誌『東洋文化』第20号、2001年1月刊)の一節で、その時点から30年後といえば、2030年の未来予測である。書いてから8年経た今日、GMの「国有化」、つまり車が売れなくなったという事実を目の前にして、この未来予測は一段と現実味を帯びてきたように感じている。
▽クルマ社会がもたらす悲劇と災厄と非効率
クルマ社会がどれだけの悲劇と災厄と非効率をもたらしているか、ここで改めて整理しておきたい。
*大量の人命破壊が毎年続く 交通事故による死亡者はかつて多いときには年間1万7000人に上っていた。最近では減ってはいるが、それでも年間約6000人である。負傷者は毎年100万人を超えている。あの阪神・淡路大震災の犠牲者は6000人を超えた。阪神・淡路大震災級の犠牲者が毎年出ていると考えれば、理解しやすいかも知れない。大震災の死亡者一覧表は、当時新聞等に掲載されたが、交通事故死亡者一覧表も年末にでもまとめてみてはどうか。 私自身、信号待ちしていた交差点で2、3メートル先で発生した交通事故を目撃した体験がある。被害者は軽傷で済んだが、それ以来事故は他人事ではないと痛感している。
*温暖化など環境の汚染・破壊を進める元凶 クルマ社会は工場・事業場、航空機などと並んで二酸化炭素(CO2)の排出によって温暖化を進める元凶の一つである。 しかも温暖化に伴うマイナスの影響は多様であることが見逃せない。温暖化に伴う災害の増加(台風の大型化と頻発、激しい雷雨、豪雨など異常気象による被害の増大)、食料危機(異常気象や病虫害の増加による食料生産の低下と飢饉の増大)、生態系への悪影響(森林の生育・再生能力への悪影響など)、健康への悪影響(熱波の影響による死亡者の急増など)、海面上昇による沿岸地域の水没など。
*自家用乗用車はエネルギー多消費型で非効率 自家用乗用車(マイカー)は、エネルギー多消費型である。わが国の交通機関別のエネルギー消費比率をみると、ざっと次のようになっている。 [旅客輸送=鉄道1、バス2、自家用乗用車6]
これは旅客輸送では1人を1㌔輸送するのに鉄道1に対し、バス2、自家用乗用車6の比率でエネルギー消費を必要とすることを示している。つまり自家用車は鉄道よりも6倍のエネルギーを浪費し、それだけエネルギー消費効率が悪いといえよう。 もう一つ自家用車は輸送効率が低いこともあげなければならない。つまり道路の占有空間(1人当たり)が大き過ぎる。これは多数の乗客を収容できるバスと比較すれば、明瞭であろう。
このことはわが国の総合的な交通のあり方として自家用車というエネルギー消費効率、輸送効率ともに悪い車への依存度が高くなった結果、エネルギーを浪費し、CO2を発生させ、環境を破壊していく構造が定着してきたことを意味している。 もはや今後とも車社会を推進していくことは大いなる疑問といわなければならない。GM破綻と国有化はこのことを示すシグナルと受け止める必要があるのではないか。どう対応したらいいだろうか。
▽マイカー中心から公共交通活性化へ ― 富山市のケース
対応策の中心テーマは車への依存度をどう低下させていくかである。変革の方向は、今日のマイカー中心社会から鉄道、路面電車、バス、自転車、徒歩への重点的移行が不可欠である。脱クルマ社会づくりへの模索と実践を開始するときである。 ここでは08年7月政府から環境モデル都市に認定された富山市(全国89都市の応募のうち富山市を含む6都市が認定)のケースを紹介しよう。
富山市のホームページによると、森雅志・富山市長は「環境モデル都市の覚悟」と題する「市長ほっとエッセイ」でつぎのように書いている。
「環境モデル都市」認定は、モデル都市の二酸化炭素の排出量が少なくて成績が良いというのではなく、将来に向けて二酸化炭素の削減が期待できる都市であるという意味の認定である。 富山市の現状は決してほめられるような状況にはなく、様々な取り組みによって二酸化炭素排出量の削減を目指さなければならない。特に極端に車に依存している暮らし方を改めることが効果的である。そのために、公共交通を活性化させながらコンパクトなまちづくりを進めることを計画の中心に位置づけたことが評価された。モデル都市に認定されたことによって(中略)しっかりと結果を出すという責任を負う。自動車一辺倒の暮らし方から公共交通も使う暮らし方へ転換し、車の相乗りやエコドライブを心がけるなどの変化が求められている ― と。
市長のエッセイの眼目は2つある。一つは二酸化炭素排出量の削減のためには、極端に車に依存している暮らし方を改めること、もう一つは公共交通を活性化させること、である。
具体策としては以下のような地域に密着した安心・快適で環境にやさしい公共交通「富山ライトレール」(全国初のLRT=次世代型路面電車)の開業(06年4月)である。 ・バリアフリーの低床車両を導入。車椅子やベビーカーでも楽に乗り降りできる。 ・地域に密着した公共交通をめざし、新しい停車場の設置、高頻度運行などでサービスを向上させる。 ・路面電車は道路混雑の緩和や交通事故の削減、二酸化炭素や窒素化合物の削減などに効果がある環境にやさしい乗り物である。
もう一つ紹介したいのは、「まいどはや」という名のコミュニティバスの活用である。運賃は1回100円(小学生以上)、午前9時から午後7時まで20分間隔で1日31便運行し、路線バスや市電など既存の交通網に接続しており、通勤、通学、買い物などに手軽な足として利用できるようになっている。 マイカー依存から脱出するためには、小回りが利いて、使い勝手のいいコミュニティバスは欠かせない必需品である。富山市はそのモデルにもなり得るのではないか。
*本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。
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