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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2010年07月04日08時46分掲載
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文化
≪演歌シリーズ≫(5)川内康範の愛の詩 �供 宗柔長昌案燹慝鮃�のブルース』 森進一『花と蝶』―― 佐藤禀一
【青江三奈は指折りのジャズ歌手】
『THE SHADOW OF LOVE 〜気がつけば別れ〜』愛聴する一枚である。歌手は、MINA AOE、そう青江三奈である。1993年三奈47歳のときニューヨークで収録し、2007年Think!レーベルから復刻されたCDである。『恋人よ我に帰れ』などのスタンダ ード・ナンバーに英訳歌詩による『伊勢佐木町ブルース』(詩・川内康範 曲・鈴木庸一)も入れた13曲、うち6曲をモダン・ジャズのピアノの名手マル・ウォルドロンが寄り添っている。彼は、伝説的なジャズ・ボーカリストのビリー・ホリディ最晩年の伴奏者でもあり、ビリーを追悼した『レフト・アローン』を作曲した。1960年録音の同名のアルバムは、ジャズの歴史的名盤に挙げられている。中でもジャッキー・マクリーンの哀しみに濡れたアルト・サックスの“むせび泣き”は、逸品である。
“むせび泣き”? この形容は、演歌の前・間奏のサックスの響きなどに常套的に使われ、私は、どうも好きになれない。でも、ジャッキーの音色は、まことにこの形容がピッタリ当て嵌まるのだ。ピッタリと言えば、マル・ウォルドロンのピアノ・ソロが際立つ『センチメンタル・ジャニー』の青江三奈も“むせび泣いて”いる。
青江三奈は、“ムード歌謡歌手”と言われたが、良く聴くとそんな使い古されたレッテルでは納まらない。『池袋の夜』(詩・吉川静夫 曲・渡久地政信)では、「他人のままで 別れたら/よかったものを もうおそい」と凄味のある恨み節を奏で、『恍惚のブルース』(詩・川内康範 曲・浜口庫之助)では「あとはおぼろ あとはおぼろ/ああ 今宵またしのびよる/恍惚のブルースよ」とエロスの気怠い余韻を漂わせている。ジャズのアドリブ唱法で鍛えられた成果であろう。 青江三奈は、1960年代前半の高校在学中に「銀巴里」のステージに立ち卒業後小さなクラブでジャズを歌っていた。銀座の「銀巴里」は、シャンソンのライブ・ハウスで美輪明宏(当時は丸山姓)など一流シャンソン歌手の多くが、ここから巣立った。私は、1960年金曜日の夜ここにジャズを聴きに行っている。どういう経緯で彼らが演奏するようになったのか分からないが、高柳昌行(g)、菊地雅章(p)、金井英人(b)、富樫雅彦(ds)がかなり実験的で前衛的な演奏をしていた。青江三奈は、未だ出演していなかった。いずれにしろ、ここの舞台は、かなり厳選されたアーティストしか立てなかった。三奈は、少女時代から豊かな表現力を持った歌手であったのだ。
1966年クラブでジャズを歌っていた彼女の歌声に、川内康範が心ひかれ、その才能の深さに耳を傾け開花させたのだ。 松尾和子は、1959年フランク永井とのデュエット・ソング『東京ナイト・クラブ』(詩・佐伯孝夫 曲・吉田正)でデビューしていたが本格的な歌手としてスタートしたのは、川内康範が詩を供した『誰よりも君を愛す』からだと前回書いた。青江三奈も『誰よりも君を愛す』同様、川内原作『恍惚』のドラマ化により主題歌の詩を青江に託したのである。初めレコード会社は、自社の歌手を推したが、頷かずディレクターと作曲家浜口庫之助を伴って銀座のクラブで歌っている青江三奈を聴かせ「何も言わずに黙ってあの子の歌を聞け。その上でこの詩を合わせてみろ。するとふたりとも『すごい』とうなったね」そして、小説『恍惚』に青江三奈という歌手が登場、そのまま芸名として提供した。
「あとはおぼろ あとはおぼろ/ああ 今宵またしのびよる/恍惚のブルースよ」
青江三奈のハスキー・ボイスには、エロスの疼きが漂い、しかも、孤独の翳りが感じられるこの歌にピタリはまった。
【情死の物語をつむぐ歌い手 森進一】
川内康範は、江戸中期の歌舞伎・浄瑠璃作者近松門左衛門の生まれ変わりではないか……私には、そう思えるのである。近松作品で特に、印象に残っているのは、『曽根崎心中』と『心中天網島』である。心中=情死が作品の核になっている。川内は、二種類の愛をつむぐ詩人でもある。一つは、『おふくろさん』(歌・森進一 曲・猪俣公章)やドラマ『月光仮面』に代表される無償の愛、もう一つは、情死に行きつく激しい男と女の愛である。「僕が書くものは一貫している。その中に流れるものは、まずやはり男女の愛の相克(そうこく)。(中略)恋の熱さで身も心も灼け尽くせば、やはり、情死になるわけですよ。愛して愛し抜いた人が失われれば、当然生きる目標をなくしてしまう」 落ちぶれていた水原弘を再生させた『君こそわが命』(曲・猪俣公章)も、低迷していた菊地正夫(城卓矢)を甦らせた『骨まで愛して』(曲・文れいじ)も、八代亜紀の『愛の執念』(曲・北原じゅん)も情死のドラマである。青江三奈に供した『伊勢佐木町ブルース』(曲・鈴木庸一)もそうだ。しかし、何と言っても川内情死の極致は、『花と蝶』であろう。
「花が女か 男が蝶か/蝶のくちづけ うけながら/花が散るとき 蝶が死ぬ/損な恋する 女になりたい」 森進一の虚空に消え入りそうな微細にか細く震える高い声が、風にひらひらと舞いながら蝶と花がもつれ合う風情にオーバーラップする。身も心も「花が散るとき 蝶が死ぬ」「蝶が死ぬとき 花が散る」ように一つになりたい。「そんな恋する」
二人にイイイイイ なりイイイイ たあイイイイイ
森進一の高音が女の想いとなって夕闇に溶ける。
近松門左衛門の情死の恍惚は、様々なジャンルの作品で息づいている。映画に顕著だ。溝口健二監督の『近松物語』(1954年)暦の制作などを扱う大経師屋の若く美しい内儀(香川京子)と手代茂兵衛(長谷川一夫)が愛に目覚めるが、御法度の不義密通の罪で刑場に消える。裸馬に乗せられ市中引き回しのラスト・シーンが感動的だ。二人は、打ち拉がれるどころか背中合わせに縛られながらしっかり手を握り合い、むしろ、死によって愛が成就されることの喜びで笑みさえ浮かべている。筋は、紹介しないが『心中天網島』(1969年監督・篠田正浩)の死を前にした墓場で紙屋治兵衛(中村吉右衛門)と遊女小春(岩下志麻)の愛欲シーンは、凄まじい。
そして、川内康範の“うた”に脈打っている。『女のためいき』(詩・吉川静夫 曲・猪俣公章)など女の切ない吐息を吐きつづけてきた森進一が、『花と蝶』で“川内情死”の花びらを散らせた。彩木雅夫の旋律も凄味がある。この曲は、まさに情死歌の極致と言えよう。男と女のエロスの終着駅を詩い、それに溶けるメロディと歌声を引き寄せた詩人川内康範の存在を忘れてはなるまい。(敬称略)
※引用『生涯助ッ人 回想録川内康範』(集英社)
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