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2012年02月20日23時42分掲載
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文化
【核を詠う】(31)福島原発の地で詠った東海正史歌集『原発稼働の陰に』を読む(2)「放射能をりをり洩らす排気筒吐く物何か不気味に聳ゆ」 山崎芳彦
先日、筆者が所属している小さな短歌会の二月定例歌会が開かれたがある会員が原発にかかわる作品を出詠した。このところ毎月の歌会に原発短歌を出詠している会員だが、彼は以前脳出血を病み、身体に軽くない障害を持つ身であるが、リハビリに励み機能の回復に努め、短歌会のほかにコーラスのサークルにも所属して、前向きに生きている七十代の会員である。
二月歌会の作品は
われらが世かの原発に託せるや諸人(もろびと)の知恵つくされぬまゝに
という一首だった。彼曰く「私は原発に反対している。あの原爆と本質的には同じ原理によるもので、広島、長崎、ビキニの恐るべき被災体験を持つわれわれが、いままた福島原発による核被害に直面している。私は、不自由な体だが、詠うことで抗議し原発廃止を訴え続けたいと思っている。皆さん、原発についてどう考えますか。聞かせて下さい。」と語った。歌会への参加者は、それぞれの感想と意見を述べて、彼の一首をめぐり、原爆の問題や自らの生活のあり方など、多くの声があった。
筆者は、この会のなかで、ふと、高木仁三郎氏の一冊の書を想起していた。核化学を専門とし原子力発電の危険性を訴え続け、反原発の活動の生涯を貫いた氏の著書を最近になって再読している筆者だが、その時思い出したのは『原子力神話からの解放』(2000年8月、光文社刊、2011年5月に講談社α文庫が一部訂正し、編注を加え、さらに西尾漠・原子力資料情報室共同代表の「文庫版まえがき 的中した原発事故の予言」を付して再刊している)のプロローグに書かれていた内容であった。もちろん、その場で文章そのものを正確に思い出せたわけではなく、帰宅して読み返した。それは、前掲の歌友の作品の「諸人の知恵尽くされぬまゝ」の歌句に、ある種の感慨を禁じえなかったである。
原発に反対する、脱原発への道を探り実現するために、「原子力文明」とも言うべき時代を生きてきた私たちの「知恵を尽くす」ことなくしては、そのための共同と、根底的な人間感覚の具体的な磨きをもって、現状を拒否し、単に「安全神話」からだけでなく「原子力神話世界」からの離脱はならないと思うからだった。
高木さんは同著を刊行して2ヶ月後に他界してしまったのだが、その前年に高木さんは東海村のJCОのウラン加工場における臨界事故(1999年9月20日)の衝撃、その二ヵ月後の作業員・大内久さんの死に接し、さらにその数日後の日本政府原子力安全委員会・事故調査委員会の報告書の公表を読むという、なんとも表現し難い体験をしたのであった。
高木さんは、その1999年に「今までの人生を振り返って『市民科学者として生きる』(岩波新書)を書いたことは、自分が原子力に接してきた態度に対する一つのまとめとなりました。私としては原子力批判からもうひとつ先へ行こうと思ってきたわけです。ところが、ふたたび原子力問題について本書のような本を書いてみたい、どうしても書かなくてはいけないのではないかと、2000年という年のはじめになって思うようになりました。」と『原子力神話からの解放』のプロローグで記している。結果的に高木さんの最晩年の書となってしまった。
高木さんは同書の中で、「今のような状況のなかで、私たちが本当に考えなくてはいけないのは、原子力に期待していたような状況からの、ある種、文明的な転換についてだと思います。そういう転換を成し遂げるためには、多くの人たちが原子力問題の根本を理解し、先を考える必要があります。・・・本書は、原子力文明からの転換ということをはっきりと主張する立場に立って書かれています。もちろんこれはわたしの長年の意見であったわけですが、今回の臨界事故を踏まえた現在の心境からすれば、単に私の価値観、意見、主張ということにはとどまりません。この半世紀にわたる文明的な状況の必然の流れとして、世界全体が原子力を放棄することが賢明な選択であると気づきつつあるのではないかと思います。もしくは、一刻も早く選択をしなければ誤ったところ、恐ろしいところへ行くのではないかということで、社会的に人々は選択をしつつあるようにも思えます。」と書きつつ、しかし、このような「歴然たる文明的な潮流になってきて」いるにもかかわらず、いままでと変わらない方針で(政府)は原子力利用を進めているし、「かなり多くの人々が、望ましいことではないけれども、脱原発はできないのではないかと思い込んでいます。」と指摘し、「ですから、長い間私たちを閉じ込め、呪縛してきた原子力にまつわるさまざまな神話がどのような内容のものであったのかを言うためにも『原子力神話からの解放』という言葉を本書のタイトルとして、あえてつけました。」「東海村の臨界事故でピカッと光ったあの光は、私たちに『目を覚ませ』と言っているのではないか、そんなふうに私は感じて、そういうメッセージを読み取ったからこそ、この本を書くことにしたのです。」と書いている。
筆者の歌友の一首の中の「諸人の知恵尽くされぬままに」、原発を存在させて、そのエネルギーに世を託せるか、そんなことはないという歌句は、高木さんの「原子力文明」からの転換のための「諸人の知恵」を今こそ尽くそうと言う決意の表現、「体は自由に動けないが、詠うことで訴える」一首であると、筆者は読んだ。
東海正史さんの『原発稼働の陰に』は、原発にかかわる歌だけが収録されているわけではなく、原発の地にあって建設業・不動産の売買斡旋賃貸家屋の保守管理などを営み、原発にかかわる人々に接して原発の危険な実態を知り、また事業経営の苦闘、家族との生活、日常を詠った作品も多い。その生涯に、原爆も知り、福島はじめ各地の原発の事故についての知識、放射能の恐ろしさ、原発立地の経緯などを承知し、『原発稼働による疲弊と被曝は社会的に捨て置けない問題』としてその実態を「真摯にとらえ歌にしてゆくつもりである」と詠い続けた東海さんの作品はまことに貴重であろう。生活詠、家族詠の作品も読みたいが、いまは前回に続いて、原発にかかわる作品を読んでいく。
蜃気楼 牙城と顕つ原発群の蜃気楼を段丘に見て吾のこゑ呑む
清き段丘売りて原発誘致せし一期の悔いと危惧の拭へず
核廃棄物積みて夕暮発つ船に 燭�まびすし啼きて群がる
沖に顕てる原発群の蜃気楼に籠れる君のみ霊が揺らぐ
原発をテロより護る巡視船の探照灯夜の段丘を照らす
現実に稼働してゐる原発をうべなふ声も真摯に聞かむ
反核と白衣に書ける十余人守衛の前に儒者のごと立つ
臨界事故起きて当然の核廃棄物地下に蔵(ざう)して段丘しづか
作業被曝 漏洩せる放射能微量と聞けるさへ吾ら住民の肝怯えしむ
炉心部が応力腐蝕起しゐる事態周辺になにを暗示す
尾根越ゆる五十万ボルトの送電線塔より塔に撓みて光る
放射能をりをり洩らす排気筒吐く物何か不気味に聳ゆ
被曝して臥す父ひとり置き去りに君の働く大間原発
視界暗く降り頻く雨に放射能含むや否や濡れつつ帰る
起り得る作業被曝の対応に極秘課のあること訝しむ
営利優先の陰に被爆し去る者を数へ余して腹煮え激つ
核燃料税にたよれる町政の姿勢を糺す議員ひとり無し
エネルギーの有限を言ひ偽りの核の利用に栄ゆる企業
原発に怖れ抱きつつこの町をうるほす税に口噤み生く
核再利用(プルサーマル)拒否せず認可せぬ知事の理由明かさぬ真意寄進か
被曝して常(とこ)臥す君の永久(とことは)の住処か小さきこの離れ家は
日を継ぎて身に溜り行く放射能の悪霊君のいのち蝕む
四基また五基と停止し炉心部の定検に入る第一第二原発
隠れ被曝者 白血病癒えぬを嘆き世を去りぬ炉心近くに働きし君
哀れ彼の隠れ被爆者密やかに葬られゆきて語る人無し
企業の営利憎み来りて被曝せる君を愛(を)しみて憤る心よ
原子炉の点検修理ベテランの技師も被曝は例外ならず
気付かずに作業続けてみづからに蓄積しゆく放射能体
如何やうに企業弁解なすといへ作業被曝の在るを許せず
被曝許容超せば労務者入れ替へて事足る業が現世(うつしよ)に在る (人夫出し業者)
東南(たつみ)より風吹き来れば排気筒の吐く放射能まともに被る
辺鄙なる築ゆゑ建ちし原発と思ひ憎めりその遣り口を
地域発展に尽くしたる事否(いな)まねど原子炉の危惧子孫に残す
家族無きが心易しと渡り来て原子炉定検に被曝して老ゆ
骨髄を侵されし君モルヒネに頼りて核の怨霊に病む
原子炉の構造を吾に説き呉れし清廉なる君の目見を忘れじ
全(すべ)て秘密に事運ばるる原発の内部資料も聞くとなく知る
千を超す否否(いないな)万を超すといふ隠れ被曝者何処に病めるや
過疎故に甘んじて受けし原発の誘致未来に禍根を残す
放射能に咽頭をかされ十余年六十六歳の春を君逝く
駅頭の見慣れぬ人ら原発にかかはり合へる風貌を持つ
原発誘致を悔いる歌がある。その背景は、思えば第一次産業を押しつぶし、人も物も地場産業も引き攫って日本経済「発展」のための重工長大産業の育成、大企業優先の国策に投入した戦後の歴史が作り出した過疎疲弊の地域の再利用計画ともいうべき原発立地化といえよう。全国各地に原子力発電基地を展開し、ひとたび原発の「誘致」をさせた地域を抱え込んで離脱させないために国、電力企業・原子力産業・大企業が中核となって築いた「原子力村」なる壮大かつ隠微な「権力」は、カネ、ヒト、モノ、情報、アカデミズム、必要なありとあらゆるものを動員して「原子力文明」を作り上げてきた。地方の歴史、文化、経済基盤、さらに人の心、家族・縁者の絆を引きちぎり断ち切り、格差と差別の構造を作り続けてきた。その一つの結果が3・11福島原発壊滅事故であり、福島県民のみならず全国的な被災と政治・社会の混迷、人心の亀裂なのであった。もちろん、そのなかから新たな力や、蓄積されてきたよきものの復活も騒ぎ立っている。歴史的な岐路にあるのかもしれない。
高木仁三郎さんの前掲書の「パンドラの箱は閉じることができるのか―結びに代えて」ではプルトニウム、ひいては原子力というパンドラの箱を開けてしまった、そしてありとあらゆる厄災が飛び出し、火と技術を持って奢り高ぶる人間を懲らしめることになるが、そこから先に二つのバージョンがあるとして、第一のバージョンは絶望的なもので箱の中に「前兆」ないし「見通し」が残されてしまったので、人間は火や技術を手にしたけれど、先の「見通し」はないままにのこされてしまったので混乱が広がるばかりというもの、第二のバージョンは楽観的で、箱の中に残ったのは「希望」で、まだ人間には希望が残されているというもの、とし、「私は・・・まだ希望が残っていると信じたいのです。」と述べ、「このへんで核の時代に終止符を打ち、現存する核兵器や放射性廃棄物を、知恵を合わせて厳重に管理していくことに努め、より平和で安全なものへと文明を転換していく努力をすれば、まだ間に合うと思う」とし「しかし、私たちに余分な時間はあまり残っていないことも確かです。一刻も早く、この転換に着手しなければならないでしょう。・・・開けてしまったパンドラの箱を閉じることはできないでしょうが、その中に残った『希望』を取り出し、育てていくことはできるのではないでしょうか。」と結んでいる。それから12年目、現実を高木さんの視点で、自らの目で見なければなるまい。
東海さんの、原発作業員の被曝の実態を、哀傷を込めて、しかも事実を正確に表現した作品の数々は、東電のみならず原発産業に対する告発であり、警鐘だ。東海さんは「あとがき」で、「私は原発廃止を叫ぶ極左思想、その他の運動家ではなく、私の目に触れ、耳にした真実を短歌という形式に取り入れ社会に訴えて、出来得るならば被曝皆無のなかで電力供給という社会的大義を果してほしいと願望している一社会人に他ならない。」と述べているが、作品は読者に委ねられることは、長い歌歴を持つ東海さんの理解の中であったはずである。作品が語っている原発の世界は、やはり詠われているとおりであり、「原子力文明」の中核ともいうべき原発は、最終的な解消決着に至るまで、今後どれ程の時間がかかろうと、完全廃止に至る道筋を「諸人の知恵を尽く」して作り上げなければならないだろう。それには、先ず何よりも、3・11原発事故によって塗炭の苦しみを背負い、生活再建を目指す人々への、国家的、社会的な、実のある対応策を講じなければならないだろう。
それにしても、大飯原発のストレステストによる原発再稼働に向けての安全シグナル点燈や、原子炉等規制法の見直し方針における「原則40年プラス例外60年」の運転期間の混乱、避難地域指定の見直し混乱、除染作業の見通し困難と対応無策、その他、「脱原発依存」も口だけの政府のていたらくは、原発被災地の人々の生活再建を暗澹たるものにしている。原発輸出の推進も論外の暴挙だ。
このような状況がもたらす政治不信が、なににつながるか、歴史に学べば怖ろしくさえなる。 この国の「原子力文明」とは、思えばかつての軍国主義日本の侵略戦争からつながって作られてきたと言ってもよいと思う。考えたい。
次回も、東海さんの作品を読みたい。 (つづく) 訂正 前回の30回目に、松本直治氏の著書『原発死』を『原爆死』と誤記してしまった。誠に申し訳なく、お詫びして訂正します。
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