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2013年07月03日00時00分掲載
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文化
【核を詠う】(113)三原由起子歌集『ふるさとは赤』から原発詠を読む(1) 「突破する力がほしい阻まれたふるさとへ続く道の途中に」 山��芳彦
福島県・浪江町出身(東京在住)の三原由起子さんの第一歌集『ふるさとは赤』(本阿弥書店刊、2013年5月20日)を読みたい。福島原発の壊滅事故によって、ふるさとが、人びとが切り刻まれるように痛めつけられ、核放射能の汚染はその地で生れ、育ち、人としての自分を支えてくれた力を奪った。ふるさとは人の住めない苦しみの地にされてしまっている。人びとは、ふるさとから切り離され、あがきのなかで生きている。
三原さんは、東京に在住しながら、そのふるさとを抱きしめるようにして詠い、そしてふるさとをそのような状態に追い込んだ原発とそれにかかわるものへの怒りとともに、まだ先行きの見えないふるさとの回生への願いと、そのための自身の決意を、行動の中で歌っている。歌集の出版は、その三原さんの思いと希望を作り上げるための決意と人びとへの呼びかけだと思いながら、読ませていただいた。
心打たれる作品にさまざまなことを考えさせられ、「被災地のことを多くの人に一緒に考えてもらいたい。」と言う三原さんの思いの発露であり、「いま声をあげねばならん ふるさとを失うわれの生きがいとして」と、原発にかかわる短歌を「ふるさとを失いつつあるわれが今歌わなければ誰が歌うのか」と足元を踏みしめながら、三原さんの持つ新鮮で、前向きな、作歌姿勢に共感を持つとともに、筆者自身への励ましを受け止めた。福島、浪江をはじめとする原発立地地域は、原子力を受け入れ、そのエネルギーに依存する社会、生活を作ってきてしまったこの国の人びと、もちろんそれを政治、経済の権力を持って推進してきた者たちの責任こそが重大だが、やはり「知らなかった」では済まされない責任を背負う私たちの「ふるさと」としてとらえなければならない。
彼女がこれからさらに浪江町、福島に基軸を置きながらも、全国的、全人類的な課題として原発問題を踏まえ、原子力文明からの離脱への道を切り拓く大きく強い作品を積み重ねて行くことを期待したい。もとより、かたちはちがっても私たちの課題でもあることは言うをまたない。
ふるさとが赤に色塗られたiPadの画面見たという、2011年3・11後の彼女の言い知れぬ心のふるえは、あれから2年を経た現状のなかで、この国の政府や大企業、原子力ムラに居座り続ける学者、ジャーナリズムに対する身も心も震えるような悲しみと怒りが時に沈潜し、時に噴出する日々の中にある。そこから彼女の作品が生まれていくのだろうと思う。彼女の真実がそうさせているし、さらにそのような作品が生まれるに違いない。
福島の被災者の現実と将来について、例えば、政府は田村市都路地域の住民説明会で、「空気中の放射線量を1ミリシーベルト/年にする目標に達しなくても、目標値に達するまでの除染は行わず、希望者に新型の線量計を渡すので自分で確認し、自己管理して欲しい」と説明したと報じられている。国の責任で地域の放射線量が目標値に達するまで除染をし、さらにその後の経過をしっかりと見て対処して行くことが、地域住民が自宅に帰れる最低の条件であるはずなのに、その義務を放棄して、常に線量計を身に付け被曝線量を自ら測り、生活を自己管理しろと言う政府、「目標値に達するまで除染をしていけば金がいくらあっても足りない」、つまり人間の生命や健康より金が大事、という安倍政権、アベノミクスの本質が、むき出しにされているのだ。三原さんのふるさとのみならず、この国全体が放射能危険地帯を示す赤になりつつあるのだろう。
核放射能の汚染によって安心して生活できず、まして放射能被曝に感受性が強く、これから長く生きていく子供たち、除染のために山と詰まれ袋に入れて道路沿いに並べられ、雨がふれば雨に叩かれ、風が吹けば風に舞う放射能の処置もほとんど手付かずの中で、畑を耕し、水田耕作をし日々働く人々にたいする、これほど不条理、無慚なな対応は無いではないか。
しかし、アべノミクスの実のない景気回復を喧伝し、輸出大企業本位の円安誘導、歯どめのない金融緩和とインフレ誘導策、国内大企業のためのエネルギー供給対策としての原発再稼働推進、原発輸出を進め、そのためにも原子力技術を維持する必要という論理、許しがたいものである。 そのような安倍自民党とそれを補完する公明党が、先の東京都議会選挙で全員当選したことについては、やはり、無念としか言いようがない。東京都民は福島原発事故と無縁なのだろうか。安倍自民党と公明党に政権党の座に傲然と座ることを許す、分析すれば色々なことがあるのは承知だが、このようなことが差し迫っている参議院議員選挙でも繰り返されることがあれば、と思うだけでも空恐ろしい。原発再稼働路線は加速し、福島原発被災者は苦難の中に置き去りにされることは必至である。彼らにとって、福島原発でいまも起きている災害は、放射能汚染水も、原子炉内部で何か進んでいるのかも、核燃料棒プールの危うさも、既にこの国の中心的な問題ではないのだ。
原発問題は、今やこの国の現在と将来にとってさまざまな意味で重大で基本的な課題であり、参院選の最大の争点として真正面に押し出し、その本質と具体を明らかにしていかなければならない。そして、脱原発の現実性を明らかにするために、政党レベルではもとより、国民的な共闘の体制を、残された時間のなかで大きく前進させなければならないときだと思う。
ところで、三原由起子さんの短歌作品と、原発問題と短歌についての言説について、この連載の第37回で紹介したことがある。そこで採録した作品が歌集『ふるさとは赤』にも入っているが、歌集の中の原発詠をそのまま記録させていただくので重なる作品があることをご了承願いたい。 そのことと、この歌集には三原さんが作歌された16歳から33歳までの作品がまとめられていて、原発詠以外の作品に多くの魅力的な歌があるのだが、本稿では「2011年3月11日後のわたし」の作品を記録する。 読み甲斐のある歌集である。人々の共感を得る三原さんの短歌表現は、その歌おうとする焦点にふさわしい。
◇ふるさとは赤◇
▼ipad片手に震度を探る人の肩越しに見るふるさとは 赤
諳んじる十月二十六日は原子力の日と幼き日から
原子力ポスターを描く宿題を提出しないままに過ごしき
校長を退(ひ)きて原子力センターの広報となりし恩師は遠く
一月の同窓会に集まりし数人はいま1F(いちえふ)に就く (1F=東京電力福島第一原子力発電所)
作業員の友より届く写真には桜咲きたり去年(こぞ)のごとくに
常磐線に乗るたび想う人のいてもう眺めることのできない景色
デモ知らぬ世代ばかりの初めてのデモに音楽溢れていたり
脱原発デモに行ったと「ミクシィ」に書けば誰かを傷つけたようだ
原発の話はタブーと注意する先輩はまだムラに生きおり
復興か逃亡かという地域にて生きるほかなし いもうとのばか
夫からもらう煙草の本数が増える被ばくのニュース聞くたび
自らに煙草を買えば子は産めぬような気がしてコンビニを過ぐ
われのこころひとつひとつを育みしふるさとのために生きていきたし
◇人のさまざま◇
▼阿武隈の山並み、青田が灰色に霞む妄想、爆発ののち
満開の桜、青空変らずにある変りしは人のさまざま
たまり水燃料棒を男性の象徴としてつぶやく人ら
恩恵を受けたと言いし住民の声は敗北宣言に似て
浜通り/双葉郡/浪江町/避難民 憎しみ合って分かれてゆきしか
いま声を上げねばならん ふるさとを失うわれの生きがいとして
◇それでも生きる◇
▼「十年後も生きる」と誓いし同窓会その二ヶ月後にふるさとは無し
百年の商いつないでいく矢先見えない敵は空から降りぬ
「おもちゃ屋の娘でした」と言うわれに戸惑っているもう一人のわれ
夢うつつ雑誌広げてわが町の車道に群がる牛を見ている
常磐道開通ならずそのままに時は止まれり浪江町の夢
ふるさとの散りゆくさまを語るとき言葉も心も宙に浮かびぬ
福島のほんとうの空に集う日はわれの肉体なきあとのこと
◇青田、浜風◇
▼扇風機の前に座って目を閉じている盆の入り 青田、浜風
盆正月迎えるたびに受け入れてしまうのだろうかふるさとの死を
突破する力が欲しい阻まれたふるさとへ続く道の途中に
刈り取られた稲藁のように束ねられどこに運ばれてゆくのかわれら
さまざまなそれぞれがあり震災の前のようには暮らしてゆけぬ
◇蛍を追って◇
▼うつくしまふくしま唱えて震災の前に戻れる呪文があれば
風向きを知らされぬままに人びとは逃げてひとつに山目指しけり
駅前に水浴びをして群をなす子豚は人を待っているのみ
脱原発署名の前を過ぎ行きて身を翻し名前を記す
声上げる大規模デモにおおかたのニュースは声を伝えず終わる
国民を難民にして今もなお稼働させたきひとは小愚民(こぐみん)
ふるさとを遠く離れて父母と闇を歩みぬ 蛍を追って
被災者が被災者のために調理する「なみえ焼きそば」に心やすらぐ
草しげる墓を思いて曾祖父母祖父に会えない盆を迎えぬ
ただいまとおかえり言い合う八月の故郷も言葉も留めたるまま
◇われらの世代◇
▼果てしない除染作業に人生を捧げたくはない若者われら
(ふるさとの汚染思えば代替地がほしいというのはわがままだろうか)
親ほどの市長が除染を叫びいてわれら世代をばらばらにする
ふるさとにみんなで帰ろう 帰らない人は針千本の中傷
原発の話題に触れればその人のほんとうを知ることはたやすい
半年で背丈に繁る雑草や荒らした豚の足跡も 家
帰りたいけど帰れない自らに言い聞かせつつ祖母は電話す
百年の商い失い父母(ちちはは)は若き上司の下に働く
「ご活躍なにより」というメールきて活躍のための作歌ではない
ふるさとを失いつつあるわれが今歌わなければ誰が歌うのか
次回も引きつづき三原由起子歌集『ふるさとは赤』から原発詠を読んでいく。 (つづく)
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