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2018年06月13日14時00分掲載
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人権/反差別/司法
袴田事件 東京高裁、再審開始認めず 根本行雄
6月11日、1966年に起きた「袴田事件」で死刑が確定し、2014年の静岡地裁の再審開始決定で釈放された袴田巌元被告(82)の即時抗告審で、東京高裁(大島隆明裁判長)は、地裁決定を取り消し、再審請求を棄却した。静岡地裁の決定の決め手となったDNA型鑑定は「種々の疑問があり、信用できない」と判断した。死刑と拘置の執行停止は取り消さなかった。弁護側は高裁決定を不服とし、最高裁に特別抗告する可能性が高い。日本の「再審の門」は、依然として、固く閉ざされている。日本国憲法の3大原則である「基本的人権の保障」を順守しない検察官と「ヒラメ裁判官」がいるからだ。
静岡地裁は2014年3月、確定判決で犯行時の着衣とされた「5点の衣類」について、「血痕が袴田さんや被害者と一致しない」とする弁護側のDNA型鑑定などを「新証拠」と認めて「後日捏造(ねつぞう)されたとの疑いを生じさせるもの」と結論づけ、再審開始決定を出した。同時に地裁は、死刑と拘置の執行を停止する決定も出し、袴田さんは逮捕から約48年ぶりに釈放された。
□「再審の門」
現在、無実を主張しながら、有罪が確定し、服役し、出所した後も、無実を訴え続けている2人の人物がいる。一人は、「大崎事件」の原口アヤ子さんであり、もう一人は「松橋(まつばせ)事件」の宮田浩喜さんである。2人とも、高齢化し、健康に不安をかかえながらも、無実を訴え続け、再審の開始を待っている。それに対して、日本の司法は「再審の門」を固く閉ざしたままだ。このような冷酷な対応は日本国憲法の3大原則の一つである「基本的人権の保障」を遵守しているとは言えない。
このような高齢の再審請求人に対して、検察が抗告をしたり、特別抗告したりするという判断の背景にはどのような「公益」があると考えているのか。大いに疑問である。日本国憲法の3大原則の一つである「基本的人権の保障」を忘れているからだろうと考えずにはいられない。
このような冷酷な対応から連想されるのは、「名張毒ぶどう酒事件」の奥西勝さんのことである。
「名張毒ぶどう酒事件」は、再審請求の条件である「証拠の明白性と新規性」があり、多くの人びとは「えん罪」であると考えている。この事件を題材とした出版物、ドキュメンタリー番組、テレビドラマも多く制作されているが、そのほとんどが、この事件はえん罪であるとの立場からのものだ。日本弁護士連合会が支援する再審事件でもある。2012年に、映画『約束 』が上映され、再審請求の運動が全国的に広がりつつあったが、再審は開始されなかった。そして、第8次の再審請求中の2015年に、奥西さんは収監先で89歳で病死された。実質的な「死刑の執行」である。「波崎事件」の冨山常喜さんも、同様に、獄中で亡くなっている。
ホセ・ヨンパルト先生(当時、上智大学名誉教授)は、ネモトが『司法殺人(「波崎事件」とえん罪を生む構造)』(影書房刊)を贈呈したところ、懇切なお礼状を下さった。その中に、「日本の司法では間違ったことを認めないで、時間をかけて、関係者が死ねば、もう片付けたことになるようです。」という文章があった。忘れることができない印象的な文章だ。
原口さんと宮田さんのほかにも、無実を主張しながら、有罪が確定し、長期間、獄中にあった、「再審の門」が開くことを待っている2人の人物がいる。現在、2人とも、高齢化し、健康に不安をかかえながらも、無実を訴え続け、再審の開始を待っている。一人は、「狭山事件」の石川一雄さんであり、もう一人は「袴田事件」の袴田巌さんである。
石川一雄さんは1963年5月、窃盗などの容疑で別件逮捕された。警察は、代用監獄を利用して20日以上にわたって取調べをしたが、石川さんを自白させることができなかった。別件で起訴された後、弁護士の保釈申請が認められ、釈放されることになった。その釈放の直後、警察は強姦、殺人、死体遺棄で再逮捕をした。その後も、石川さんは否認を続けたが、警察はスパイを利用して偽計にかけ、自白を手に入れた。警察は、代用監獄の悪用、証拠の捏造、ポリグラフ検査の悪用などによって、石川さんを犯人に仕立て上げていった。義理人情に厚い石川さんは一審では終始一貫、犯行を認めた。このため、一審の判決は死刑となった。しかし、64年3月、控訴をし、東京高裁での控訴審においては、代用監獄を悪用した取調べと偽計などにより自白を強要されたと主張し、犯行を全面的に否認した。二審の判決は無期懲役。76年8月、最高裁は上告を棄却し、無期懲役が確定し、石川さんは千葉刑務所に入所した。弁護団は、その後も、異議の申立や再審請求をしているが、ことごとく、棄却や却下をされ続けている。そして、94年12月、石川さんが31年ぶりに仮出獄した。現在は、第3次の再審請求がされている。
袴田巌さんは、1966年9月、静岡地検によって強盗殺人罪、放火罪、窃盗罪で起訴された。袴田さんは、 静岡地裁の第1回公判で起訴事実を全面的に否認した。それ以後は、一貫して無実を主張している。
袴田さんの取り調べは、夏の暑い時期であるにもかかわらず、取り調べ時間は、朝、昼、夜を問わない、平均12時間、最長17時間にも及ぶものであった。そのうえ、眠らせないようにしたり、棍棒でなぐったり、蹴ったりという拷問による苛酷なものでもあった。自白調書は45通あり、そのうち44通は強圧的威圧的な状況下での取調べであるとして、任意性を認められず、証拠から排除されている。しかし、採用された1通もまた、拷問による取調べによって作成されたものである。
2007年3月、袴田事件の第一審の合議に参加された裁判官、熊本典道さんが「心ならずも信念に反する判決を出した」ということを記者会見において明らかにされた。そして、熊本さんは現在は袴田さんの再審、無罪を獲得するために活動されている。
2011年8月 、第二次再審請求審において、静岡地裁は事件当日にはいていたとされるズボンの他、5点の衣類の再鑑定をすることを決定しました。
2014年3月27日、静岡地裁は再審開始と、死刑及び拘置の執行停止を決定した。袴田さんは同日午後に東京拘置所から釈放され、47年7ヶ月ぶりに東京拘置所から釈放された。静岡地検は東京高裁に拘置停止について抗告を申し立てたが、高裁は28日、拘置停止決定を支持し抗告を棄却した。31日、静岡地方検察庁が再審開始を認めた静岡地裁の決定を不服として即時抗告した。 このため、再審の開始が先延ばしにされている状態になっている。
2014年8月、抗告審理で、弁護士側の証拠開示要求に対して、静岡地方検察庁が一審当時から「存在しない」と主張し続けて来た、有罪の証拠「5点の衣類の写真」のネガフィルムが実際には静岡県警察で保管されていたことが判明した。検察は証拠隠し、証人隠しをするのだ。
2018年6月11日、東京高裁(大島隆明裁判長)は、地裁決定を取り消し、再審請求を棄却した。またしても、再審の門は開かなかった。
□ 白鳥決定
日本の「再審の門」は、依然として、固く閉ざされている。
読者に想起してほしいのは、弘前事件(弘前大学教授夫人殺人事件)である。この事件は、1949年に青森県弘前市で発生した殺人事件であり、えん罪であることが判明している事件でもある。
1949年8月、那須隆さんが逮捕され、10月に起訴された。1951年1月、青森地裁弘前支部で一審の公判が終了し、那須さんは無罪となった。
1951年6月、仙台高裁で控訴審が始まり、翌年5月、控訴審が終了し、那須さんに懲役15年の有罪判決が出た。1953年2月、最高裁が上告を棄却し、有罪が確定し、那須さんは服役した。
1963年1月、那須さんが仮釈放された。1971年5月、真犯人が現れた。同年7月、那須さんは仙台高裁に再審を請求する。1974年12月、仙台高裁刑事第一部は請求を棄却した。
1976年7月、仙台高裁刑事第二部は棄却決定を取消し再審開始を決定した。翌年2月、再審が終了し、那須さんは無罪となった。
1974年、真犯人が現れているにもかかわらず、那須さんの再審請求は一度は棄却されている。しかし、翌年に下された「白鳥決定」により、再審の門が拡げられたことにより、ようやく再審の開始が決定された。「白鳥決定」がなければ、弘前事件の再審は開始されなかっただろうと容易に想像がつく。そして、事件から28年が経過した1977年、仙台高裁は物証の捏造を強く示唆したうえ、那須さんに対する殺人の罪を撤回し、事件はえん罪であることを明らかにした。
この「白鳥決定」の意義は、特筆大書すべき、とても重要なものである。
再審開始の条件は、「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」を「あらたに発見したとき」(刑事訴訟法第453条6号)という厳しいものである。日本には再審の制度はあったが、それが活かされることはほとんどなかった。このため、再審は長年にわたって「開かずの門」と言われ続けていたのである。
1975年5月、白鳥事件(1952年1月、札幌市内で発生した射殺事件)に関連して、最高裁は再審開始の条件について画期的な判決を出した。
「『無罪を言い渡すべき明らかな証拠』とは、確定判決における事実認定につき合理的な疑いをいだかせ、その認定を覆すに足りる蓋然性のある証拠をいうものと解すべきであるが、右の明らかな証拠であるかどうかは、(略)当の証拠と他の証拠とを総合的に評価して判断すべきであり、再審開始のためには確定判決における事実認定につき合理的な疑いを生じしめれば足りるという意味において、『疑わしいときは被告人の利益に』という刑事裁判における鉄則が適用されるものと解すべきである。」
つまり、「白鳥決定」は、再審にも「無罪推定の原則」を適用し、確定判決に対して総合的に評価して合理的な疑いをいだかせるものであればよいとする、再審開始の条件を大幅に緩和するものであった。財田川決定(1976年10月)は、この「白鳥決定」の趣旨をさらに明確にしたものである。
死刑確定囚が再審によって無罪となった、有名な事件がある。財田川事件、免田事件、松山事件、島田事件の4つだ。いずれの事件も、「白鳥決定」がなければ、再審は開かれることがなかったはずである。そして、無実の人を死刑にしていたことになる。
日本の警察も、検察も、裁判所も、自分たちが「無実の人を死刑にしていたかもしれない」という反省が足りない。足りないからこそ、いまだに、「再審の門」は固く閉ざされたものになっているのだ。
□ 現在進行中の司法制度改革
渡部保夫さんは『刑事裁判を見る眼』(岩波書店)において、日本は『無実者といえども無罪の判決を得ることは非常に困難であり、検察側が有罪の判決を得ることは概して簡単である』という現状を述べ、有罪率99.9%という異常な高さを示していることを紹介している。そして、検察には上訴権があることや、警察の代用監獄において、長期間の勾留と取り調べが行われ、被疑者の基本的人権が侵害されていることを指摘している。さらに、英米には「無実の市民が間違って起訴されたり処罰されたりしないような手厚い法のハードルが構築されている」ことを述べ、日本においてはまだ十分に「法のハードル」が構築されていないことを明らかにしている。
「裁判員裁判」に代表される、現在進行中の司法制度改革は、まだまだ不十分なものである。いまだに代用監獄は廃止されていないし、取り調べの全面的な可視化も実現されていない。そして、弁護士の接見交通権の実現はまだまだ不十分なものであり、もちろん、取り調べに弁護士が立ち会うことはほとんど保障されていない。
□ 正義の遅延は正義の否定である
「大崎事件」の原口アヤ子さん、「松橋(まつばせ)事件」の宮田浩喜さん、「狭山事件」の石川一雄さん、「袴田事件」の袴田巌さん、これらの人びとは、いずれも、高齢化し、健康に不安をかかえながらも、無実を訴え続け、再審の開始を求めている。このような人々に対して、「再審の門」を固く閉ざしていることは、このような冷酷な対応をしていることは日本国憲法の3大原則の一つである「基本的人権の保障」を順守していると言えるのだろうか。このような高齢の再審請求人に対して、検察が抗告したり、特別抗告したりするという判断の背景にはどのような「公益」があると言えるのだろうか。大いに疑問である。日本国憲法の3大原則の一つである「基本的人権の保障」を忘れているからではないだろうか。
日本の司法は、裁判の長期化という問題を抱えている。そして、再審の門は依然として固く閉ざされている。裁判の長期化は早急に改善すべき問題である。そして、再審の門を容易に開くようにすることも、また、早急に改善すべき問題である。日本の司法の現状においては、「迅速な裁判」を受ける権利は絵にかいたモチになっている。「正義の遅延は正義の否定である」。
日本の警察も、検察も、裁判所も、自分たちが「無実の人を死刑にしていたかもしれない」ということを深く深く反省し、そして、日本国憲法の3大原則である「基本的人権の保障」を順守することに目覚めなければならない。
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