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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2018年11月11日09時52分掲載
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文化
[核を詠う](272)『短歌研究2018短歌年鑑』の「2017綜合年刊歌集」から原子力詠を読む(2)「汚染土こそ母の悲しみなだれ咲く辛夷の下のフレコンバッグの」 山崎芳彦
前回に続いて『短歌研究2018短歌年鑑』の「2017綜合年刊歌集」から原子力詠を抄出するのだが、10月7日に原子力規制委員会が東海第二原発の「20年運転延長」を認め、老朽の同原発の再稼働への道を開いたことに、予想されたこととはいえ、改めて安倍政権下のこの国の国家権力の基幹的存在としての位置を占める原子力マフィアがどれほど反人間的に稼働するものであるかを認識させられた。原発ゼロを求める人々の声、願いも聞こうとしなければ聞こえないのであろう。しかし、人々は「核と人類は共存できない」、原子力社会に未来はないことをこの国の理念とする政治・経済・社会の実現に向かって、その声・行動を止めないに違いない。原発ゼロを目指す粘り強い運動が続いている。読んできた多くの短歌作品、いま読んでいる原子力詠が、そのことを確信させることのひとつでもある。
市民セクター政策機構が発行している季刊『社会運動』の2018年1月刊行の『あれから7年、福島の現実』(株式会社ほんの木)は、�機嵌鏈卉蓮�避難者たちのいま」、�供峺業�、放射能に抗する」、�掘崔Ω業�に向かう未来」で構成され、それぞれのテーマについて豊富で多彩なルポルタージュや調査レポート、インタビューなど、筆者にとってありがたい一冊であるが、その中の原子力プラントの技術者として原子炉格納容器の設計にも携わった経験を持つ後藤政志氏が質問に答える「原発は破綻した技術である・過酷事故の理由と廃炉の道筋を技術的に問う」に、教えられること、改めて確認することが多かった。高木仁三郎さんの講演記録(1991年2月22日、浄土真宗・金沢教学研究室の公開講座)『科学の原理と人間の原理―人間が天の火を盗んだ・その火の近くに生命はない』(方丈堂出版、2012年3月刊)を読んで深い感銘を受けた直後でもあり、後藤氏の言は筆者にとってきちんと胸に落ちるものであった。
後藤氏は「原発はなぜ事故を起こすのか、なぜ事故の収束ができないか。それは原子力の特性そのものに問題があるのです。地震や津波は事故のきっかけに過ぎません。…技術的に様々な対策をすべきではないかという議論が多いのですが、原発はそういうレベルの話ではありません。うまくいかなかった装置を改良すれば原発は安全になるのかというと、そんなことはありません。なぜなら、いったん事故が起これば、高温、高圧になり、放射能が放出され、止められなくなるからです。」、「そもそも福島第一原発事故以前から幾重にも講じられていた対策が突破されているのに、新たな対策が突破されないと言えるでしょうか。…津波や地震であろうが、人のミスであろうが、対策を講じても原発の性質上、結局は事故を防げません。ですから『原発は危険であり止めるべきだ』というのが私の結論です。」と語っている。
さらに「新しい基準に適合していても、原発事故が起こる可能性があるのでしょうか」との質問に、「一番の問題は、そもそも原子力規制委員会の目的が、基本的に申請があった原発を再稼働させることにある点です。だから『これとこの対策をすれば新基準に合格』という判定をしますが、規制委員会は『安全だとは言いません』と記者会見で話しています。あのような大事故が起きたのだから、原因が完全に解明するまで動かすべきではないと思うのですが、あたかも福島の検証や対策が終わったかのごとく、なし崩し的に再稼働が進んでしまっています。」とも指摘しする。そして「原発は人の犠牲の上に成り立っている」ことを具体的に明らかにする。
ごく一部の引用にとどめざるを得ないが、後藤さんの説明は筆者にとって、原発はこの国のどこにもあってはならないものであることを教えてくれた。そして『あれから7年、福島の現実』全体を読むうえでの基本が示されている内容だと思った。
前掲の高木さんの1991年に行なわれた講演の記録のなかの、 「核そのものが安定しているという事が生命の基本的な基盤です。平たい言葉で言うと、原子の安定と言っていいかもしれない。所が原子力というのは、まさに核の安定を崩すことによってエネルギーを取り出す技術です。核の安定を崩さない限り原子力は成り立たない。私はここに一歳の原子力の問題があると思います。弁が開くとか開かないかという問題は派生的に出てきますが、それが本当の問題ではない。制御棒が降りる降りないとか工学的にいうと色々問題出てきますけれども、基本的な問題はそこにあって技術を改良すればどうにかなるという問題ではないのです。私は、今はまだ安全が確立しないからダメという議論はとらない。原理的に人間の生きる原理と相容れない、その点が一番大きいのです。」 ということばの真実が、この国では2011年の福島原発事故の経験を経ても、政府をはじめ大資本大企業が支配する経済界や追随する原子力にかかわる多くの分野にわたる原子力関係組織や学者、研究者、技術者によって覆い隠されようとしている現状を切り開かなければならないと思う。
高木さんは、次のようにも語った。 「例えば、私自身を突き動かしている衝動の一つのなかに死者の…、私の場合は核の被害者の声をどれだけ自分の声にできるかという意識があります。ですから私はこの頃死者と共に生きるという生意気なことを言うのです。それは核をやってきた人間にとっての広島、長崎の被害で死んだ人達はまだ死にきれなくてその者がこだましているような気がするのです。/その声をどれだけ自分の声として発言できるのか。もうちょっと今のことで言えば湾岸戦争で原油まみれになった海鵜、ペルシャ鵜の写真がよく写っていますが、しかしあれは声を発することができない。あの声をどれだけ自分の声として発せられるか、人間はそういう責任を背負っていると思うのです。そういう死せる者、声を発せられないものの声をどこまで発せられるのか、それは又未来の世代に繋がってくる。/今未来の世代に我々は大変なものを残そうとしていますが、その未来の世代の声をどうやって私たちが発せられるのか。これは世代を超えた共生。死者との共生。未来との共生です。…」
高木さんの講演記録『科学の原理と人間の原理』は、高木さんの原子力にかかわる知見を語って深いが、その目次を記しておきたい。 「科学の論理と生きる事の原理―科学技術の成立とその肥大化による危機」、「科学者としてのヒストリー」、「放射能の恐ろしさに麻痺した中で研究する」、「放射能の不思議」、「放射能研究より会社の論理が優先され、人間が矮小化される」、「人里での放射能の検出」、「科学研究社の発想」、「科学者としてより人間として出発する」、「科学技術の歴史」、「人間が天の火を盗んだ―その火の近くに生命はない」、「地上の生命の原理に許される科学技術と許されざる科学技術」、「生命の世界は核の安定の上に成立する」、「核の火は消せない火」、「この社会の無責任さ」、「核が要請するスピード」、「人間の誤りを許さない原発」、「大きすぎて実験ができない科学技術」、「放射能の時間の長さ」、「核の世界が閉じられずに日常のすぐ隣に存在する」、人間としての論理でなく別の論理がまかり通る―合理性の強制」、「間違いを犯すことが許されなくなっている」、「先のことを分からずにやる」、「自分の生命は自分だけのものでなく世代を超えたもの」、「突出の科学から共生の科学へ」、「死せる者の声、声を発せられない生命の声をどれだけ自分のものとして発せられるか」、「質疑応答」(目次の項目は多いが全106頁)
短歌作品を読む前に、筆者が最近読んだ書籍からの引用を、行き届かないかたちで綴ってしまった。お詫びしなければならない。短歌研究社の『2018短歌年鑑』の「2017綜合年刊歌集」から原子力詠を抄出させていただくが今回で終る。
五月風被爆死者名簿を吹き抜けて樟の青葉を光らせて過ぐ (諏訪瑠璃子)
文明の夜明けのごとく原発に頼りていまの日本がありぬ
除染とはいかなることか削りたる土のかたまりを積み上げて了
住む人のなき家の映るテレビ画面帰還困難域はねずみ天国 (3首 菅原義哉)
家を壊す番がめぐりてきたといふ南相馬より避難せし人
家倒すを見届けてきぬといふ友の横顔伝ふ涙を見つむ
こしあぶらの旨さ教へてくれし人双葉町へ帰りぬと聞く (3首 鈴木まさ枝)
核のなき平和願ひて撞ける鐘杉の針葉はつかに揺るる (清野ちえ子)
終戦の記念日に着く被爆者の「暑中お笑い」と広島の友 (関口昌男)
六度目の春迎へたり福島の真実をわれ知らざりしまま (田中造雅)
大阪で生まれたおばちゃんやねんけど豚玉焼のかなし 原爆忌
世界平和のためとするどき核のあり何か掲げて枯らすあまねく (2首 辰巳泰子)
9・11と3・11がすでに立証ずみ修羅場はどこからでも不意に襲ひ来る (杜澤光一郎)
除染済み落ちつきたりし草庭の一人静を忘れておりぬ (遠野杏子)
誤ちは繰り返さぬと刻みしを自虐史観と誰が言ひ出しし
地球人なれば等しく核を無み手をとり行かな今宵満月 (2首 中川明義)
「はやぶさ」が福島を告ぐ『警鐘』の一首一首が立ち上がりたり (中島雅子)
ぶなの樹となりて聴きいる水の音今福島に起つ心はや
燈台の灯りが福島の闇を掃くさやさやと掃く白き島守
花火爆ず 六魂祭の其が爆ぜぬ一発奴をなぐったような
原発の事故後を畑に出でられず家籠りつつ病みし兄なり
福島やセシウム深井 闇深井 汲んでも汲んでも悔しさばかり (5首 波汐國芳)
被爆より七年経てど好物の山菜未だ口に出来ぬも
被曝七年避難解除の村なれどフレコンバッグ置き去りのまま (2首 波汐朝子)
放射線量高き土に囲まれし中島町にビー玉みつかる
広島に入市被爆せし父と同じデルタに墓地を探せり
並び立つ隣りの墓よりやや低きわが家に集まる親族姉妹 (3首 西 美代子)
大熊町復興記す黒板に誰もが背負う重たきリュック
被災地の子が「避難者」と指さされ どうでも良いや! 石塊となり (2首 西村みち子)
泥沼に足入るるごとき響きもつデブリとふ語を知る六年目 (洞口千恵)
浪江町請戸の浜にいつせいに熊手がならび掘り返すつち
ふるゆきは誰のてのひら 瓦礫より骨の見つかる七歳の子の
逆吊りにして鶏の血を垂らしたる竹山さんの手を懐ひたり (3首 本田一弘)
髄にまで刻みてあの日の午前ありじゃが芋植えて蓬をつんで
うち震い幾度見上げし早春の十一日の空つき抜けいたりき
汚染土こそ母の悲しみなだれ咲く辛夷の下のフレコンバッグの (3首 前田えみ子)
子の家族住めばしのびて風評を聞く福島の桃を食ひたし (松田護夫)
塩を買い壺を充たせば核戦争すこし遠のくような安らぎ (三浦尚子)
福島に美談ばかりを探しゆくかつての戦争報道のごとし (水島和夫)
広島とリオで同じ時原爆と五輪の式典行われおり (南 哲夫)
銀河系すみの太陽系のなか核ミサイルがあるじなる星
二万発ちかくの核がお互ひに照準合はせあひてゐる星
ナガサキが最後の被爆地の星よまだ美しい月面の果て (3首 宮里信輝)
大漁旗かかぐる漁船もどり来たり〈第一原発〉みゆる港に
避難指示解除せられしも易易と捨てえざるなり六年の暮し (2首 宮田宏輔)
水槽に眼の飛び出たる金魚ゐて原爆忌あり原発忌なし
ゴキブリの死後硬直を広島忌掃きつつ思ふ次はどこだろ (2首 �法\觜�)
次回も原子力詠短歌を読みたい。 (つづく)
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