コロナ禍只中の2020年4月末頃から、複数の政党と政治家等が「9月入学制」への転換を相次いで口にし始めた。政府はこれに肯定的で、経済界にも期待の声が多い。なぜ今この時に「9月入学」なのか?早急な議論に振り回されることなく、その背景をきちんと確認するとともに、いま国・公権力が取り組むべき教育の最優先課題とは何なのかを考えてみたい。
▽「9月入学」のメリットとは 国民民主党は城井崇衆議院議員を座長とするワーキングチームを設置し(2020年4月28日日本経済新聞)、小学・中学・高校及び大学の入学と新学期を全国一律で同年9月以降に移す等とする提言をまとめた(2020年05月01日20時38分時事ドットコムhttps://www.jiji.com/jc/article?k=2020050100998&g=pol )。日本維新の会も同様な提言を公表している(2020年4月27日 17時6分産経ニュースhttps://www.sankei.com/politics/news/200427/plt2004270019-n1.html )。
城井議員は「9月入学・新学期制」のメリットとして、「急な休校、直前での延長と計画的ではない形で学校教育が分断されている現状」があり、「「すべての子どもたちが公平に1年分の学びを改めて行うことができる」と主張する。具体的には、「学校教育の本格再開へインフラ整備への準備期間もとることができる」・「留学の受け入れ及び送り出しが促進される」・「冬期に行われる入試の弊害(雪による公共交通機関の混乱やインフルエンザ等の体調不良の心配)をなくせる」といった利点を挙げている(城井崇ホームページhttp://kiitaka.net/9644/ )。
他方、村井嘉浩宮城県知事や三日月大造滋賀県知事等17人の知事から成る「日本創生のための将来世代応援知事同盟」は、9月制導入を政府に要請した(2020年4月29日中日新聞)。また、吉村文洋大阪府知事(大阪維新の会)と小池百合子東京都知事(都民ファーストの会)は共同メッセージを配信して9月への移行を求め、「こういう時期だからこそ出来ることもある」(小池知事)、「日本の未来を考えた時に今やるべきで、今出来なかったらもう2度と出来ない」(吉村知事)等と訴えている(2020年4月30日 22時4分NHK NEWS WEB)。
産業界からも、9月への移行を期待する声が少なくない。双日株式会社の藤本昌義社長は「海外からの採用者と同時期になるのは企業の大きなメリット」等と述べている(2020年日本経済新聞5月1日)。以前より、留学生受け入れ拡大に向け「9月入学の推進」(日本経済団体連合会「グローバル人材の育成に向けた提言」2011 年6月 14 日)を大学に求めてきた経団連も、黄金休暇後に議論を開始する予定であると報じられている(2020年5月1日23時22分日テレNEWS24
https://www.news24.jp/articles/2020/05/01/06635946.html )。もっとも、日本商工会議所の三村明夫会頭は9月入学に付き、「大いに検討すべきだが、すぐにはできない。今年は夏休み中やオンラインの授業で(学習の)遅れを取り戻しながら、課題を検討すべきだ」と述べている(時事ドットコム2020年5月8日18時30分)。
政府も無論、9月制導入に肯定的である。萩生田光一文部科学相が「子どもの学びを確保する方法は9月への移行しかないんだと、地方も含めてオールジャパンで取り組めるなら大きな選択肢になると思う」(2020年4月28日日本経済新聞)と述べた。 その翌日に安倍晋三首相は、「国際社会では9月入学が主流」とし、検討する意向を示している(2020年4月30日日本経済新聞)。 これを受けて杉田和博官房副長官は、文科省・経済産業省等の次官に対して来秋からの開始を想定した論点整理を指示したということである(2020年5月2日毎日新聞)。
コロナ禍に在って、9月入学制への移行を早急に進める必要は全く感じない。困窮する児童・生徒・学生の生活と教育環境の整備・確保に注力するのが先決であるから、さして重要視されず立ち消えになるであろうと推測していた。当初本論の構成を考えた時も、特に9月入学に関し採り上げる積もりは無かった。されど、連日のように識者や政治家等の発言が報じられ、看過してはいけないと考えた次第である。 折しも、萩生田光一文部科学大臣が2020年5月10日に出演したテレビ番組において、「ことし9月に入学をやり直すというのは、現実にあわないと思う」としながらも、9月から授業を再開して、現在の学年を延ばすことも検討しており、「そんなに残された時間はない」等と発言している(FNNプライムオンライン2020年5月10日12時4分https://www.fnn.jp/articles/-/40788 )。 なお本稿では、初等・中等教育機関も含めた秋入学については「9月入学(制)」、高等教育機関のみの場合は「秋季入学(制)」と称することとする。
▽明治〜大正期の入学・卒業時期 学年の始・終期は、小・中学校、高校が「4月1日に始まり、翌年3月31日に終わる」と定められている(学校教育法施行規則59・79・104条1項)。これに対し大学では、「学長が定める」(同163条1項)。この規定は、秋季入学をさらに促進するべく2007年に改正されたのであった(学校教育法施行規則等の一部を改正する省令 2007〈平成19〉年10月30日文部科学省令第34号)。また、「学年の途中においても、学期の区分に従い、学生を入学させ及び卒業させることができる」(同条2項)。
そもそも日本においては、学制発布(〈明治5〉年8月3日文部省布達第13・14号)以降しばらくの間入学期、学年の始・終期は必ずしも一定では無かったようである。中等・高等教育では、例えば森鴎外は1872〈明治7〉年1月に東京医学校予科に入学して1881〈明治14〉年7月に東京大学医学部(改組)を卒業し、西條八十は1911〈明治44〉年4月に早稲田大学英文科予科に再入学して1915〈大正4〉年3月に卒業、芥川龍之介は1910〈明治43〉年3月に府立第三中学校を卒業した後同年9月に第一高等学校一部乙(文科)に入学、一高を卒業したのは1913〈大正2〉年7月で、同年9月に東京帝国大学英文科に入学している。
文部省「学制100年史」(1972〈昭和47〉年)によれば、1872〈明治5〉年に設立された東京師範学校は同年8月に入学試験を実施して9月から授業を開始し、新島襄が同志社英学校を開設したのは1875〈明治8〉年11月となっている。また、1877〈明治10〉年に東京開成学校と東京医学校を合併して東京大学とする布達が発せられたのは1877〈明治10〉年4月である。 初等教育に関しては、若山牧水が1892〈明治25〉年4月に田代尋常小学校に入学して1896〈明治29〉年3月に卒業したのに対し、室生犀星の野町尋常小学校への入学は1895〈明治28〉年9月、卒業は1899〈明治32〉年3月である。
学齢及び就学期を明確にした「小学校令改正」(1900〈明治33〉年8月20日勅令第344号)に伴い制定された「小学校令施行規則」(1900年8月21日文部省令第14号)は、「小学校ノ学年ハ4月1日ニ始リ翌年3月31日ニ終ル」(25条)と明規しており、「小学校についてはこれが最初」とされる(前掲「学制100年史」)。この後大正期には、初等・中等・高等教育機関いずれも4月入学制に定まった。
▽4月入学制と兵役 入学・卒業時期を左右した大きな要因は、会計年度の始まりが4月となったことであろう。大蔵卿であった松方正義が、1875〈明治8〉年以降7月だったのを1886〈明治19〉年度から4月開始としたのである。3年後には「會計法」(1889〈明治22〉年2月11日法律第4号)が成立し、「政府ノ會計年度ハ毎年4月1日ヨリ始マリ翌年3月31日ニ終ハル」(1条)と規定して会計年度を法制化した。
また、それまで9月1日だった徴兵適齢者の届出期日が、1886〈明治19〉年に4月1日に変更されたことも重要である(東京大学入学時期の在り方に関する懇談会「将来の入学時期の在り方について─よりグローバルに、よりタフに─(中間まとめ)」2011〈平成23〉年)。「大日本帝国憲法」(1889〈明治〉22年2月11日公布、1990〈明治23〉年11月29日施行)は20条で、兵役を臣民の義務と規定した。憲法発布の約1箇月前に全面改正された「徴兵令」(1889年1月22日法律第1号)1条─「日本帝国臣民ニシテ満17歳ヨリ満40歳迄ノ男子ハ、総テ兵役ニ服スルノ義務アルモノトス」―に呼応するものである。
1889年改正徴兵令は、戸主や戸主の嗣子等を対象とした免役を廃して「国民皆兵」原則を確立したと評される。しかし、「徴兵猶予」(21条)・「1年志願兵制度」・「6箇月現役兵役制度」(11条)といった特典を規定していた。この内、4月入学の定着に影響したのは「徴兵猶予」であろう。満17歳以上満26歳以下の官立学校(帝国大学選科及び小学校を除く)府県立師範学校、中学校、法律学・政治学・理財学を学ぶ私立学在学生が希望すれば、満26歳まで徴集を猶予した。通常なら、現役3年、予備役2年、後備役5年が課されたのである(3条)。該当する諸学校が、徴兵される前に若者を集めるべく入学期を4月としたことは、想像に難くない。
いち早く(東京)高等師範学校が1886〈明治19〉年に4月を学年始期とすると、2年後には府県立尋常師範学校もこれに倣ったとされる(小宮京「日本の学校はなぜ『4月入学』なのか?100年前の大改革を振り返る」論座2020年5月4日https://webronza.asahi.com/politics/articles/2020050300007.html )。 師範学校には、「6箇月現役兵役制度」も関連する。当初6箇月とされていた現役は、1989年11月の改正によって6週間に短縮された(1989年11月13日 法律第29号)。「6週間現役兵制度」は、官府県立師範学校を卒業した小学校教員は、6週間の現役に服した後国民兵役に編入され、7年間の教職年限を経れば兵役義務は完了するというものであった。師範学校には給費制があった故(例えば、師範学校令〈1886年4月10日〉9条)、学業優秀ではあっても中学校や大学等へ進学する資力に恵まれない者が、多く在籍していたとされる。「6週間現役兵制度」は、改正を経て1939年に廃止されるが、言わば“合法的徴兵忌避”の仕組みであった(安藤忠「国民教育と軍隊」1979年、日本大学教育学雑誌13号)。
なお、「1年志願兵制度」は、満17歳以上満26歳以下の官立学校(帝国大学選科及び小学校を除く)府県立師範学校、中学校、私立学校卒業生若しくは、食料・被服・装具等の費用を自弁する者は、現役1年、予備役2年、後備役5年で済んだ。通常なら、現役3年、予備役4年4箇月、後備役4年と定められていたのである(3・4条)。しかも、一定の訓練等を経れば予備役将校等となれる正に「富者のための特権制度」であった(大江志乃夫「徴兵制」1981年、岩波書店)。富裕層には兵役さえ優遇する一方、豊かでないが為刻苦勉励して教員となった者には、「6週間現役兵制度」という恩恵と引き換えに子どもたちへの国家主義的教育に専心させたのである。大日本帝国下のこの方式は、今日にも接続しているのではないだろうか。
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