「スタファン・デ・ミストラがチンドゥフの難民キャンプを訪問したが、ポリサリオ戦線の幹部らは彼を出迎えなかったようだ。これは彼に対する不満の表れか?」と、6月10日国連定例記者会見でハ ミド記者が聞きました。 ファルハン副報道官は、「デ・ミストラは引き続き努力している。誰と面会できるかはこれから見ていく」と、答えました。 結局、デ・ミストラが難民キャンプで会談できたポリセリオ戦線難民政府の幹部は、二人の国連交渉担当者であるオマル国連代表とベイサット外務大臣だけでした。 大統領にはキャンプを去る寸前にチラッと挨拶をしました。
�々駭∋�務総長西サハラ個人特使の西サハラ難民キャンプ立ち寄り: ブラヒム・ガリ西サハラ大統領兼ポリサリオ戦線事務総長は、西サハラ側への訪問を終えたスタファン・デ・ミストラ国連事務総長西サハラ担当個人特使と、6月8日にラユーン難民キャンプで短い立ち話をした。 西サハラ大統領兼ポリサリオ戦線事務総長は、国連事務総長個人特使に対し、「西サハラ人民の自決権を完全に尊重し、国連決議および国際法の原則に従って自由かつ民主的に未来を選択する権利に基づき、平和的、公正かつ最終的な解決を目指す努力をするなら、国連事務総長代理を西サハラ側は支持する」と、改めて念を押した。 この場には、西サハラ側のモハメド・ベイサット外務・アフリカ問題大臣、国連ポリサリオ戦線代表兼MINURSOミッションとの調整役であるシディ・オマル博士(国家事務局員)が、国連側からはクリストファー・ソーントン国連事務総長特使事務所長がいた。 6月7日、日曜日の深夜にアウセルド難民キャンプに着いた国連西サハラ担当事務総長個人特使は、同キャンプ内にあるレセプションで仮眠をとった後、同じ場所で女性団体、青年団体、人権団体などの代表者らと一堂に会して、効率よく西サハラ側への訪問を終えた。が、国連西サハラ担当事務総長個人特使は前回のように難民キャンプの諸組織を視察することもなく、ラボニ西サハラ難民政府センターを訪ねることもなく、僅か半日のお義理訪問を終えて、同じ日の夜にはチンドウ―フ飛行場に向かった。何しに難民キャンプに入ったの? 日曜日到着、月曜日出発の短時間難民キャンプ即席ツアーは、一般に忙しい外国訪問者がとる日程だ。国連は西サハラ難民キャンプの状況など知りたくないのか、あるいは、モロッコに同調して西サハラ難民を消去しようとしているのだろうか?まさか、「モロッコ自治州案を呑め」と、西サハラ難民の人々を脅しに入ったんではないでしょうね!
��国連個人特使が難民キャンプを去った6月9日は、エルワリの命日: 「毎年6月9日に、西サハラの人々は、殉教者の先駆者であり西サハラ革命の指導者であり、自由と国家の独立のために一身を捧げた創始者エルワリを偲ぶ。今年はその建国の父エルワリが殉教して50年になる」と、エルワリ追悼式を仕切ったダハラ難民キャンプの長・シェイク・モハンマドは弔辞を始めた。 「彼は、SADR(西サハラ・アラブ民主共和国)建国(1976年2月27日)から殉教(1976年6月9日)までの100日という短期間で築き上げた西サハラ国家の諸機関の中に生き続けている。彼は、政治的ビジョンと、政治的手腕、軍事的能力、外交手腕、そして文化とメディアへの深い理解を兼ね備えた卓越した指導者だ」と、シェイク氏はエルワリを讃えた。 SADR(西サハラ・アラブ民主共和国)という国名も、西サハラ憲法も、パレスチナ国旗を真似た西サハラ国旗も、蛍の光に似た国歌も、エルワリが考案した。難民キャンプを4か所に分散し夫々に自治組織を作ったのも、女性連合や労働組合や学生連合を作ったのも、エルワリだ。 アルジェリア政府を口説いて難民キャンプをアルジェリア西端の砂漠に設置したのも、UNHCR(国連難民高等弁務官)に訴えて難民承認させたのも、リビアのカダフィ大佐に武器援助の約束を取り付けたのも、エルワリだ。さらにエルワリは、侵略国モロッコの故ハッサン�鏡す餡Δ筌癲璽螢織縫△離瀬奪逝臈�領に、和平交渉を呼びかけていた。が、両国は西サハラに軍事進攻を続けた。やむなくエルワリは貧しい難民軍を率いて、両国の正規軍と戦い続けた。 そして、1976年6月9日、エルワリ以下9人の戦士たちはモーリタニア軍に包囲され、無数の砲弾を浴びベニ・シャブ砂漠に果てた。享年28才。2メートルの長身と鋭い目の美男子は、今も西サハラのスーパースターだ。
�A姐駭∋�務総長に最高勲章を授与したアルジェリア大統領: スタファン・デ・ミストラ国連アントニオ・グテーレス国連事務総長個人特使がアルジェリア西端チンドウ―フの難民キャンプに立ち寄った2026年6月8日にぶつけて、アブデルマジド・テブン・アルジェリア大統領は、潘基文前国連事務総長をアルジェに招待し、国家功労勲章<サドル>を授与し、<アティール>の称号を授けた。 「アルジェリア最高勲章の授与は、潘基文氏が在任中に国連が安全保障の維持、貧困および脆弱性との闘いという使命を果たすために尽力したことを称えるものだ」と、アルジェリア大統領は語った。現在、GGGI(グローバル・グリーン成長研究所)の理事会議長を務める潘基文氏は、高官代表団とともにアルジェリアを公式訪問していた。 授与式には、ブアレム・ブアレム共和国大統領府首席補佐官、アハメド・アタフ国務大臣兼外務・在外国民共同体・アフリカ問題担当大臣、アマル・アバ外交問題担当大統領顧問、カウタル・クリク環境・生活の質担当大臣も参列した。が、この大がかりな儀式には、並々ならぬアルジェリア外交の深謀遠慮が伺える。アルジェリアはこの50年間、揺るがず西サハラ難民政府を経済的に政治的に軍事的に支援し続けてきた。アルジェリアは豊富な石油天然ガスがあるアフリカ3番目の経済大国だ。その外交方針はぶれない。 潘基文前国連事務総長が表彰されたアルジェから2,000キロ西に離れたチンドウ―フ西サハラ難民キャンプに、アントニオ・グテーレス現国連事務総長個人特使がショートステイしていた。そのグテーレス氏は任期中、一度も難民キャンプを訪問しなかった。一方、潘基文氏は任期の最後にキャンプや西サハラ解放区やアルジェリアやモロッコも訪れ、西サハラの人々が切望する国連西サハラ人民投票の実現を目指した。 アルジェリアは今も国連西サハラ人民投票を支持している。前国連事務総長の表彰は現国連事務総長へ宛てたアルジェリアからの教示なのだが、現国連事務局体制は聞く耳持たずで、今年一杯の任期を逃げ切ろうとしている。 6月9日は、西サハラ難民のカリスマ的指導者エルワリの命日で、潘基文とデ・ミストラの国連西サハラ関係者二人はアルジェにいたのだが、、 デ・ミストラ国連事務総長個人特使は6月11日にノルウェーのスロに飛んで、国際フォーラムに参加していたトランプ大統領次女の義理の父マサド・ブロスをつかまえ、次の行動の指令を仰いだ。国連副報道官が言うデ・ミストラの旅は、モロッコへと続く、、
これまで、モロッコ寄りのステファン国連報道官はモロッコの申し立てで、一方的にポリサリオ戦線側の攻撃を非難してきました。 初めて、ポリサリオ側に3名の死者が出たことをハミド・パレスチナ記者に追及されたファルハン副報道官は、「ミジェク地域でポリサリオ戦線の軍用車両を標的としたドローン攻撃により3名が死亡したとの報道について、我々は深く憂慮している。MINURSO(国連西サハラ人民投票監視団)は、この事件の調査を行うため、関係当事者(モロッコ占領軍?)から安全保障上の許可を求めている。」と、答えました。
「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。 著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー、SPS、 定価:本体1,800円+税、 発行人:松田健二、 発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―12―9、クランデイ―ルお茶の水201電話:03-3814-3861 同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。 ―――――――――――――――――――― Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。 「人民投票」日本語版 URL :
https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL:
https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。 「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:
https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL:
https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十 2026年6月13日 SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
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