日本でも<知る人ぞ知る>のベイサット西サハラ難民政府外務大臣が、南部アフリカ諸国を歴訪中です。 6月末から、アンゴラ、ジンバブエ、モザンビーク、ナミビア、ボツワナ、レソト、と、6か国の大統領や首脳と精力的に会談を重ねました。 しかし、ベイサットさん、、ちょっと太りすぎでは?
�.皀競鵐咫璽�大統領ダニエル・フランシスコ・チャポ: 6月24日、モザンビークの首都マプトで、西サハラ難民政府ベイサット外務・アフリカ問題大臣は、モザンビーク共和国のダニエル・フランシスコ・チャポ大統領を表敬訪問し、ポリサリオ戦線事務総長のブラヒム・ガリ西サハラ難民大統領からの書簡を手渡した。会談で、西サハラ外相はモザンビーク大統領に対し、苦難に喘ぐ西サハラの難民、被占領民、移民、指導者、を代表して、生活状況や国連関係や現在進行中の交渉の実情を説明した。そして、モザンビーク共和国の国際正義に基づいた立場を称賛し、様々な国際的会議やイベントでの西サハラ大義に対する継続的な支援に深い感謝の意を表した。 モザンビークは1975年6月25日、ポルトガルから独立を勝ち取った。現在も公用語はポルトガル語だ。モザンビークはインド洋に面し、トランプ氏に知られたくない美しく長い海岸線がある。さらにモザンビークは、トランプ氏に知ってほしくない、石炭や宝石などの鉱物資源に恵まれている。2012年からは大規模な天然ガス田が沖合いに発見され、世界の注目を集めているが、トランプ氏には見せたくない。 歴史に残るモザンビーク人の訪日は、400年以上遡る。織田信長の家来・弥助は、1581年に日本に渡航した最初のモザンビーク移民 だ。 日本は独立と同時にモザンビークを承認した。LNG(液化天然ガス)の長期購入と、JBIC・NEXIの公的融資、三井物産やJOGMECなどによるプロジェクト参画を通じて、将来の天然ガス・石油代替燃料の重要な供給源として、モザンビークとの外交関係を深めている。1992年から1995年にかけて国連モザンビークPKOが展開し、日本も自衛隊員を派遣した。 1976年3月13日、SADR(西サハラ・アラブ民主共和国)を正式に国家として承認した。
�▲淵潺咼�大統領ネトゥンボ・ナンディ=ンダイトワ: 6月28日、ナミビアの首都ウィントフックで、ベイサット外相は、西サハラの人々の民族自決権を求める闘いに対するナンディ=ンダイトワ大統領とナミビア国民の揺るぎない支援に感謝するブラヒム・ガリ西サハラ難民大統領からの書簡を、手渡した。 ナンディ=ンダイトワ・ナミビア大統領は、ナミビアが西サハラ大義と民族自決権を揺るぎなく支持していくことを改めて表明した。さらに大統領は、「ナミビアは独立闘争において大きな苦難を乗り越え、犠牲を払ってきた。その経験から、西サハラの人々が民族の基本的権利を行使することを、他人ごとでなく使命と実感している、、ナミビアが解放闘争において多国間協力と国際的な連帯から恩恵を受けたように、SADR(西サハラ・アラブ民主共和国)も同様に、国際的な組織から恩恵を受けられることを願っている」と、述べた。彼女は2025年3月21日、大統領に就任した。 白人による支配時代の南アフリカに委任統治され、アパルトヘイト(人種隔離政策)に苦しめられていたナミビアは、1966年、独立戦争(脱植民地化闘争)に突入した。 1989年、ナミビアは国連監視下で選挙を行い、1990年3月に憲法を制定した後、3月21日に独立を達成した。同日、日本は外交関係を樹立した。公用語は旧宗主国ドイツのドイツ語ではなく、南アフリカ委任統治時代の英語だ。 1990年6月11日、SADR(西サハラ・アラブ民主共和国)を正式に国家として承認している。
��レソト王国首相サミュエル・ンツォコアネ・マテカネ: 7月6、ベイサット外務大臣は、西サハラ大統領兼ポリサリオ戦線事務総長であるイブラヒム・ガリ氏からレソト首相宛ての書面メッセージを手渡した。レソトのサム・コタニ首相は、「西サハラ人による、自由と完全な独立獲得を目指す正当な闘争を支持する」と、自国の原則的。かつ歴史的な立場を改めて表明した。さらに「レソトはアフリカ連合の創設原則および国際法上の決議に従い、民族自決権を擁護するという立場を堅持していく」と、確約した。 一方、西サハラ外相はレソト首相に対し、あらゆるレベルにおける国家的な大義の最新の動向について説明し、西サハラ人民の闘争の最新の展開、アフリカ最後の植民地の脱植民地化を通じて紛争を解決することを目的とした国連の取り組み、そしてモロッコ占領政権によって仕掛けられた障害や策略への対処について概説した。 1966年10月、レソトは英国から独立し、レソト王国を建国した。公用語は今も英語で、国家元首・国王レツィエ3世は、立憲君主制を取っている。行政執行権はサム・、マテカネ首相が率いる内閣が行使する。 日本はレソトに在外公館を置いておらず、在南アフリカ日本大使館が兼轄する。レソトも以前は駐日大使館を置いていなかったが、2007年に駐日レソト大使館を開設した。 2025年8月21日、TICAD9に参加していたマテカネ・レソト王国首相と会談した石破首相(当時)は、日本がレソトの干ばつ等による食糧不安の深刻化を踏まえて食糧援助を決定した事を伝えた。 1979年10月9日に、レソト王国はSADR(西サハラ・アラブ民主共和国)を、正式に国家として承認している。
7月10日、ベイサット西サハラ難民外務大臣 は、かって大使を務めていた南アフリカを訪れ、ラマポーザ南アフリカ大統領と会談しました。 ベイサット外務大臣のアフリカ歴訪はまだ続いています。 AUアフリカ連合加盟国間では、ビザなしです。 ベイサット外相はびのびと、広大なアフリカ大陸を駆け巡っています、、 アフリカにおける日本のビザ免除対象国は、モロッコ、チュニジア、セネガル、モーリシャス、レソト、エスワティニ、南アフリカ、ボツワナ、ナミビアのアフリカ55か国中、僅か、9か国だけです。
「サラー西サハラ難民アスリート」の出版情報です。 著者:平田伊都子、写真構成:川名生十、画像提供:アマイダン・サラー 定価:本体1,800円+税、 発行人:松田健二、 発行所:株式会社 社会評論社、東京都文京区本郷2―12―9、クランデイ―ルお茶の水201電話:03-3814-3861 同じ「社会評論社」が出版してくださった「ラストコロニー西サハラ(2015年)」、「アリ 西サハラの難民と被占領民(2020年2月)」にも、お目を通してください。 ―――――――――――――――――――― Youtube2018年7月アップの「人民投票」(Referendum)もご案内。 「人民投票」日本語版 URL :
https://youtu.be/Skx5CP3lMLc
「Referendum」英語版 URL:
https://youtu.be/v0awSc25BUU
Youtubeに2018年4月アップした「ラストコロニー西サハラ」もよろしくお願いします。 「ラストコロニー西サハラ 日本語版URL:
https://youtu.be/yeZvmTh0kGo
「Last Colony in Africa] 英語版URL:
https://youtu.be/au5p6mxvheo
WSJPO 西サハラ政府・日本代表事務所 所長:川名生十 2026年7月11日
SJJA(サハラ・ジャパン・ジャーナリスト・アソシエーション)代表:平田伊都子
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