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橋本勝21世紀風刺絵日記


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Introduction
2013年02月06日掲載 リンク記事

メディアの劣化について


  「メディアはいわば私たちの社会の「自己意識」であり、「私小説」である。そこで語られる言葉が深く、厚みがあり、手触りが複雑で、響きのよいものならば、また、できごとの意味や価値を考量するときの判断基準がひろびろとして風通しがよく、多様な解釈に開かれたものであるならば、私たちの知性は賦活され、感情は豊かになるだろう。だが、いまマスメディアから、ネットメディアに至るまで、メディアの繰り出す語彙は貧しく、提示される分析は単純で浅く、支配的な感情は「敵」に対する怒りと痙攣的な笑いと定型的な哀しみの三種類(あるいはその混淆態)に限定されている。メディアが社会そのものの「自己意識」や「私小説」であるなら、それが単純なものであってよいはずがない。「私は・・・な人間である。世界は・・・のように成り立ってる(以上、終わり)」というような単純で一意的な理解の上に生身の人間は生きられない。」(内田樹氏のブログから)
http://blog.tatsuru.com/2013/02/01_1011.php






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